罪の底へ/2


「悪いね朝早くに。――寝てた?」

来訪者を迎えた奈落は、シャツ一枚にスラックスという出で立ちで、ひどい寝癖を冠に戴いていた。苦笑する来訪者は、すっかり身支度を整えたパズである。

パズの推測は正しく、今日の奈落の目覚ましは彼のノックだった。

「ああ……。どうした、まだ明け方じゃねえか」

「明け方って、もう八時過ぎなんだけどね。シルヴィアに起こしてもらわなかったわけ?」

「ああ、起こすなって言ったんだ。昨日色々あってな。寝たの三時過ぎなんだわ」

欠伸交じりにそう言う奈落に、パズが鋭い視線を向ける。

「って事は、公園での事件、やっぱり奈落さん絡みか」

「ん、まぁな。さすがだな、情報が早い。……あがれよ」

まだ眠気が払えない奈落は、そうパズに促して、居間のソファに対面して腰掛けた。否、奈落の場合は腰掛けるというよりも寝転がるの方が克明か。

「昨夜の事件を知っているのなら話が早い。その事で吉報だよ」

「吉報?」オウム返しに訊ねる。

「ええ、そりゃもう。この仕事は急展開を迎えるね」

「いいから話せ。何だ?」

そうしてパズは、噛んで含めるように、一字一句を丁寧に唱えた。

「端的に言おう。ルードラントの潜伏先が、割れた」

「マジかッ!」

予想もしない報告に、奈落はソファからその身を躍らせた。姿勢を正して改めて座し、奈落はパズに視線を向ける。もはや眠気など微塵も感じさせない、鋭さを帯びた黒瞳だった。

「でかしたぞパズ。それで、奴はどこだ」

「そうがっつかないでよ。ヴェンズだよ、ヴェンズ。今朝方、女の子と獣車から降りる男を目撃した人がいてね。その人にラナの写真を見せたら、これがビンゴってわけ」

何でもない事のように言うパズだが、その功績は驚愕に値する。今朝の目撃情報を今朝入手し、今朝実際に会い、今朝その情報を奈落のもとへと届ける――並みの人間には到底真似できないだろう。奈落はしきりに感心して、それからあごに指を当てる。

「ヴェンズなら、獣車で五時間……意外と近いな」

「すぐに出る?」

「ああ。いつまでも奴が同じ場所にいるとは限らねえし。全速で追って最速で壊す」

決意表明する奈落は拳を握り、もう一方の手の平に打ちつけた。満足そうに頷くパズは、準備に取り掛かろうとする奈落に手を差し出す。

「そう言うと思って、既に入手済み」

言うと、まるで手品のように獣車用切符が四枚、パズの手中に現れた。言うまでもなくそれは奈落とパズ、それからシルヴィアとラナをヴェンズへと運ぶ切符である。

情報屋はそれを、得意げにひらひらと左右に振った。

「冴えてるな情報屋。報酬は弾むぜ」

「くれぐれもツケと報酬は別口でお願いしたいね」

無視した。だが応じる声があった。奈落の代わりにとでも言うように発された声は、玄関の方から聞こえた。

「その切符、もう一枚用意できるかしら」

意外な声を耳朶に打ち、奈落とパズ、その両者が驚愕する。奈落は着替えを取ろうと中腰になったところで、パズは切符を持ったままで、時が凍ったかのように静止した。

両者とも彼女を見る眼を点にしたまま、状況を把握しかねていた。それだけ、その闖入者は予想外だった。

来訪者は急いで来たのか息を弾ませて、肩を浅く上下させている。額に汗を浮かせ、両膝に両手を乗せて何とか立っている――しかし、その顔は真っ直ぐに奈落を見据えていた。その眼の活力は少しも衰えを感じさせず、焔の如き熱をさえ帯びている。

制服すら着用せず、ナッツ色のワンピースにスニーカーという不恰好な出で立ちで、奈落邸の玄関口に、ヒセツ・ルナは立っていた。

「お前、朝っぱらから何でこんなとこに……」

まだ衝撃から立ち直りきっていない奈落は、闖入者に呆然と問うていた。

「走ってる間にも考えたの。正義と、罪について!」

「……何の事だ?」

奈落は眉根を寄せるが、彼女は構う事なく続けた。

「さっきの公園での事件、犯人はアンタになってたわ。本当は私なのに、火柱をあげたのは壊し屋・奈落という事になってた。そうしてアンタはまた一つ罪を重ねた!」

「まあ、状況証拠からそうなるだろうな」

にべもなく言う奈落だが、ヒセツはそれに異を唱える。

「でもそれはアンタの罪じゃない! 誤解が真実を覆っているのよ、それでわかったの、私は誤解に罪をなすりつけられた真実を、見ようともしていなかったって。それは大事な事なのよ。とても大事な事。でも簡単にアンタを良い人間だと思う事も出来ないのよ。つまりね、正直、まだ整理がついていないわ。でも私の信じていたものが、確かに今朝、そうついさっきよ、見事に崩れ去った。それだけは確かなの。――だから、だから!」


何が言いたいのか、自分でも良く理解できていなかった。奈落邸までの道程で考え続けたが、結局、明確な答えは出なかった。彼女がいま言及している問題は、そんな、わずかな時間で解けるような簡単なものではないのだ。

だから整理されないままにぶつける言葉は支離滅裂で、奈落もその隣りの少年も、呆気にとられた顔をしている。だが、それでも伝えねばならなかったのだ。

ヒセツが捕えた真実の一端を、誤解の土の中から掘り出すために。例え方法が不器用でも、全容が見えなくても、少しでも、出来るだけ多く、それは白日の下へ露にされるべきなのだ。彼女の考える真実の在り方というものは、そういった性質を持つのだから。

いま、ぶつけたい言葉はただ一言。結論を出せないからこそ、いまこそ言うべき言葉は決した。簡潔に、素早く、わかりやすく、それでいて丁寧に、伝えるべき事だけを言えばいい。さあ大きく息を吸おう。肺を膨らませよう。そして祈るように叫べばいいのだ。

「つまり――――――――私も一緒についていくわ!!」


言った。


「はあッ!?」

打てば鳴るような勢いでそう返す奈落は、目を白黒させていた。突然来訪したかと思えば意味のわからない事をまくし立て、挙句、彼女は正気を疑うような台詞を吐いた。

非合法の壊し屋に刑罰執行軍が同行するなど、未曾有の事件だ。そもそも彼女の中でどう論理が展開したのか、見当もつかなかった。

が、冗談を言っているようにも見えない。奈落の困惑など知った事かとばかりに、ヒセツは早口に続けた。まるで、そうしなければ言葉が霧散してしまうとでもいうように。

「考えたけれど、それしか方法がないのよ。私が求めてるのは言葉ではなく実感だから。真実と向かい合う実感を得たいのよ。だからいま模範解答をもらっても、それは納得に至るものじゃない。行動を共にして、私は私の望むかたちで私の納得を得るのよ」

「さっきからべらべら喋ってるが、テメエの納得なんざ知らねえよ。悪いが、俺にはお前と行動するつもりは毛頭ない」

刑軍と行動を共にするなど、いつ寝首をかかれるかわかったものではなかった。だがその態度は彼女の予測の範疇だったのだろう、ヒセツは怯む事なく続けた。

「そう言われると思って、考えてきたわ。交換条件ってやつよ。私はアンタと行動する限り、壊し屋・奈落の罪を不問とする。加えて、最大限の協力を惜しまない」

「俺が簡単に、それを信じるとでも?」

「一昨日アンタが言ったんでしょうが。刑罰執行軍之心得第九条之三項」

「成程」

奈落は規約を心中に浮かべる――刑罰執行軍に所属する者は虚言を弄してはならない。

ヒセツが刑軍の規約に拘泥している事は、最初の襲撃の際に明白になっている。彼女の言には嘘偽りもなければ、誇示もないのだろう。

吟味する奈落を後押しするように、ヒセツはまくし立てる。

「アンタがルードラントに関わってるって事は、薄々気付いてる。昨夜の様子を見てると、壊し屋・奈落はルードラントの破壊を目標にしてるみたいだった。――違う?」

「――なかなか聡明だな」

探りを入れるヒセツに、奈落は肯定の意志を見せる。ヒセツの表情がわずかに驚きのそれへと変わったところを見ると、当てずっぽうだったのだろうか。

「それなら――それでも、私は協力するわ。ルードラントの破壊を。刑罰執行軍としても、昨日のような狼藉を見過ごすわけにいかないもの」

再考してみれば、ヒセツの申し出は決して横柄ではない。むしろこちらに有利な条件だとさえ思える。彼女は「最大限の協力」に対して、「自らの納得」以外に報奨を要求していない。彼女の実力は刃を交えた奈落自身が保証するし、上手く利用できれば体のいい戦闘要員に徹してくれるのではないか。

パズに目配せすると、彼は肩をすくめた。

「ふむ……」

不確定要素は多い。こちらの身を狙う刑罰執行軍を信用するなど、それこそ正気の沙汰ではない。だが、それでも彼女の眼は、信じろと訴えてくるのだ。

子供だな、と奈落は思う――知識を得ようと、初めて問いを放つその姿を見て。疑問に対して、容易く真摯になれるその姿を見て。

自然と、奈落は眼を細める。まるで眩い光を向けられたかのように。そして細められた眼の先に、彼女は立っている。成程、と思った。それで十全なのだ。

「――いい働きを期待してるぜ」


ヒセツは得る――誤解に埋められた真実の一端を掘り当てた、その手応えを。その感触は心地よいもので、彼女は笑顔を浮かべ、しかし鋭く叫びを返した。未だそのほとんどを罪の底に隠された、やがて曙光浴びるべき真実の全容へ。

「当然でしょ!」

叫びは届き、そうして、対立は同盟となる。

彼らは同じ道を辿り行く、各々の目的――真実に救いを、真実に破壊を与えるために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る