集結する意志は全容を明かす(上)/6
3
ヒセツは地を蹴り、彼我の間合いを一瞬で詰める。目標はルードラント――ではない。その隣に立つ痩身の男、リガレジーだ。ヒセツが自分を対象とした事に驚いたのか、彼は僅かに目を丸くした。それによって判断が鈍くなるのを期待しながら、しかし慢心を持つ事なく、ヒセツは警棒の一撃を見舞う。
リガレジーは右斜め前方に身を投げて回避。そのまま転がるようにして部屋の中央まで駆け、こちらを振り返るなり呪文を詠唱した。
「我、御するは原初より在るもの――対象を貫け光刃」
ヒセツは殺到する光の刃に対し、自身もまた魔法を詠唱する。
「我、御するは文明の源――五指の火の精霊ッ!」
掲げた右手五指から放たれたのは、それぞれが十センチほどの炎弾だ。それらは各々の軌道を描きながら中空を奔る。
一つは光刃と相対する。分散した分、相殺するには力が足りないが、軌道を反らすだけで十分だ。残りの四つはリガレジーに肉薄する。前後左右から襲う炎弾を、しかしリガレジーは器用に身をひねってかわした。衣服を焦がしたが、有効打としては認められない。
だが無理な体勢での回避により、リガレジーの視界はヒセツを捉えていない。その間隙を見逃すはずもなく、ヒセツは警棒を構えてリガレジーへと疾駆する。
「小娘が――俺をシカトかぁああ!?」
声を荒らげるのはルードラント。視界の端に映る彼がこちらに両手を掲げるのを捉えたが、しかしそれを歯牙にもかけない。なぜなら――、
「qqqqqeeeyyyッ!!」
ルードラントの魔術よりも格段に速い魔術を、ラナが展開出来るからである。ルードラントが口を開いたとラナが認識してから、詠唱を終えて使い魔が効力を発揮するまで、要する時間は僅か一秒足らず。
刃のような角を持つ獣が、ルードラントへ斬りかかる。
「ボクも戦えるんです!」
だが直線的な動きなだけに、彼は容易く回避した。
それでも、優先すべき目的は達している。すなわち――ルードラント・ビビスに魔術を詠唱させない事である。彼が意識支配の魔術を使えば、ヒセツは七分間の支配を余儀なくされる。そうなればこちらの不利は否めない。その七分で、一気に畳みかけられるだろう。
長期戦は望ましくない。長引けば、隙が生まれる可能性が高くなる。
ルードラントの追撃を考える事なく、ヒセツはリガレジーに警棒を振るう。リガレジーは頭から首にかけてを両腕で包み込み、ガードする。こちらの動きが見えていたわけではあるまい。咄嗟に急所をかばったのだろう。
(――それが仇よッ!)
刑罰執行軍は、基本的に頭部や首への攻撃を許されていない。下手をすれば人命を奪いかねない急所は、少尉階級以上の人間ではないと行えない事になっている。
警棒はヒセツの思惑通りの軌道を描いて、何の対処もされていない脇胴に叩き込まれた。
「……かっ……はッ」
肺の中の空気を吐き出して、リガレジーが呻く。ヒセツは警棒を振り抜き、その勢いに転がされたリガレジーは二転三転を経て、素早く起き上がった。
男は口を切ったのか、血と唾を拭い、その顔にはっきりと苛立ちを浮かべていた。ヒセツの口元に勝ち誇るような笑みがほころぶ。表情を歪めさせただけでも、彼にとってはひどく屈辱だろう。脇腹を押さえながら、リガレジーは数度の深い呼吸で気を整えた。
「確かに、侮っていたようですね。非礼を詫びましょう」
「へえ、結構素直じゃないの」
感心しながらも、ヒセツはリガレジーの眼の動き、足の位置をしきりに確認していた。何度も左に目線が向くのは、ルードラントとラナの攻防が続いているからだろう。
だが、強引に攻めに向かうわけにもいくまい。彼の足はいつでも迎え撃てるよう、こちらへと足を向けている。
視線を固定しないまま、リガレジーは紳士を思わせる静かな口調で告げる。
「ですが、もう一撃も受ける事はないでしょうな」
「どうして?」と、答えながらヒセツの頬には冷たい汗が伝った。
「急所を狙えないのでしょう? 先の攻防ではそういう取り決めがない限り、頭部に攻撃が加えられるはずですからな。刑罰執行軍の規則ですかな?」
「さあ、どうかしら?」
「貴方も素直な方だ」
別段笑うでもなく、リガレジーは言う。ヒセツはそっぽを向いて表情を隠したが、どうやら読まれてしまったらしい。嘘をついた時表情に出るのは、昔から変わらない。
「頭部への攻撃がないとわかれば、備えなければならない攻撃の幅も、だいぶ狭くなりますな」
リガレジーは腕組みして、思い出すように虚空を見つめて話題を変えた。
「ところで社長から聞いたのですが、貴方は興味深い事を言っておられたようですな。確か――暴力に融通を利かせる。素晴らしい言葉です。私も見習わなければ」
「………ッ!」
ヒセツは警棒を構える。腰を落として、衝撃に備える。暴力に融通を利かせる――つまり、変則的な使用方法をするという事か。しかも宣言までしてみせた。余程自信があるのだろう。敵の一挙手一投足を見逃しまいと目を凝らす。
「我、御するは原典より在るもの――円陣囲む高貴なる舞踊」
刹那、ヒセツは目を瞠った。彼は一切の挙措を見せる事なく、その場から消失したのだ。移動した様子もない。駆け足の音も聞こえない。
(光の魔法――屈折率を変えた!?)
予測が立った頃には遅かった。突然後頭部を襲った巨大な衝撃に、ヒセツは為す術もなく吹き飛ばされた。
◇
地下二階へ降り立つと、奈落とシルヴィアはその光景に絶句した。
一辺五百メートルほどの劇場――といっても座席一つなく、コンクリートの壁面が剥き出しになったただの広間だが――、その床一面に描かれた魔紋陣が、緑淡色に発光していた。その中央には、奈落の見知った少女が空虚な眼差しで同様の光に包まれている。目を凝らせば、魔紋陣は彼女の両手指から伸びた十本の長大な線で構成されていた。
ルダの口元は絶え間なく、高速で動いていた。まだ距離があるために聞こえないが、か細い声で呪文の詠唱を続けているのだろう。
全体が淡い光に照らされた広間は、祭壇を想起させた。ルダという少女を生贄にする事で鯨を召喚する、悪趣味極まる祭壇だ。
ラナの言の通り、ルダは自我を失っているようだった。ただ鯨を召喚する、その装置としてのみ価値を見出された憐れな少女は、自覚する事もなく貢献しているのだ。
奈落は天井を仰ぎ見る。描かれた魔紋陣と向かい合う天井には、不自然な亀裂が生じていた。まるで空間そのものに刻んだ裂傷のようなそれは、二つの世界を連結する通路なのだろう。あの亀裂があとわずかでも開こうものなら、間もなく向こう側から鯨が顕現する。
奈落は舌打ちした。
成程事態は深刻だ。が、ラナの目算ではあと五時間は猶予があるとの事だ。
「その前に片づけとこうと思ったんだが――いないじゃねえか」
周囲を見渡しても、奈落の捜している人影は見つからなかった。ここで召喚の儀式を見張っていたはずの、英雄・カルキ・ユーリッツァがいない。英雄と決着をつけねばならないと決心していただけに、肩すかしをくらったような気分だ。
だが、召喚を目前にして、刑罰執行軍と壊し屋の急襲を受けて――この大事な場面で、姿を消すだろうか。彼の意志であるとするならば、いったい何があったのか。
「まあ、アンタに訊けばわかる話だよな」
奈落の捜している人影――英雄・カルキ・ユーリッツァは見つからなかった。だが、奈落とルダの間に立つ別の人影があった。
ルダ救出という奈落の目的を阻む位置に。耽溺するルダを守る位置に。
全ての元凶は立っていた。
「そうだよな。まだアンタ――黒幕が、残ってたんだ」
漆黒のサングラス、シワ一つない黒のスーツ。
奈落にルードラントの破壊を依頼した、張本人。
依頼人・トキナスは、涼しい目で奈落を見据えていた。
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