因果は直列する

因果は直列する/1


   1

遮光カーテンの隙間から窓外を覗き、ヒセツは溜め息をついた。見えるのは、ほかの建物よりもわずかに背の高い、宿泊先だったホテル。ルードラント一味による襲撃で、ホテルの周囲には喧騒が満ちていた。謎の暴動、との言葉を、ヒセツは往来の端々から聞いた。

今頃は傾いた夕陽を背にして、刑罰執行軍が原因究明にあたっているのだろう。自分がそこに加わっていない事に歯噛みする。だが、いま名乗り出るのは得策ではない、とは奈落の言だ。

(ルードラントは必要以上に何かを焦ってる……。そして刑軍は優秀だけれど、捜査が遅い……認めざるを得ないわね)

窓に反射して映る自分は、苦い顔をしている。ヒセツは目を背けるようにしてカーテンを閉めて、背後を向き直った。

(それに、いまはこっちの方が先決だわ)

六畳程度の狭い居間に、彼らは揃っていた。身を置いているのは、エリオ・クワブスプの家である。交渉を行ったパズによれば、宿泊を快諾してくれたらしい。彼自身は業務が忙しく、帰宅するのはだいぶ遅くなるようだった。

居間のテーブルを囲む椅子は全部で三つ。奈落とパズ、それからラナが座し、ヒセツとシルヴィアは壁に背を預けている。

全員の視線は、例外なく幼い少女へと向けられている。皆、厳しい表情だ。まるで裁判のようだとヒセツは思った。にもかかわらず、ラナは少しも動揺していないようだった。覚悟を決めたように背筋を伸ばし、どこか大人びた落ち着きを帯びてさえいる。

口火を切ったのはパズだった。わずかにパーマがかった髪をいじりながら。

「さて、あれだけのサプライズを披露したんだ。全部話してくれるね?」

「はい」と、ラナは神妙に頷く。

「結構。じゃあまず――なぜ記憶喪失だなんて嘘をついたのか。ここからだね」

ラナの眉がぴくりと震える。動揺が僅かに顔に出た。

「気づいてたんですか?」

「そりゃ、まあね。だって昨日、ルダと会ったんでしょ?」

「はい。――あ」

一つ確認するだけで、ラナは己の失敗に気づいたようだった。それだけ彼女の証言には真実味がなく、矛盾が多かった。

「記憶を失ってるなら、ルダと会ってたってそれが誰かは分からないはず。もちろん自分と全く同じ顔の人物ではある――だけど、それだけだ。むしろ怖がると思うよ、自分と同じ顔をした人が突然現れたら」

ラナの顔が僅かに紅潮する。単純なミスだ、見破るなという方が無理というものだろう。ヒセツの目から見ても、昨夜の様子はとても記憶を失っているようには見えなかった。

間髪いれずに問いを重ねたのは、奈落だった。

「ラナ。君の正体、それからなぜ嘘をついたか――さっき、やっと手がかりを掴んだ」


彼女が嘘をついた理由。明確ではないが、ある程度の予測はついていた。

奈落の言を受けてシルヴィアが思い出すのは、先程のホテルでの一幕。ラナが行った魔術だ。誰よりも間近で、シルヴィアはその魔術を目の当たりにした。その形式は、見知った魔術と比して多くの差異があった。

「超高速での詠唱、聞いた事もねえ言語、それに何より、瞳に灯った緑淡色の光。ああはならねえよ――人間ならな」

「黙っていて、すみませんでした」魔術を行使した時点で、正体を明かす覚悟を決めていたのだろう。ラナは淀みなく告げた。

「――ボクは、使い魔です」

その答えを予想していたとはいえ、やはり改めて聞いた事で緊張が走る。全員の肩が強張る。シルヴィアの見る限り、特にヒセツにはその気配が濃かった。

「貴方達人間の観点から言えば、召喚魔術にあたります。ボクは独自の言語を用いて、人間よりも速く使い魔を召喚する事が出来ます。ちょうど、さっきみたいに」

先刻の魔術は、詠唱に一秒も要していない。それでいて音は細かく刻まれていて、複雑な術式である事が窺えた。顕現する力は三拍子での詠唱に劣らないだろう。

「成程な」と、奈落の頷きが聞こえる。眼に宿る力に衰えは感じられなかったが、その声音には疲労の色が濃い。間断のない襲撃に加えて、ほとんど無休である。更に、救出した少女からの虚言の告白だ。責め立てるような事はしないだろうが、結局のところそれは恩を仇で返す行為だ。信頼の裏切りが与える精神的負荷は大きいだろう。

奈落は疲労を払拭するかのように頭を振った。

「どうして嘘をついた?」

「貴方が、使い魔は追い出すって言ったから」

「何……?」

奈落は目を細めて、疑問符を浮かべる。シルヴィアは一つ小さく息をついた。どうやら彼は思い出せないらしい。彼女を虚言家たらしめた原因が、自分にある事に。だが無理からぬ事だろうとシルヴィアは判断する。ラナの言葉に喚起され、自分もたったいまその事実に思い至ったのだから。

首を傾げる奈落を庇うようにして、シルヴィアは半歩踏み出す。そして記憶にある言葉を反芻した。

「こんな性悪使い魔だったら別だがな――でしたか」

その場にいる全員が弾かれたように面を上げる。陰った笑みを浮かべるラナを除いて。


  ◇

シルヴィアの言は正鵠を射ていた。奈落がラナに放った言葉の中で、彼女を苦しめ得た言葉があるとすれば、それに違いない。主人に対して無礼な発言を繰り返した使い魔へ向けた、冗談めいた一言だ。

だが得心すると同時に、奈落の胸中に焦燥にも似た疑念が差した。

「その程度なのか……?」と、奈落は呟く。「そんな馬鹿みてえな冗談を鵜呑みに――」

「しました」ラナは即答する。「それだけじゃありませんけど。シルヴィアさんが、『こんな愛くるしい女の子を見たら、奈落さんは目の色変えるだろう』って言ってましたから」

ヒセツが無言で睨みつけてきたが、とりあえずは無視した。シルヴィアはヒセツからは見えないように親指をぐっと立てた。それも無視した。

「奈落さんにとってそれだけの理由でも、ボクは守ってくれる人を失うわけにはいかなかったんです。だから家に置いてもらえるよう、人間のふりをしました。あの時のボクは自我が弱かったから、そんな幼稚な結論に達したんです。――だから、そう、最初はそれだけの理由でした」

奈落は片眉をあげる。まるで問いを誘導するような話し方だった。恐らく彼女は、しっかりと話の筋道を立てていたのだろう。こうして正体を吐露する場を、何度もシミュレートしたのだろう。そしてそれは、彼女の迷いの表れから生じたものだ。

「問います」と、シルヴィアが二本の指を立てる。「まず一つ目。自我が弱かったとはどういう意味でしょうか。二つ目。最初は――というと、正体を隠した理由は複数あるのでしょうか?」

問いに、ラナはゆっくりと頷く。躊躇ではない。話に傾注させるために、わざと大きな動作をしてみせただけだろう。つまり、隠されていた情報の核心に迫ろうという事か。

「もうわかってると思いますけど、ルダも使い魔です。ボクと同じ――というか。ラナとルダ、ボク達は同時存在、二人で一つの使い魔なんです」

「二人で一つ?」と、パズが問いを返す。

「その感覚を説明するのは難しいんですけど、とにかくその点が、ボク達を特異な存在にしてるんです」

「貴方達双子は、他の使い魔とは違うって事?」と、ヒセツ。

「簡単に言えば、二人で協力して、一人じゃ出来ない大きな召喚魔術を行う事が出来る――」

「――って事は」と、奈落が一つの解答を導き出す。「ルードラントの目的は、強力な使い魔の召喚ってとこか」

だが、ラナはその問いに首肯しなかった。どこを見るともなく、テーブルの中央に視線を据えたまま、微動だにしない。肯定も否定もしないまま、ラナは沈黙に没した。

いまさら、何を躊躇する事があるのか。

奈落が問いを重ねようとすると、ラナはそれを遮断するように口を開いた。しかしそれは、奈落の求めた答えとは違っていた。

「まず、一つ目の問いに答えます。大規模な召喚を行う時、ボクが契約呪文を、ルダが召喚呪文を唱える、そういう手順が決まっていて、詠唱の前後と最中は、それしか出来なくなります。つまり、自我が極端に弱まります。奈落さんに助けられた時のボクが、まさにそうでした」

「言い換えれば、あの時点でルードラントは契約呪文を唱え終えてたって事か?」

今度は、ラナは浅く頷いた。

「そしていま、ルダを利用して召喚呪文を唱えています」

唐突に、奈落の思考が凍結する。それは、何気ない言い回しだった。だがはっきりと、彼女の言葉は奈落の胸中に違和感の種を植え付け、そして不吉を養分に急速に成長した。

ガタンッと大きな音がする。驚いて我に返ると、いつの間にか立ち上がっていた。大きな音は、後ろへ転倒した椅子が床に衝突した音だったようだ。

「ちょっと待て……ッ!」

奈落は椅子を起こそうともせず、ラナに厳しい表情を向ける。ラナもまた、その視線を受け止めるにふさわしい表情を浮かべていた。

何を聞き咎めたのか把握しかねているヒセツやパズが、いまにも問いを放とうと口を開きかけている。それよりも早く、奈落はラナへ言及した。

「どうして唱えたじゃねえんだ……?」

「現在進行形で詠唱してるからです」

「唱えているだと……ッ? いったい何万字の詠唱をしてやがる!」

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