浮上する謎は後を絶たず
浮上する謎は後を絶たず/1
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迫りくる炎。それは殺人の意志の込められた、炎の魔法。
全身の弛緩した自分に、それを回避する手段は残されていなかった。
炎の肉薄は、死の急迫と同義であった。
十八年という短い人生に終止符を打つのかと、ぼんやりと考えていた。
恐怖と悲哀と悲嘆が、その時の自分の心を独占していた。
あまりに呆気ない、あまりの恐ろしさに感情が追いついていなかった。
漠然と感じる、死の恐怖。
覚悟しなければならなかった。だが初任務で、その仕打ちは酷薄に過ぎる。
涙が溢れ、視界がぼやけていた。
ああ、自分の死を、誰か嘆いてくれるだろうか。もしも嘆いてくれる人がいるならば、その人たちに泣いて謝ろう。
否、死んでしまえば、それすらも、叶わないのだ。
あと何秒後だろうか、自分が屍と化すのは。
志半ばで朽ちる事の悔しさに、砕かんばかりに強く歯を噛み締めた。
そして、炎の塊が自分を呑み込もうとした、その時だった。
自分をかばって立ち塞がり、炎を弾き飛ばす人影を見たのは。
赤黒いコートをたなびかせる彼は、刑罰執行の対象である、非合法の壊し屋だった。
皮肉な口調すら救いだった。
影のような黒い出で立ちですら眩しく見えた。
男は圧倒的な力を見せつけ、難なく敵を退けてみせた。
そしてその男は現在――私の対面に座している。
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「ほけほけ。獣車とは、人間を乗せた車を使い魔が引くものでな」
「いくら僕でもそのくらいは知ってるよ」
「ほけ。話を切るなケルトの眷族。知識は貪欲に求めよ。そも獣車とは、御者台に二人の御者がいて初めて成り立つものでな。一人が召喚維持出来なくなった使い魔を戻し、回復を待つ間、もう一人が召喚した使い魔で車を引く。一方が回復する頃には、一方が回復をしなければならなくなる――と、この連続で動いているでな」
「ああ成程ね。だから五分おきに減速するのか」
「ほけけけ! 理解が早いな賢き小童!」
そんな会話を御者台の真後ろで繰り広げる一人と一匹の間に挟まれるようにして、ラナが座っている。彼女は会話の応酬に左右を振り向くのに忙しそうだったが――それで昨夜の事を考える暇がなくなっているなら、それも僥倖かもしれないと思った。
それを尻目に、ヒセツは奈落とシルヴィアを注視していた。赤黒いコートをまとい、悪人のように鋭い黒瞳をもつ奈落。黒の和装に身を包み、無表情を微動だにさせないシルヴィア。
訊いていいものか迷っていたが、ヒセツは首を傾げながら問いを放った。
「――ねえ、アンタ達ってどういう関係なの?」
「何だよ突然」
面倒そうに応じる奈落だが、そこに村八分にするような過剰な警戒心は感じられなかった。仮初めとはいえ仲間として見てくれているのだろうか。
「だってほら、一緒に暮らしてるんでしょ? でも恋人同士には見えないし、兄妹にも見えないし。友達とも違う気がするじゃない。そもそも馴れ初めが想像つかないわ」
奈落はしばらく幌を見上げて、問いについて吟味しているようだった。シルヴィアにも視線を合わせる。彼女が無表情に頷くと、まあいいか、と自分を納得させるように口火を切った。
「初めて会ったのは十年前だな。火事で身寄りを失くしたガキの俺を見かねて、シルヴィアが色々と面倒見てくれてな」
「ちょっと待った」
と、ヒセツは間髪いれずに制止の声を上げる。
「何だよ、人がせっかく答えてやってるのに」
「だって、おかしいじゃないの。え、シルヴィアの方が、アンタの面倒見てたの?」
奈落は年の頃二十代前半。十年前には生活力のない子供であったと考えれば、的外れな予想でもないだろう。対して、シルヴィアは十代後半の少女にしか見えない。落ち着き――というよりも無表情が若さを感じさせないが、ヒセツとそう変わらないだろうと思われる。
言い間違いだろうかと疑念が差すが、奈落は首肯した。
「ああ。シルヴィア、多分二十代後半だぞ? 十年前からほとんど成長してないけどな」
「奈落様。私も日々成長しております。身長で言うと二センチ。皺の数は増減ありませんが」
十代後半から成長が止まる者も少なくないだろうが、それはあくまでも身長の話だろう。顔や体格までもが十年前とほとんど差異がないなどと、有り得るのだろうか。
「というかちょっと待って! じゃあシルヴィアって、私と一回りも年違うの!?」
「お気になさらず。私は未来永劫十七歳です」
グッと親指を立てるシルヴィアだが、ヒセツがそれで納得しようはずもない。奈落も慣れた様子で平然としている者だから、それがまたヒセツの驚きを助長するのだ。
「アンタもおかしいと思わないの!? 十年間このままって――」
「あー……最初の二、三年はそう思ってた気もするんだけどな。ただ何か、そのうちシルヴィアなら別に不思議じゃねえかなあとか思ってきてな」
「麻痺してるーッ!」と叫ぶヒセツも、実際のところいまの発言に納得しかけた。「でも、二十代後半って、実際にはいくつなの?」
その問いに、奈落は口をつぐんだ。場の空気が固くなった事を、ヒセツは肌で感じた。愛想笑いで質問を撤回した方がいいだろうかと思っていると、シルヴィアが淡々と口を開いた。
「厳密には存じ上げません。十年前以前の記憶が、ないものですから」
「え……」
言葉を失うヒセツに構う事なく、シルヴィアは当時を思い返すように中空に視線を注いだ。
「十年前、私と奈落様の故郷は滅ぼされました。町は火の海と化し、人々は虐殺されました。――まあぶっちゃけ覚えてないので奈落様の受け売りですが。その光景に、恐らく私は精神を閉ざしてしまったのでしょう。そのため、私の記憶はすすり泣く奈落様にお声をかけるところから始まっているのです」
「その滅ぼした犯人が、英雄なのね……?」
ヒセツの推測に、奈落は肩を震わせる。なぜ知っているのかと、瞠目している。
昨晩、英雄の姿を見た瞬間、奈落の気配が急変した。金縛りにでもあったかのように、途端に動きが鈍くなり、結果としてルードラントの逃走も許してしまった。
にわかには信じがたい話だ。伝説の英雄として全ての子供たちの憧憬を集める存在が、町一つを滅ぼし、住民を虐殺するなどと。
むしろ、その非道な行いを断罪する立場にあるはずだ。
しかし実際に被害に遭った奈落は、短く頷いたのだ。
「――ああ」
椅子に深く沈みこんで、コートの襟で口元を隠しながら。
場を沈黙が包みそうになった刹那、御者台の後ろに陣取っていたパズが場違いに明るい声をこちらへと発した。
「もうすぐヴェンズだよ、奈落さん」
重たい空気が霧散する。締めきっていた部屋の窓を全開にした時の様な、風が動いて空気が軽くなった感触を得る。いつのまにか詰めていた息を、ヒセツは安堵とともに吐き出した。
と、こちらも緊張が解けたのか、奈落がヒセツに手を差し出していた。
「何よ?」と、きょとんとして問う。
「ヴェンズにつくらしいからな。刑軍手帳貸してくれ」
「………はい?」
奈落の笑みが深まって犬歯が露わになるのを見て、ヒセツは心中を嫌な予感で満たした。
ふと幌の外、獣車の向かう先を見る。巨大な川と三脚の橋をはっきりと見て取る事が出来た。もう間もなく、ヒセツ達はヴェンズに到着する。
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