余談

おまけ。終章の少し後











「クロさん」

「嫌です」

 ――にべもなく。

 魔女は間髪入れずに拒否した。

 戸口をくぐり、家に片足を入れた姿勢のまま、ユーインがしかめっ面を返す。

「……まだ何も言ってないけど」

「そんなあからさまに機嫌の良い笑顔で呼ばれれば、大方ろくでもないことを思いついたのだろうと予想はつきます」

「今日、何の日か知ってる?」

 ユーインは拗ねたように頭を掻きながら、いつも通りクロの向かいに腰をおろした。すっかり大きくなった茶色い犬が大喜びで飛んでくる。

 クロが壁のカレンダーへ視線をやったので、ユーインはすかさず指摘した。

「それ、ひと月くらい前から時が止まってるよ」

「……今日って何日でしたっけ?」

「……建国祭」

 溜め息混じりに最初の問いの解答を示す。

 ああ、といまいち興味なさそうにうなずくと、クロはすぐに本へと関心を戻した。

「そういえば、ふもとの村でも何かやっていましたね」

「国をあげての祭りだしね。王都は準備期間も長いから、もっと大規模だよ」

「そのようですね。以前遠くから見ただけですが」

「なら、一緒に行かない?」

 目の前の湯飲みを少しかたむけながら、ユーインは控えめに提案した。

 最近は、彼が姿を見せる頃には大抵飲み物が用意されている。その度にユーインはなんとなく嬉しくなって、舌がひりつく辛さだというのに不平を漏らせなくなる。

 飴と鞭にしては飴がささやかすぎやしないか、とは思うが。

「嫌です」

 魔女は情け容赦なく鞭を振るった。

 しかしユーインは予想済みとばかりに説得を続ける。

「町中カルアの花で飾りつけてあるんだよ。真っ白でさ。壮観だよ。パレードが音楽を奏でながら通りを進んでいくんだ。出店もいっぱい出るし、特別な商品も並ぶから、見てるだけでも楽しいと思うよ」

「そんなに行きたければ勇者様でも誘ったらいかがです」

「なにが悲しくて野郎と二人で建国祭を楽しまなきゃいけないんだよ。拷問だよ」

「あなたが声を掛ければ、喜んでついてくる女性なんてたくさんいるでしょう」

「俺はクロさんがいいの」

 クロは眉間にしわを寄せ、わざとらしく心配するような声音を作った。

「熱があるのでは?」

「自覚はある」

「重症ですね」

「じゃあ重症患者を救うと思って」

「あなたは最近、輪をかけて意味が分かりません」

 クロは深く嘆息し、ぱたりと本を閉じた。しかし説得に折れたわけではない。手元のそれを消し去ると、別の本を呼び寄せる。

「せっかくですが、人込みは嫌いなんです」

「だと思った」

 ユーインは軽く笑って茶を飲み干した。渋い顔をして舌を出す。辛いらしい。

「それなら心配しなくても大丈夫だよ」

「はい?」

「特等席があるから」



 下の方で賑やかな音楽が流れていた。

 甲高い笛、軽快な太鼓、透明な鈴の音。胸躍らせる楽しげな旋律が、跳ねるように響き渡っている。

 町は隅から隅までを白い花で着飾り、色とりどりの旗を閃かせ、そして溢れるほどの人々を抱えていた。

 だが、その熱気と興奮はここまでは届いてこない。ただひやりとした風が頬を撫で過ぎるだけだ。

「――なるほど。特等席、ね」

 クロは町を眺めながら呟く。

 そこは教会の屋根だった。しかも鐘が取り付けられた一番高い部分である。

 パレード目当てで家の屋根にのぼっている者はちらほら見掛けるが、さすがにここまで高みから見物しようと考える輩はいないらしい。

「普通に見るならちょっと遠いけど、クロさんなら問題ないだろ?」

「私は問題ありませんが、あなたはそれでいいんですか?」

「俺は雰囲気を楽しめればいいんだよ。パレードがどこ通ってるかくらいは分かるしね」

 きらびやかな楽団と人々を引きつれて、長いパレードは通りを行進していく。

 屋根のない馬車には演奏者が乗っていたり、様々なものを模した人形が鎮座したりしていた。

 先頭は一本角の獅子。ラグミア王家の紋章である。それより後ろは毎年変わるらしい、ということだけクロは知っていた。

「今年は果物の出来が良かったみたいだから、2番目は果物まみれだね。3番目は……なんだろ? よく見えないな」

「神話に出てくる雨の女神リューテンサータでしょうね」

「ああ、雨が少なかったからか」

 たあいない話をしながらパレードの列を順々に追っていく。

 それが最後尾にいたったところで、クロは目をしばたたかせた。

「最後のはなんです? 鳥?」

「ん? ――ああ。あれはガードガイトだって。一応」

「怪鳥ガードガイト? 熱を食らう伝説上の怪物ですか。一般的な解釈とは随分形が違うようですが」

「あれは王様直々に命令して作らせたらしいよ。夏を追い払って、涼しさをもたらした鳥を、ってね」

 イタズラを明かすような笑顔で告げるユーイン。

 クロが一瞬きょとんとして、それから半眼になる。

「……まさか、このために連れてきたんですか?」

「違うよ。俺がクロさんと来たかっただけ。――でもちょっと嬉しくない? 感謝されてるんだよ」

「そんな風に考えるのはあなたくらいですよ」

 溜め息をついて、クロは王城を見た。

「ようやく魔女との約定から解放されて、喜んでいるんじゃないですか?」

「なんでそんなひねた考え方するかな」

「魔女ですから」

 のんびりと過ぎていく時間。

 眼下の喧騒が遠い出来事のようだ。踊る旅芸人。華麗な馬車。屋台を回る子供の集団。一緒になってはしゃぐ犬。酒を飲み交わす男たち。そんな騒ぎを遠巻きにうかがっている猫。

 風が徐々に冷たさを増していく。

 華やかな音楽は少しずつ遠ざかり、やがて余韻を残して、視線の先にある王城へと吸い込まれていった。

「ちょっと露店覗いてみる? 古書も結構あったよ」

「いいえ。視たところめぼしいものはなさそうですので」

「……王都の本屋全部視たの?」

「とっくに」

 顎を上げてみれば、いつの間にか陽は燃えながら落ちていこうとしていた。

 さきほどまでと比べれば随分静かにはなったが、建国祭は夜まで続く。人の出とお祭り騒ぎはまだまだおさまらないだろう。

「……あなたラグミアの人でしたっけ?」

 クロは遠くを見るように町を眺めた。

「ん? そうだよ。実家はここ」

「ふーん……」

「なんなら家族に紹介しようか?」

「家族を紹介ではなく、家族に紹介と言うあたり、なかなかあざといですよね、あなた」

「俺の大切な人ですって紹介しようと思ったのにな」

 ユーインはクロの頬に手を伸ばした。そのままゆっくりと指先で撫でながら、あまやかな熱のこもった眼差しで黒瞳を覗きこむ。

 しかし黒水晶は眼中にないといわんばかりの冷淡さで突き放した。

「私を紹介するより、医者を紹介してもらう方が先でしょう」

「……………」

 顔を引きつらせて彼は手を離す。ふてくされたように足に肘を置き、頬杖をついた。

「はにかむとか、頬を赤らめるとか、ないの?」

「そういうのは村の娘さんにでも求めてください」

「せっかくの建国祭なんだから、もうちょっと甘い言葉が聞きたいんだよ」

「こんぺいとう」

「……………」

 ものすごく投げやりな対応であった。

「なんで金平糖なの」


 ――秋の空気が肌を滑っていく。


「甘いものでそれだけは好きだからです」


 熱の支配は失せ、やがて身を切るような冬が国に訪れるだろう。


「え、そうなの? じゃあ今度作ってくるよ」

「あなたの熱もいい加減冷めませんかね……」


 しかしそれはただの余白に過ぎない。

 退屈すぎた、200年余りの繰り返しも。


「……ま、実家が燃えて嘆かれるよりは良かったか」

「へ? 何か言った?」

「いいえ、何も」


 それもまた、きっと余白。




(了)

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