浮上する謎は後を絶たず/2

「だから言ってんだろうが。俺達は刑軍で、極秘任務のためにここに泊まるンだよ!」

噛みつかんばかりの勢いで、奈落はカウンターを殴りつけ、烈火の如く叫んだ。相対する若い職員はすっかり逃げ腰で、今にも崩れ落ちそうだ。カウンターテーブルが両者を隔てていなければ、掴みかかる奈落に職員は喰われていただろう。

「え、ええ。ですから、宿泊されるのは一向に構いません。ですが……」

「何が気にくわねえッてんだよ! ああ!?」

歯切れの悪い職員が言い終えるより早く、奈落はカウンターを再度殴りつける。「ひっ」と短く悲鳴をあげながら、職員は一歩後ろへと退いた。それを追いかけるように奈落は上半身をカウンターに乗り出し、右手に持つそれを堂々と掲げた。

「何度言わせやがる! この刑軍手帳は正真正銘の本物だ! 天下の刑軍様が宿泊なさるんだぜ? 宿泊代は半額、否! 九割引が妥当ってもんだろうがああ!!」

つまりはそういう事だった。何事もなくヴェンズ入りを果たした奈落達は現在、宿泊施設を訪問中である。扉をくぐるなり、奈落は受付に対して値踏みするような視線を投げた。結果、職員がまだ仕事に慣れない新参者であると判断した奈落は、ヒセツから拝借した刑軍手帳をかざしたのである。そしてあろう事か刑軍への特別待遇――具体的には宿泊代の割引――を頼んで――否、強制し始めたのだ。

その狼藉に対して、本物の刑軍であるところのヒセツが黙っているわけがない。いまも奈落の頭を警棒で叩きつけたい衝動に駆られ、その衝動に応じようとする自分がいる。だが現実はというと、ヒセツはパズと共にカウンターから離れた客椅子に座している。

「ああもう! やっぱり我慢できないわ! あの馬鹿を脅迫容疑で刑罰執行する!!」

今にも腰を上げそうなヒセツに、しかし隣りに座すパズが半眼で牽制を加えた。

「行動を共にする限り壊し屋・奈落の罪を不問とする。加えて最大限の協力を惜しまない、だったっけ?」

「うぐ……っ!」

パズの言葉は呪詛となってヒセツへと降り注ぐ。彼の言葉は、誰あろうヒセツ自身が今朝発したものである。彼女は苦虫を百匹は噛み潰したような表情を浮かべた。

「刑罰執行軍之心得第九条之三項だよね。ヒセツ」

「あんた、童顔のくせに結構エグいわね……選択間違えたかしら」

恨みがましい視線を向けられても、パズは口元の微笑を微動だにさせなかった。

「やだなあ何を言うのさ無害な子供にー」

「あいつよりよっぽど性格悪いんじゃないかしら」

「良く言われるよ。その逆もね」

笑みを絶やさないままに言ってのけるパズから目を背けたヒセツは、ロビーの奥にシルヴィアとラナの姿を見た。先程手洗い場に行きたいと申し出たラナにシルヴィアが付き添い、戻ってきた――こちらへと歩いてくる。

ヒセツは苦笑を浮かべる。シルヴィアは、ラナの一歩後ろから付かず離れずの距離を保って歩いている。親子や姉妹に見えてもいいだろうに、その距離感が、二人の関係を不明瞭にさせていた。

だがその苦笑もすぐに内へと潜む。ラナの顔色は悪く、表情にも覇気がなく、まるで人形のようだった。それこそ、心の存在を疑ってしまうほどに。

「違うよ」

「え?」

不意をつかれて生返事を返したヒセツは、声の主であるパズを振り向いた。

「心が存在しているから、生気の欠けた表情を浮かべる事が出来る」

「………」

「だからこそ、その表情を変える事も出来る」

「……心、読まれてる?」

目を丸くして尋ねるヒセツに、パズは苦笑した。

「まさか。でも顔に書いてあるからね」

ヒセツは慌てて腰巻のポーチから手鏡を取り出したが、当然そんな文字は見当たらなかった。パズに対して非難の視線を向けるが、彼は既に客椅子を離れ、シルヴィアとラナを迎えていた。そして平然とした顔で肩をすくめ、こう言うのだ。

「二人とも聞いてよヒセツが僕の事を最低人格者だって罵るんだよー」

「誇張にも程があるわよ!?」

辛抱溜まらず、ヒセツは跳ね起きるようにしてパズへと詰め寄った。

「だって本当の事だし?」

「それは言い過ぎだって言ってるの!」

刑罰執行軍の少女は抗議をまくしたてるが、二人の様子は言い争いと呼ぶには相応しくない。何せパズは彼女の言葉を受け流すばかりで、まさに暖簾に腕押しといった体なのだ。しかもそれを楽しんでいる節すらあり、ヒセツはその事に一向に気づかない。

と、傍観を決め込んでいたシルヴィアが、「ヒセツ様」と口を挟む。その静々とした呼びかけに、思わず言葉を止める。振り向く先、シルヴィアは一礼、あくまでもフラットな口調で続けた。

「両御方の意見を総合し、鑑みるに………最低ですねヒセツ様」

「味方がいない!!」

パズとシルヴィアの双方から覚えのない非難を受け、ヒセツは天井につるされたシャンデリアに向かって叫んだ。だが、とヒセツは思う。味方の候補はまだ残されている。しかしその候補は、彼女ら三人の騒ぎの渦中にいて尚、表情を凍らせたままだった。

さすがに能天気な真似は出来ないな、とヒセツは思う。声をかけていいものか、躊躇いが生じてしまう。

だがそんな胸中をよそに、パズはぶしつけに碧い瞳を少女――ラナへと向けた。

「ラナ、君はどう思う?」

「ちょっと……ッ」

あまりにも配慮のない呼びかけに、ヒセツは顔をしかめた。案の定、突然話題を向けられたラナは「え、あの……その」と困惑気味に視線を泳がせるばかりで、ほとんど言葉になっていない。

答えを促すパズを諌めようか、ラナの動揺を抑えようか、ヒセツは一瞬判断に迷った。その一瞬を縫って、ラナの頭に大きな手を乗せた者がいる。奈落だった。

「何どもってんだよ。それじゃあ何も伝わらないぜ?」

いつの間に戻ってきたのだろうか。気づけば彼は相変わらずの不敵な笑みを浮かべてそこにいる。奈落はしゃがみこんでラナと視線の高さを合わせると、自信満々にヒセツを指差した。

「さあ遠慮なく言ってやれ。私の方が百倍可愛いわってな」

「趣旨が違う!? それに人を指差さない!」

「ヒセツ様、ついに女としても惨敗なのですね……」

叫ぶヒセツを尻目に、シルヴィアは天を仰いで目頭を押さえる――あくまでも無表情に。

「だから何の話よ! というかアンタ、交渉はどうしたのよ!?」

「あ?」と、奈落は眉根にしわを寄せる。

彼の黒瞳に射抜かれ、ヒセツはたじろぐ。その視線は、自明である解答についていつまでも抗議する子供へ向けられるようなそれだった。

奈落は立ち上がり、自信満々に親指で後方を示した。その先ををヒセツの視線が追っていくと、やがてがっくりと肩を落とすホテルの受付を捉えた。つまり――

「八割引きまで値切ってやったぜ」そう言って、奈落はぐっと親指を立てた。「ああいうタイプは強引に押すのが一番だっ」

「あああああああああああ………」

満足げな奈落に対して、ヒセツは肺の底から力無い声を絞り出しながら、その場に崩れ落ちた。そして、倒れてしまいそうになる身体を何とか両腕で支えながら地面に呟く。

「あんたねえ……その所業はヒセツ・ルナの悪行として記録されるのよ……? ちなみに刑軍割引なんて存在しないからね? だから、たちどころにその悪行は上司に知られて……ふふふ、零下の声音でこう囁かれるの。『荷づくりは順調かね?』って……」

若い職員には同情する。脅迫の末に割引に応じた事で、彼もまた上司に叱咤されるに違いないのだ。せめて彼の上司がいい人であればいいと、ヒセツは心から願った。

「あの、大丈夫ですか?」

見上げてみると、そこには例の若い職員が心配そうに立っていた。

「ええと?」

と、理解できないでいるヒセツに対して、彼は緊張気味に「あ、いえ、だって……」と言葉に窮し、それから早口に言った。

「お一人で崩れ落ちながら独り言というのは若干やはりいささか心配でして」

「お一人って――」ヒセツが周囲をぐるりと見渡す。とうに奈落達はフロア奥の階段にまで移動していた。「――女の子一人置いていくんじゃないわよ!!」

孤独に泣き崩れていた事実に顔を真っ赤にしながら、ヒセツは走って奈落に詰め寄る。もう我慢の限界だった。せっかく一時休戦して手を結んだというのに、なぜこうも薄情な扱いをするのかこの男は。ヒセツは距離を詰めるがままに勢いをつけ、固く握った拳を振りかぶり――

「刑罰執行軍之心得第一条之二十九項」と、奈落は呪文のように言った。

ヒセツの拳がぴたりと静止する。まるで奈落の呪文に絡めとられてしまったかのように、振り上げたままの姿勢で彼女は硬直していた。ただし表情だけは抑えきれない怒りにひきつり、口元がぴくぴくと痙攣していた。

「何であんたはそんなに刑軍の条項に詳しいのよ……ッ」

「ま、色々とな」奈落は腕組みしながら、余裕で言ってのけた。「お前もよく覚えてるな」

「一条の二十九項って?」と、パズ。

「私情でぶん殴るのは御法度――まあ人として当然の事だな」

半眼で肩をすくめる奈落を、歯ぎしりしながら睨みつけるヒセツだったが、やがて諦念も露に嘆息した。

「はあ……もういいわ。それで? これからどうするわけ?」

「聞きわ分けがいいじゃねえか」

「別に。ただルードラント破壊をさっさと済ませる事が出来れば、協定も終わってあんたに刑罰執行を下せると思っただけよ」

「成程な。そいつは聡明だ」と言って、奈落は咳払いを一つ。「これから俺達は三手に別れる。まずシルヴィアとラナは宿に待機。俺は聞き込みをしながらルードラントの詳しい居場所を探る。残る二人も捜索に回れ。但しお前らは二人一組だ」

すらすらと指示していく奈落に、ヒセツが疑問を挟んだ。

「何でよ? 三人それぞれで散った方が効率いいじゃない」

「パズは戦闘に関しちゃ素人だからな。魔法使いでもなきゃ魔術師でもない。だからお前は護衛役だ。この街に奴らが潜伏してる以上、単独行動は控えるべきだろ」

しかし、そう答える奈落自身は単独で捜索に当たるという。だがそれに異論を挟む者はいなかった。皆、彼の実力を十分に承知しているのだ。

「奈落様」と、シルヴィアが挙手する。「現在、一番危険な身上であるのは、恐らくラナ様かと。護衛は私でしょうか?」

それは当然の疑問といえた。ラナは昨夜の襲撃によって重傷を負ったのだ。この中では彼女は最も幼く、無力な存在であり、かつ鍵を握る人物だ。

シルヴィアの申し出に対し、しかし奈落は首を横に振った。

「まさか。ラナの護衛はここの警備員だ。何のために街最大規模のホテルを選んだと思ってんだ。一流ホテルなら、警備員もまた一流って事だ」そこまで言ってから、奈落はしばし沈黙し、やがて渋面した。「あとは……呼びたくねえが、保険を用意しとくか。戻したばっかなのにな」

彼は右手を胸の高さにまで持ち上げ、静かに詠唱した。

「放蕩の賢者、飛び跳ねる知、屋根裏の祭唄」

詠唱と同時、奈落の右手から淡い緑光が生じ、膨らんでいく。中心に赤子程度の大きさを持つ影が差すと同時、その光は弾けた。

「ほほけ! おのれツンツン小童が! またもこの老いぼれを暗闇に放り込みおって! ン! ん! んーッ!?」

大きな眼を持つ梟は、光球から現出するなり奈落に烈火の怒りをぶつけた。翼を慌ただしくはばたかせ、首をぐりんぐりんと忙しく回しながら。

「――ウゼえ」

「ッホ。何がウゼえか愚かなる小童! これは不条理な監禁に対する当然の抗弁である!」

「だから召喚維持には体力使うんだっつの。そう何日も続けられるかッ」

主人と使い魔の口論を聞いて、ヒセツが眉をひそめた。

「というか、使い魔の召喚を一時間以上維持出来るって人間業じゃないわよ……」

「そうなの?」と、魔術と魔法に関しては全くの無知であるところのパズが尋ねる。

「召喚維持の限界は、だいたい平均五分ってとこかしら。一時間以上も可能なのは、刑罰執行軍の中でも多分大佐以上になるわね。あとはそれこそ、十一権議会議員とか……」

答えながら、思わず自分でも舌を巻く。知らず、ヒセツは唾を飲み込む。刑軍手帳の乱用や、使役するはずの使い魔からの反発。それらは奈落の評価を曇らせるが、その雲の向こうには確かに卓越した力が潜んでいる。

その力を奮い、彼は罪を重ねてきた――それが昨日までのヒセツの見解であり、その事に疑問を持った事などなかった。だがヒセツは垣間見たのだ。誤解という汚泥を被せられた、正しき義の一端を。

気を引き締める。奈落の指示により、各々の担うべき役割は決まった。主人と使い魔の口論は、まだしばらく続きそうではあったが。

ルードラントへの刑罰執行を目指しながら、ヒセツ・ルナは答えを模索していく。正義の所在であるはずの刑罰執行軍内では誰も教えてくれなかった答えを――。

「それは、自分から手を伸ばさない限り、知りえない答えなんだわ」

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