集結する意志は全容を明かす(上)/3


   ◇

時刻、午前一時九分。

部下の報告を、ルードラントは言下に唾棄した。罵倒では治まりきらない憤怒を発散せんと、就寝前の楽しみだった酒をグラスごと部下へと叩きつける。

破片に悲鳴を上げる部下の情けなさが、またルードラントの怒りを助長する。

「この腰抜けが! たかがガラスで悲鳴なんざ上げてんじゃねーぞ!!」

鉄板の仕込まれたブーツで、ルードラントは散った破片を踏み抜いて粉々にする。

「も、申し訳ありませ……」

「ビビってんじゃねーつってんだよッ!」

すっかり委縮する部下の胸倉を掴み、殴るような勢いで押し倒す。力無く尻餅をつく姿を見て、ルードラントは慨嘆した。

「くそッ! 何だってこのタイミングだ!? 朝には鯨が召喚されるって時に、何で刑軍の犬共に嗅ぎつかれんだっつの!!」

苛立たしげに壁を殴りつける。加減しない一撃で拳に血が滲んだが、それを気にするような余裕はなかった。

「刑軍の連中は何人だ!?」

着替えを済ませて怒りに血走った目を向けると、部下は即座に立ち上がった。

「百名くらいです! そのうち一人は中佐を名乗ってたっす!」

状況に、ルードラントは頭を抱える。数の上では圧倒的に有利だが、兵士の質は刑罰執行軍の方が遥かに上だろう。特に中佐ともなれば、こちらの十名、いや二十名分もの戦力に相当するのではないだろうか。

こちらも全力で対抗せねば、刑罰執行軍は瞬く間にここまで進軍してくるだろう。

その先の、鯨召喚の儀式場まで発見されかねない。それだけは回避しなければ――。

「全員でロビー固めろ! あと六時間、何とか持たせんだよ!! ルードラント組の意地見せてやりゃあ、そんぐれー出来るはずだァな!?」

「は、はい!」

「英雄もロビーに向かわせろ!」

「は……カルキ・ユーリッツァっすかッ?」

「他に誰がいんだよッ!」

理解の遅い部下を蹴り飛ばして、ルードラントは阿鼻叫喚する。

ルードラントが握る最強の切り札が、英雄の存在だった。彼は同じ志を抱く同士だった。二週間程前の事だ、英雄の側から協力関係を持ちかけてきた時はさすがのルードラントも驚愕した。だが彼はこちらの最終目標を知った上で理解を示してくれた。

正義の象徴的存在ともいえる彼と友党になれた事は、ルードラントにとって大きな支えとなっていた。自分が間違っていない事の、自分の行いが正義である事の、証明なのだと実感する事が出来た。

「英雄は下でルダの見張りに立ってる。俺の頼みだって言やあ動く」

ルードラントの大喝に、部下は逃げるようにして階段を下っていった。

カルキ・ユーリッツァを向かわせれば、戦局はこちらに傾くかもしれない。何せ伝説の英雄たる彼は、軍が総力を挙げても刑罰執行出来なかった犯罪者達を、何人も裁いてきているのだから。

良し悪しは別として、ルードラントはまだ彼の戦闘らしい戦闘を見た事がなかった。その機会に恵まれない程、順調に計画が進んだという事だが――彼の評価に尾ヒレがついていない事を祈るばかりである。

あと六時間なのだ。それだけの時間を稼げれば、刑罰執行軍の進軍など児戯にも等しくなる。鯨の力をもってすれば、容易く屠る事が出来る。

だから余計に、痛切に思う。何故いまなのだ、と。

何故――と疑問符を浮かべて、ルードラントは唐突に一つの可能性を見出した。脳裏に浮かんでくるのは、悪趣味な赤黒いコートを纏った壊し屋――。

「まさか……刑軍は奴の差し金か!」

雇われの身でこちらの破壊を企む愚か者は、次々に策謀を打ち負かしてきた。ラナの奪還に始まり、場違い塔での奇襲も回避し、意識支配の魔術でさえ看破した。

そしてあまつさえ、捨て台詞に選んだ言葉が「野心を全て壊す」と来たものだ。

確かに機転が利く強力な壊し屋だとは思っていたが――もし、ここの位置まで掴んでいたとしたら?

否、とルードラントは否定的な思考を打ち消す。報告では、枚挙してきた軍勢に軍人以外の人間は含まれていなかったではないか。否、そもそも調査によれば彼は非合法の壊し屋だ。刑罰執行軍と行動を共にするとは考えにくい。

「だが待て! 一緒にいた女は軍の人間だぞ。ってこたぁ、協力関係にある……?」

だがそれでは、壊し屋には何の利益もない。破壊の対象が刑罰執行軍に身柄を取られれば、報酬も何もなくなってしまう。

それなら――やはりただの偶然か。

そう結論付けようとするが、ルードラントに残された冷静さの片鱗がその甘言を受け入れまいとする。

刑罰執行軍は壊し屋の差し金だ。そう仮定して、最も有効に刑罰執行軍を使う――そう、使う、だ――には、どうすればいいか。

「あんだけの規模だ……例えばよ、それを囮にでも使った日にゃ――」思考をそのまま口に出す自分の軽口に、思わず冷たい汗が頬を伝った。「――囮かあああッ!!」

ルードラントが絶叫するのと天井が崩落するのとは、完全に同時だった。


   ◇

酒を浴びて汚れたシャツを脱ぎ捨てて、男は駆ける。階段を下って廊下を抜け、突き当たりにそびえる防音性の扉を開ければ、そこは広大な儀式場である。

事態は一刻を争う。英雄を連れて、早くロビーに戻らなければならない。

ルードラントへの報告では濁したが、戦局は芳しくない。特にダザン・バチェリスと名乗った老人は脅威の筆頭だ。杖を土中から放つ魔術が、組員の動きを鈍らせていた。足元からの攻撃は、対処しづらいのだ。それを初めて思い知った。

足元ばかりを気にして前方への注意を怠るわけにはいかないし、前方だけに集中していれば絶対に杖を回避出来ない。上手い戦法だ、と思う。そしてそれ以上に厄介だ。

だから英雄を連れて、あの老人の相手をしてもらう。そうすれば戦局は互角に、あるいはこちら側へ傾くかもしれない。

男は強い期待を込めて儀式場へ顔を出した。

だがそこに――英雄・カルキ・ユーリッツァの姿はなかった。

荒い呼吸を落ち着かせながら周囲を見やるが、やはり英雄の姿は見つけれない。

「どこに……?」

との呟きは、月に向けられて放たれた。

「………は?」

遥か下方に、雲があった。


   ◇

「求むるは刃、鉄の光条、我が手中に為せッ!」

「氷室の砥ぎ師、摩耗、ジドーの牙ッ!」

両者の剣が交錯する。キン――ッと澄ました音を奏でて、刃が打ち鳴らされる。つばぜり合いはしない。初撃が有効打とならなかったと認識するや、互いに飛び退く。

視界には崩落した天井による粉塵が舞い、敵の姿を捉えられない。だが悠長に煙が晴れるのを待つわけにはいかない。

互いが互いの有効射程圏内に立っているのだから。間隙を見せれば、確実にそこを縫ってくるだろう。

奈落は舌打ちする。推測通りの位置にルードラントは――直接の面識がない上に視界が悪いために本人であるとの確証はないが――いたが、まさか初撃を防がれるとは思わなかった。致命打は与えられないにしても、戦闘に支障をきたす程度の傷を負わせるつもりだった。こちらの奇襲を想定していなければ、この対応は出来ない。

奈落は剣の使い魔を収めて、素早く別の使い魔を召喚する。

「偽らぬ系譜、伝承にあるは、大気の大槌!」

奈落の意志を反映して、大気が圧縮されていく。巨大な槌を思わせる大気の塊は命を吹き込まれ、ルードラント目がけて――猛進。

「七里の乳母、護王、エンディヴィスタの両腕!」

大気の塊は、しかしルードラントの使い魔に阻まれ、霧散する。召喚された巨大な三対の巨手が、ルードラントを包み込むように守護したのだ。

奈落は胸中でルードラントへの評価を改める。彼の魔術師としての腕は、相当なものだ。本気で戦えばこちらとて無傷では済まないだろう。舞台裏に隠れながら暗躍するものだから、戦闘の技術は低いだろうと打診していたのだが。

二体目の使い魔の激突も互角に終わり、続けて召喚しようと両者が口を開く。しかし、彼らよりも数段早く召喚を済ませた者がいた。

遅れて奈落の背後に降り立った使い魔の少女――ラナである。

「rrrrrkkkvvvvvv!!」

人間には発音出来ない音と速度での詠唱に導かれ、使い魔が姿を現す。小さなヒョウタンの様な身体の使い魔は、くびれた部分に象眼された眼で辺りを見回し、そっと息を吐く。次の刹那――驚異的な吸引力を見せつけ、一帯の粉塵を全て呑みつくした。

明らかに体積以上の塵を体内に宿したヒョウタンは、満足げにげっぷとともに姿を消す。

「……お前の使い魔、食いっ気ばっかなのか?」

晴れた視界の先にルードラントを見据えながら、背後のラナに問う。

「そ、そんな事はないんですけど……」と、ラナは赤面しながら弁解した。

「テメーら、人ン家入るのは玄関からだって、子供でも知ってんだろーがよ……ッ」

年の頃三十前半、短く刈り込んだ金髪、視線を隠すサングラス。赤いジャケットに包まれた身体は中肉中背で猫背ぎみ。両手の五指に見られるのは派手な色彩の指輪。

奈落から見ても趣味の悪い格好の男が、激昂する。

「よく言うよ。ここ、貴方の家じゃないみたいだけど?」と、パズが皮肉を返す。

「その口振り――……もう何もかもお見通しってかッ、畜生がああああッ!!」

手近にあった書棚が殴りつけられ、本が床に散乱する。血走った眼で奈落を睥睨する彼の行動は、ほとんど癇癪に近かった。

「ラナちゃん、あの男がルードラントで間違いないわね?」

奈落が目端に捉えたヒセツは、油断なく警棒を構えていた。

「はい……ッ!」

背後から届く、緊迫した声。ルードラントと向き合う事は、ラナにとって酷薄な記憶との相対に等しい。共闘する仲間を得たとはいえ、彼女自身の能力に、何ら変化した点はないのだ。覚悟の度合いは盤石なものへと成長したかもしれないが、悲しいかな、どれだけ高貴なものであろうとも、それは精神論に過ぎない。

殺風景なこの部屋を、奈落はありがたいと思った。五十人程度が余裕を持って横になれそうな広さに、石壁がむき出しで、片隅に寝具と文机、棚が二台のみ。

もしもこの部屋にルードラント愛用の調度品が並んでいれば、それらはラナにとって支配の記憶を呼び覚ます鍵となりかねない。

それらを承知で、奈落は敢えてラナへと問いを放つ。

「どうだ、ラナ。ルードラント・ビビスが、怖いか――?」

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