咎人の手紙

咎人の手紙/1


壊し屋と呼称される職業がある。名称から窺えるとおり、依頼があれば何でも壊すという仕事柄、実に単純な職種といえよう。

壊し屋を担う人材は、あるいは魔術師であったり、あるいは魔法使いであったり、あるいはただの力自慢であったりした。

また、壊し屋は二種に大別できた。合法のそれと、非合法のそれである。言うまでもなく前者が一般的な壊し屋であり、後者はお尋ね者だ。

一般の、合法である壊し屋は、石ころから家屋まで何でも壊す。

そして非合法である壊し屋は、石ころから人間まで何でも壊す。


――彼は後者に属していた。


「――――――い。―――ください」

ぼんやりと霞む意識が、聴覚からの信号を緩慢に受け取る。ただそれは言語としての解釈を成さず――何か聞こえる、その程度の曖昧な認識に留まった。まだ、瞼が重い。

「―――――きて――さい」

遠くの方で誰かが自分を呼んでいる。ゆさゆさと体が揺すられるが、それが揺り籠のようで心地よい。睡魔に委ねた身は、そう容易には自由を奪取できない。まだ瞼が重い。

「―――きてください」

声は諦めという言葉を知らないのか、幾度となく催促し続ける。そんな懸命な呼びかけにもかかわらず、起床には至らない。瞼は――まあ、もう重くはないけど。

ふう。嘆息の吐息が聞こえる。自分を起こそうと試みている者の吐息だろう。

「奈落様、七時です。起きてください」

嫌です。七時と言えば、日が昇る時間であると同時に、まだ惰眠を貪りたい時間だ。

「奈落様、起きてくださらないようでしたら強硬手段を執行いたしますが、よろしいでしょうか? ………。………。………。そうですか、分かりました。沈黙は肯定と判断します。それでは――お覚悟を」

鍋が降ってきた。


アウトロウ。こざっぱりとして清潔な店内は、十二分に名前負けしているといえた。名前とは裏腹に店は合法であり、日が昇って間もない時間帯でもそれなりの客入りだ。

シャンデリアを模した照明が七つ、その下にそれと同じ数だけのテーブル。それらいくつかには、湯気を立てる調理したばかりの料理が鎮座していた。

店内の、朝の日差しの差し込む窓際の席――しきりに不平をこぼす人影があった。

「ひや、ほんほひんひはんへえほほほうはほ?ほひはいははっへはへほはんへんははほ?」

人語ですらない言葉を話す男――視界を遮る伸ばしっぱなしの黒髪に、吊り上がった黒瞳、悪趣味な赤黒いコート。全体的に黒い装いの彼を彩るのは、両手の甲に飾った、淡い緑色の宝石を埋め込んだ銀飾り。

それが、本名かどうかも怪しい――奈落という名を持つ男だ。

「何も伝わってこないね。食べるか話すか、どっちかにしてもらえない?」

彼は相手の勧告に素直に従う。十分に咀嚼して味を堪能してから嚥下した。

「いや、もう本当信じられねえと思うだろ? 起きないからって鍋の三連打だと?」

毒づきながら、奈落は眼前で湯気を立てるパスタを再度口に運ぶ。静かに清楚に上品に――とは正逆の食べっぷり。口内に含んだパスタに頬を膨らませ、忙しないフォークがカンカンという音とともに皿とかち合っている。

「くそッ、シルヴィアの奴、帰ったらどうしてくれよう」

テーブルの脇に立ち、奈落を見下ろす少年――パズが、思わず苦笑する。

パズ――本名・パズキスト・ケルト。わずかにパーマのかかった金髪、目尻に向かうにつれて吊り上がっていく生意気そうな眼、そして十七歳という若さでありながら喫茶アウトロウの経営を一手に担う、辣腕店主である。

「またかい? 本当に朝弱いねえ奈落さんは。僕としてはもう聞き飽きたよ、その話」

わずかに溜め息を乗せてうめく。話し手は鬱憤が晴れるので何度でも話すが、聞き手はたまったものではない。しかしそんな彼の心情も汲まずに、奈落は更に続けた。

「何だお前、その素っ気無い態度は。年長者にはもっと敬意を払って接しろ」

「――毎日ツケで暴飲暴食する人に払う敬意は持ち合わせていないな」

「お前も言うようになったな」

「そもそも今奈落さんが貪ってるパスタ、僕の朝食のはずだったんだけど?」

長い人差し指で、半ば以上底を見せる皿を示す。

フォークを口の端に咥えたまま、仰いでパズを見上げていた奈落。その視線がゆっくりと指の先を追う。当然そこにはパスタがあり、フォークでつついて――更に一口。

「なお食べるか」

「美味いぞ」

「はいはい光栄です。但し評価なんてものは、お金を払った料理に対してするものだと思うけどね」

頭を抱えるパズは、しかし怒ってはいなかった。毎日続けば慣れるというものだ。

「まったく。自分のお金はどうしたのさ」

「ああ、聞いて驚け。今の俺の全財産は十五レートだ」

にべもなく即答する奈落。ちなみに十五レートでは、サービスしてパスタ一口分相当といったところか。が、パズは彼の回答に懐疑的な眼差しを向けた。

「奈落さん、二日前に『久しぶりの仕事だ』って喜び勇んで出かけて行ったよね?」

「その報酬が十五レートだったんだ」

「引き受けなきゃいいのに……。まあいつもの事だし。いいけどね。――参考までにそのパスタ代、いつ払えそうかな?」

「さてなあ……」

言って、奈落は遠い目で窓外を見つめた。しかし当然ながら、都合よく拾得物扱いの金品などあるわけもなく、仕方なくまたパズへ視線を戻す。

「大人として情けないと思わないのかなあ」

「お前ホントに直球だな」

奈落が半眼でうめく。

「いいか? 壊し屋なんてのは依頼人ありきの職業なんだよ。客がいなきゃどうにも動けん。その点はこの店も共通していると思いがちだが、そいつァ大間違いだ。空腹になる人間は世界中どこにでもいるが、壊したいと思う人間は限られる。まァ代わりに、壊し屋なら腕っ節一つで成り立つし、一度の仕事で大金が稼げるわけだ」

彼の言葉を全て「言い訳」と変換し終えてから、パズは回想するように天を仰いだ。

「成程。それで二日前は十五レートもの大金を稼いだ――と」

笑顔でさらっと言ったが、痛烈な皮肉である。奈落の表情が凍りつき、やがて嘆息する。

「いや実際、非合法の壊し屋なんざ表で宣伝も出来ねえし、そのくせ刑軍には目つけられるし。リスクの割に稼げねえんだ、非合法の壊し屋ってやつは」

奈落がフォークを投げ出し、両腕を後頭部で組む。仰ぐシャンデリアは決して高級品ではないが、彼のコートとは対照的に煌びやかで、ふと羨ましくなる。

「だったら合法の壊し屋に登録すればいいのに。それなら、現場で解体なり災害時の救護活動なりに参加出来るじゃないさ」

「登録した瞬間に刑軍にしっぽ掴まれるけどな」

「自業自とーく」

「どっかに、仕事落ちてねえもんかな」

「流石にそれは無いものねだり――」

苦笑いしながら、パズがそう応じた瞬間だった。

「きゃあああ!」

甲高い叫び声が、店内に響いたのは。

瞬時に緊張が走る。奈落とパズを含め、店内の客全員が視線をぐるりと回して声の主を探す。先程から周囲に目を配っていた奈落は、いち早く騒ぎの中心へと視線を固定した。

彼の視線の先では、若い女性が席を立って悲鳴を上げていた。慌てて立ちあがったのか、椅子が後方へ蹴り倒されている。ある一点を見据えており、奈落は彼女へと駆け寄りながらその見据える先を目線で追う。

女性の視界に映るもの、果たしてそれは、出口へと疾駆する男の姿だった。男は片手に女性ものの白い鞄を提げている。

奈落は刹那で事態の仮説を立てる。悲鳴を上げた女性の鞄を、男が奪取して逃走――そんなところだろう。

「落ちてきたな、仕事」と小さく言いながら、奈落は不敵な笑みを浮かべる。

奈落が女性へと駆け寄ると同時、遅れて事態を把握した一人の客が、男の前に立ちはだかる。しかし、逃亡者は速度を緩めない。それどころか、高らかに絶叫した。

「我、御するは文明の源!」

奈落をはじめ、その場にいた全員が戦慄した。中でも瞠目したのはアウトロウの店主、パズである。彼らは一様に、次の瞬間に訪れる現象を想像して顔を引きつらせた。

「やめろ!」

その叫びは誰の発したものであったか。いずれにしろ、その言葉は全員の心中を代弁していた。迎撃者も例外ではない。彼は逃亡者の絶叫が自分に向けられていると察知するや否や、思い切り右方へ跳んだ。

「業火が爆ぜるは、閉塞の扉!」

続けて逃亡者が叫ぶと、誰もが予想した現象が巻き起こった。文明の源である――炎が、業火と言うべき火力を伴って、逃亡者の眼前に展開したのである。

それは暴力だった。大気中の酸素を貪った火炎は刹那のうちに球となり、真鍮の扉に激突し、容易く破壊してしまったのだ。

代替として現れたのは焦げ目に縁取られた大穴であり、それは逃走経路となる。大穴から店外へと躍り出た逃走者は、あっという間に見えなくなった。

その一部始終に全員が呆然としている中、奈落だけが平静を保っていた。駆け寄った先で尻餅を突いている女性に、横柄な態度で尋ねる。

「おい、アンタの荷物、取り返してやろうか」

声に反応して、女性は奈落を見上げる。伸ばしっぱなしの黒髪、赤黒いコート、信用するには心もとない悪人面。咄嗟の判断に困り、女性は口を閉ざしたままだ。

「俺は壊し屋・奈落。アンタは依頼人。依頼内容は逃走者の破壊。謝礼はあん中に入ってる財布の五割でどうだ。――承諾するなら首を縦に」

すらすらと口上を述べる奈落に対して、彼女はまだ忘我の境で右往左往していた。そして表情を変えないままに、力無く、ただ何度か首を振るばかりだった――縦に。

奈落は笑みを濃くする。

「契約成立だ」

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