咎人の手紙/7
阿鼻叫喚を放ち、奈落が地面を蹴る。彼我の距離およそ十メートル。その距離を、奈落は一足飛びにゼロにまで縮めた。両者の身体が肉薄する。疾駆の勢いそのままに、奈落は拳を打ち放つ――が、奇襲にもかかわらず英雄は身をひねるだけでそれをかわした。
奈落と英雄の身体が交錯し、再び距離が開く。
ザ――ッ!と大地を踏みしめる。砂埃を舞わせ、急停止する。
間を置かずに、奈落はコートを翻す。瞬きとも見紛う瞑目。甲の魔石に光条を灯した。
「求むるは刃、鉄の光条、我が手中に為せ!」
光条が鋼鉄の質量を伴い、剣の使い魔となって手中に収まる。
視界に佇む英雄も、既にこちらへと向き直っていた。その手には、一振りの銀剣。見間違うはずもない。あれは、十年前に向けられた、血塗られた刃。
期せずして、両者が同時に敵へと駆け出した。刹那、互いの剣が激突する。裂帛の気合いが周囲へと迸る。最速の打ち込みでの、剣と剣との舞。そして剣戟が展開される。
奈落は激情の気合いで瞬速の一撃を。英雄は表情を凍らせ冷徹な瞬速の一撃を。あるいは袈裟斬りに、あるいは薙ぎ払い、あるいは突き、あるいは打ち下ろし。
一瞬の間に繰り出される剣は十を越える。使い魔を召喚する余裕など、あろうはずもない。周囲の大気が、気圧されるように震えていた。
間断なく繰り出される幾多もの剣は、しかし敵の剣に阻まれる。二手、三手を先読みする戦いの最中、決定打どころか掠り傷すら負わせない。常識から逸脱した二人は、互いに相手の剣の先を行かんとする。リアルタイムでシュミレートされる自他の剣の軌跡。それに従い繰り出される一撃。しかし剣に阻まれ相手には届かない。
それもそのはず。何手先を読んでも、その先に決着という終焉が見えないのだ。互いに決着の見えない勝負に、決着が訪れるはずもない。それだけ互いの技量が研ぎ澄まされている。優れすぎているが故に、どれだけ先を読もうとも終わりなどない。
赤く燃える地獄の中、何十、何百と響くのは。剣と剣の激突する、澄み渡りの音――。
その戦いは、しかしまったく唐突に、意外な終止符を打たれた。
ドン―――ッ!
奈落の身体が、横手から突き飛ばされたのだ。
「なッ」
体勢を崩され、呆気にとられる奈落が視界の隅に見たものは、
「シルヴィア!?」
両手でこちらを突き飛ばしたシルヴィアの姿だった。動揺しながらも、後転してすぐに体勢を立て直す。すると刹那の前に彼の立っていた、その位置に。
「――ッ!」
天よりの稲妻が走っていた。
視認と同時、音の断片すらもかき消さんと轟く雷鳴が、激しく耳朶を打つ。周囲を白一色に染め上げる稲光に目を焼かれ、思わず腕で視界を塞ぐ。シルヴィアの奇行は、これを察知したための、咄嗟の機転だったのだろう。
「シルヴィア――ッ!」
叫ぶが、彼女の安否を確認する術はない。己の不甲斐なさに舌打ちした。
幸い、稲妻は数瞬の内に収束した。やがて奈落の目が回復し、再び赤に彩られたルードラントの本社を映し出す。眼前には稲妻の牙痕。凄まじい熱に焼かれ表面を炭化させた土。
だが、そこにシルヴィアの姿はなく。視線をめぐらせるまでもない、彼女は数歩と離れていない距離に存在していた。
ふう、と安堵の吐息は胸中で済ませ、すぐさまシルヴィアの視線を追った。
英雄の立ち位置に並ぶようにして、それはいた。炎に照らされる人影は、初老の男だ。尖った顎を持ち、頭髪は夜に映える白髪で、オールバックにまとめていた。そして、眼鏡の奥で光る、あらゆる感情を削ぎとったような瞳が印象的だった。
彼は――布にくるまれて判然としなかったが――何かを両手に抱きかかえていた。
周囲に使い魔は見受けられない。恐らくは魔法使いで、先の稲妻は彼によるものだろう。
奈落とシルヴィアが緊張の面持ちで睥睨していると、男は両手に抱えていた何かを英雄へと委ねた。カルキ・ユーリッツァは腕の中にそれを抱え、一瞥すると――今度は奈落へとそれを無造作に放った。
警戒するに越した事はない。奈落は回避しようとして――慌てて留まった。両手を空に掲げて、放られたそれを抱きとめた。それを見て、奈落は英雄の意図に疑問を覚える。人影の抱えていたそれは――人間だったのだ。それも、
「子供……か? まあいい、とりあえず――シルヴィア」
「了解しました」
正体は知れないが、華奢な体躯をシルヴィアに預け、男に視線を戻す。彼は、既に音もなく地面に降り立っていた。そしてその位置は――英雄の隣。やはり彼らは友党のようだ。
魔法使いと合流すると、英雄・カルキ・ユーリッツァは嘆息した。
「興が削がれたな」
「申し訳ありません。待たせてしまいましたか」
魔法使いの謝罪に肯きかけて、しかし英雄は言葉を濁す。
「ああ……いや、暇を持て余さずには済んだな」
言って、奈落へと一瞥をくれる。その視線を受けた奈落は、その物言いに怒りを露呈させずにはいられなかった。彼の言葉を反芻する。暇を持て余さずには済んだ。
「テメエ、俺の十年を、暇潰しだと……?」
「恨むならば恨めばいい。それが救いに変わる事もあるだろう。だが、私にはこれ以上児戯に付き合う暇はない」
突然の宣言。彼の言に奈落が異を唱えたのは、言うまでもない。
「待てよッ! 何の答えも寄越さずに、帰れるとでも思ってンのかッ!?」
「吐かせられなかったのは貴様だろう?」
「なん……だとッ」
そして躊躇なく、英雄は背を向ける。ハッとして、奈落は慌てて駆け寄った。長年追い続けた背中が、また消え去ろうとしている。この機を逃せば、次は一体いつになる事か見当もつかない。最悪の場合、これが最後の機会かも知れないのだ。
英雄の背中まで、あとわずかだというのに――肩にかかろうとする手は。
果たして、空を切った。
逃がした。認識されたその事実は、途端、奈落に重くのしかかってきた。
悔しさに歯噛みする。皮を切り、口の端には血がつたった。
「ちッくしょおおおおおおッ!」
感情に任せて放たれる慟哭が、赤く紅く燃える地獄にこだます。
捕らえる一瞬前、英雄と魔法使い、その双方ともが、姿を消していた。
次第に恐る恐るといった体で、火事場に人が集まり始めた。人々が懸命に消火活動にあたる中で、奈落は力なく肩を落とし、その場に座り込んでいた。
十年。十年かかって、ようやくにして逢瀬を遂げたというのに――何一つ解決できなかった。悔恨に、皮を破ってなお唇を噛み締めていた。
だからシルヴィアの呼びかけも、しばらく無視していた。
「――奈落様」
何十度目かの呼びかけに、奈落はようやく口を開いた。その頃には、いくらかでも冷静さを取り戻していた。力ない口調で、ぼそりと先を促す。
「……何だ?」
「グッジョブ」
間髪入れない即答に、奈落は眉をしかめた。顔を上げれば、シルヴィアの相変わらずの無表情がそこにあり。なぜかグッと右手の親指を立てていた。
何が「グッド・ジョブ」なのか。訳も分からず今度は視線を落とす。シルヴィアが抱きかかえているのは、魔法使いに放られた子供――それを失念していた事を、今、ようやく思い出した。改めて見れば、少女だった。年は十歳に満たないだろう。腰まで伸びた金髪を、ツインテールにまとめている。
ふと疑念が差す。寝息をたてるその少女に、見覚えがあったのだ。奈落は手紙と同封されていた、誘拐された少女の写真を脳裏に浮かべる。
その少女は、年は十歳未満、腰まで伸びた金髪をツインテールにまとめていた。
「……………あ」
壊すべきルードラント製薬会社は、周知の通り壊滅状態。そしてシルヴィアの抱いている眠った少女は、疑う余地すらなく、件の少女だった。シルヴィアが奈落の肩にポンと手を置く。奈落が顔を上げると、彼女は無表情に、グッと親指立てて繰り返した。
「グッジョブ」
「………」
何だかよく分からないうちに、仕事は完遂した。
まあ、グッジョブかなあ………。
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