第3章
鷹と迷子の小鳥1
「移動符10枚。――あ、そっちじゃなくて。そうそれそれ。安い方な」
若い客の要求に、店主は怪訝そうにしながらも商品をカウンターに乗せた。
旅慣れた風体の客は硬貨を数枚取り出すと、店主が確認するのも待たずに10枚の札を懐にしまう。
「お客さん、安物だと劣化が早いよ。見たところ使い捨てしか買えないほどの駆け出しってわけじゃないだろうに」
「いーのいーの。どうせすぐ破られちまうから」
店主は訝しげな色を濃くするが、客は満足したらしい。人当たりの良い笑顔を浮かべて踵を返す。
「……ん?」
店のドアを開けたところで、足を止めた。
店の前は大通りである。魔法使い風のその客は、人々の行きかう通りの向こうに何かを見つけたらしい。一点を注視したまま外へ出て行った。
「こーらこら。嫌がってるだろ?」
ユーインがそう声をかけると、少女に絡んでいた男は不機嫌そうな睨みを返した。
「言いがかりつけんなよ。別に嫌がっちゃいねえよ。なあ?」
「……………」
少女は答えない。長い髪が横顔さえ隠しているため表情は明らかでないが、男に引かれている腕とは逆に、細身の体は距離を取ろうとしていた。
「そのくらいにしておけよ。引き際は知っておいた方がいいぜ?」
「なんだと? 余計なお世話なんだよ。引っ込んでろ――」
一瞬。
男は呼吸を止めた。ユーインの手の中に杖が現れたからである。それだけで男は簡単に狼狽し、少女の腕を離した。
「ま、魔法使い……」
「ナンパの仕方を変えるのと、炎に包まれるのと、どっちがいい」
杖の先端を鼻先に突きつけると、男は蒼白になり、それでも強気に舌打ちをした。だが反抗はせず、そそくさと去っていく。
基本的に、接近して魔法を使うような阿呆などいない。魔法使いは近距離で戦えるような職ではないからだ。同業者であればこんな脅しは通用しないが、一般人相手なら充分に効果が出る。
ユーインは満足げに杖を眺めたあと、それを軽やかに回転させ消してみせた。
「――あなた杖なんて使わないでしょう」
「まーそうだけど。杖を見せびらかした方が穏便に済むか、……ら?」
聞き覚えのある声はすぐ隣からだった。
たった今助けた少女が、ゆっくりと顔を持ち上げる。黒髪が水のように滑り、涼しげな黒眼がユーインを見た。
「え――」
驚きのあまり心臓が停止しかける。
「ク……クロさっ……!?」
「……私は化け物ですか」
黒髪の魔女は普段通りの冷静さで応じた。
言葉に詰まるほど驚愕したのは、予想外の人物だったというだけではもちろんない。問題は格好だ。
白いブラウスに、刺繍の入ったワインレッドのベストとスカート。腰からエプロンを、肩にはスカーフをはおり、頭には可愛らしいナプキンまで飾っている。どこからどう見ても普通の町娘だった。
色気もへったくれもないローブ姿しか見たことのなかったユーインにとっては、未知の化け物と遭遇するより衝撃的な出来事である。
彼は思いのまま叫んでいた。
「クロさんが――可愛い!?」
「なかなか失礼な発言をしますね、あなた」
彼女は溜め息をつき、ちょいとスカートの裾をつまんだ。
「これくらいの町になると、普段の格好では目立ちすぎるんです」
「そ、そうなんだ……そっか。な、なるほど……」
ろくに話を聞いてもいないのに形だけうなずくと、ユーインは幾分か落ち着きを取り戻した。
改めて彼女の姿を眺める。
「――でも、うん。やっぱりそういう格好も似合うんだな。可愛いね」
「それはどうも」
「そこははにかんでほしかった」
「そういうのは普通の娘さんに求めてください」
褒め言葉もさらりと受け流し、魔女はユーインをすり抜けた。
「どこへ? ていうか何でこんなところにいるの? クロさんの山からは結構離れてるよね?」
「暇なので男を引っ掛けに」
「……はい?」
目をしばたたかせるユーイン。
早足で歩きながら、クロが冷たい視線を向けた。
「けれどあなたが逃がしてしまいました」
「……代わりに俺が引っ掛かったんだから勘弁してくれよ」
「あなたが引っ掛かっても何の面白みもありません」
どこまでも彼女はつっけんどんだった。とりあえずユーインは言葉だけで謝っておいてから、質問を重ねる。
「……で、何しに? まさか本当にナンパされにきたわけじゃないだろ?」
「さて」
「仕事? 手伝おうか?」
「結構です。暇つぶしですから。あなたはどうぞご自分の仕事へお戻りください」
「ところがどっこい、イルと合流するのは夕方なんだよ」
クロは一瞬足を止めて太陽の位置を確かめた。陽はまだ高い。小さな舌打ちが漏れる。
「え、いま俺舌打ちされた?」
「あなたがいると釣れる男も釣れません」
ユーインは閉口した。
「本当にナンパ待ちならそりゃ退散するけどさ」
「ではそうしてください」
さきほどから目線だけをさりげなく巡らせているのは、本当に男を選んでいるからか。それとも単なる人捜しか。魔女の本心は限りなく捉えづらい。
「……………」
ふいに彼女は視線を縫い止めた。しかしそれは瞬き一つの間にほつれる。すれ違った若者を横目で追ったのを、ユーインは見逃さなかった。
見事としか言えないほどの自然さで、クロはくるりと体の向きを変えて若者の足跡をたどる。いつも通りの淡白な黒眼はもうその尾行相手から完全に外されており、うっかりすれば誰のあとをつけているのか、隣にいたユーインでさえ分からなくなるほど気負いがなかった。
それは当然、周囲にも相手にも違和感を与えないということだ。
「……クロさん、探偵でもやってたの?」
「いいえ?」
「計り知れないにもほどがある……」
相手はまだ若い男だった。清潔そうできっちりした茶色の髪と洋服。顔立ちは確認できないが、ほんの少し背を丸めて先を急ぐ様子からは、人の好さと気の弱さがうかがえる。
「ああいうのが好み?」
「いじめがいはあるかも知れませんね」
「ああ、クロさんには合ってるかもなぁ」
呟いたとたんクロから上目遣いに見られ、ユーインは慌てて視線をそらす。だが、彼女はすでにまったく別のことに意識を使っていた。
「あなたがそばにいるとひどく目立つんですが」
若者は住宅街へ向かっている。確かにいかにも冒険者風の彼がいれば目を引くだろう。意図がなんであれ、尾行している以上気づかれては不利益にしかなるまい。
クロの目的は判然としなかったが、特に危険もなさそうだったので、ユーインは引くことにした。
「分かったよ、邪魔者は退散します。だけどそう邪険にしなくてもいいじゃないか」
「すみませんね、性分なので」
ユーインが立ち止まると、魔女は別れの一瞥も送ることなく歩いていった。
そのそっけなさに、ユーインはいささか悲しくなり溜め息をつく。すると、まるでそれが聞こえでもしたように彼女が振り返った。
「助けてくれようとしたその心意気には感謝します」
それだけ告げて、若者のあとを追い、角の向こうへ姿を消した。
「――やっぱり謎だ」
がしがしと頭を掻き、ユーインは逆方向に足を向ける。
さてどう時間を潰そう、と思案した瞬間だった。
「……鷹さまのお仲間でいらっしゃいますか?」
最初、その美しい声がどこから発せられたものなのか分からなかった。
斜め上から落ちてきたようにも感じたが、近くに人はいない。当たり前だが空にもいない。きょろきょろと探していると、次の言葉が降ってくる。
「今、鷹さまとお話ししていらっしゃいましたよね?」
塀の、上。
それは銀色に輝く鳥だった。だが、ほんの少し翼を動かせば波のように青色がきらめき、風に揺られれば緑に染まる。紅が混じったかと思うと、瞬く間に金色が広がって、もう一度見直せば紫が浮かんでくる――一瞬たりとも同じ色にとどまらぬ、不思議な羽毛。
古い生き物の一つとして、話だけは聞いたことがあった。
「精霊鳥……?」
「はい。わたくしは秋を追う精霊鳥でございます」
「……は、じめて見た……何でこんな町中に――ていうか秋って言ったか?」
「はい」
精霊鳥は枯葉色の目をぱちぱちさせた。
ふいに冬をはらんだ冷たい風が吹き抜けていき、ユーインは首をすくませる。
「もうすぐ冬だぞ? なんで秋の精霊鳥がまだいるんだ」
「おっしゃる通りでございます。わたくしども精霊鳥は、季節が過ぎれば去らなければなりません。いまだここを離れられぬ理由こそが、鷹さまにお願いしたことなのでございます」
「鷹さまってクロさんだよな。お願いって?」
精霊鳥は一度、寒さに震えるように羽毛を膨らませた。
「実は子供とはぐれてしまったのです。ずいぶん捜したのですが見つかりません。どうにかこの町にいるらしいことまでは分かったのですが、わたくしは永く人と関わらず生きてまいりましたので、人の気が多いところではうまく飛ぶことができないのです。そこで鷹さまにお願いをいたしました」
「なるほど……」
結局男漁りではなく仕事だったらしい。
「とはいえ鷹さまにすべてお任せするのも申し訳なく、こうして降りてまいったのですが――」
「――大丈夫だろ。あの様子ならすぐ連れ帰ってくるよ。鷹の目に見つけられないものはないって言ってたし」
「そうですか……」
声から不安そうな響きが消える。
それから彼女――おそらく――はばさりと翼を広げた。羽が銀色から水色、青、黄色、赤と洪水のように変化していき、ユーインはその美しさに息を漏らす。
「ああ、やはりとても息苦しい。自分の子を自分で捜すこともままならぬとは……どうかお願いします、あの子はまだ子供なのです。わたくしがついていなければ、満足に飛翔することもできませぬ。どうか、どうか鷹さまによろしくお願いいたしますと」
「伝えておくよ」
「お頼み申します……」
弱々しい言葉だけを残し、精霊鳥は飛び立っていった。
家の屋根を越えたほどでその姿がかすみ、じんわりと空に溶けるようにして消えていく。最後に小さな粒だけがきらきらと散った。
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