浮上する謎は後を絶たず/4
◇
はじめは小さな新聞社だったという。わずか十一名で組織され、スポンサーもコネクションもない、全くのゼロからのスタートだった。だが規模の小ささを補うように、彼らは新鮮で貴重な情報を渇望し、収集していった。
そのうちに、彼らは最も価値が高い情報が何かを実感するようになる。すなわち王室や刑罰執行軍の裏事情、それから戦争についての情報である。知るのが困難な情報ほど、国民の耳目を集める――その結論に至った頃から、十一人は身体的な強さを求めるようになった。王室や刑軍本部など、不可侵の領域へ潜入するために。また、戦場への現地取材から無事に生還するために。
新聞社設立から十年が経過すると、彼らはいずれも強力な魔術師や魔法使いとなっていた。そしてその能力を活かして収集された情報の中には、公表すれば国が傾くのではと危惧するほどの機密事項さえあった。
重要機密は、公表せずとも保持するだけで莫大な金になった。刑軍上層部や王室は、己が立場を守るためならば多額の寄付をいとわなかったのだ。だがその寄付金が、皮肉にも新聞社をより大きな組織へと変えていった。優秀な諜報員を多く雇用し、より広範囲な情報を網羅していった。弱みを握った権力者からは、更なる機密事項を聞き出した。それを利用して別の権力者からの寄付を迫り、それが更に組織を大きくしていき――。
彼らの成長率は他の追随を許さず、やがて情報の分野を独走するまでに至った。
設立から三十年して、新聞社は十一権議会と名を改めた。情報を新聞という媒体で紹介するのではなく、収集して管理・販売する団体へと姿を変えた。構成員は末端まで含めて千五百名。本部の他に支部が百か所。そしてその頂点に立つのが十一名の権議会議員で、もはや彼らの権力は市民の領域を遥かに超え、王室や刑軍上層部に匹敵するまでになった。
人々は十一権議会を、裏で国を操る最大機関と認識しており、果ては未来の情報さえ把握しているのではないかとの噂まで囁かれている。
こうして――王室、刑罰執行軍、そして十一権議会の、三体構造が出来上がった。
三百年前の話である。
「おう! 久しぶりじゃねえか。少しは大きくなったかパズ。がははッ」
ヒセツの耳朶を打つのは、応接室中に響き渡るような大声だった。テーブルを挟んで向かい側に座す禿頭の大男は、グラスを傾けて茶を一気に飲み干した。
角ばった顔を笑みに歪める彼は、二十代前半にも見えたし、四十代前半にも見えた。筋骨隆々とした体躯を誇り、その身長はそれこそ二メートルに達するのではないだろうか。
いかにも窮屈そうにソファに腰掛けているが、同じ型のソファに、ヒセツとパズは若干の余裕すら持って並んで座している。
まるで豪快を絵に描いたような男だ。ヒセツは瞬きすら忘れて目を丸くしていた。
そしてその巨体は、白を基調とした制服に包まれている。誰が見ても間違えようのない、十一権議会の制服である。
「お陰さまでね。エリオほど大きくはなれそうにないけど」
冗談っぽく、パズは肩をすくめる。
エリオ・クワブスプ。それが大男の名前らしい。彼は十一権議会ヴェンズ支部の支部長を務めいているとの事で、確かに制服の襟元には金属製の印章が輝いていた。
情報収集は身体が資本である。身の安全も場所も問わずに情報に食らいつく事で、希少価値の高い情報は得られるのだ。彼が優秀な諜報員である事は、一見して知れた。
「んで? その姉ちゃんはお前さんのコレかい?」
エリオは笑声をあげながら、ヒセツの手首ほどもありそうな小指を立てる。
「まさか」と、パズは言下に否定した。「僕の一番苦手なタイプだもん、彼女」
「それはこっちのセリフよ!」
思わず、ヒセツは腰を浮かせて声を荒らげる。それからここが客室である事を思い出し、咳払いして再び腰を落ち着けた。若干顔が赤くなっていたが、頬杖をついて隠した。
エリオは顎を撫でながら、値踏みするような目をヒセツとパズへ交互に向けた。
「確かに出来てるようには見えんね。相性は悪くないにしてもな」言って、またがははと笑う。「しかし、パズ。お前さんが権議会を離れてもう三年か」
懐かしむように言うエリオに、しかしパズは両手を挙げてそれを制した。
「すとーっぷ。申し訳ないけど、今日は昔話をしに来たわけじゃないんだ」
「ん、おお。そうだったな。何か知りてえ事でも?」
「他にどんな用事でここに来るのさ」
「違えねえ」がはは、とエリオは笑う。見ていて気持ちいい程の笑い方だった。「で、今度は何に首を突っ込んでやがる?」
「ルードラント製薬会社」
パズが端的に答えると、ヴェンズ支部支部長は険呑に目を細めた。
「そいつはまた、でけえな」
「この街に潜伏してるところまでは掴んでる。ただ正確な位置が把握できないんだ」
「そういう事かい。――少し待ってな」
そう言い置いて、エリオは扉の向こう側へ消えた。二人だけになると、やけに部屋が広く、静かに感じられる。エリオ・クワブスプという男が、それだけの巨体を誇り、また騒々しかったという事だ。
「どこに行ったのかしら?」
尋ねるヒセツに、パズは茶をすすりながら面倒そうに半眼を向ける。
「君、もしかして権議会に来るのは初めて?」
「そうよ。アンタみたいに知識の虫じゃないもの」
「失くし物とかした事ないわけ?」
「そりゃ、あるわよ。でも流石に――」
「わかると思うよ」と、パズはヒセツの言葉を遮る。ヒセツは予想もしない答えにたじろぐが、パズは構わず続けた。「あらゆる情報っていうのは、つまりそういう事なんだよ。十一権議会にいると、プライバシーなんてものは幻想に過ぎないって事がよくわかるね。何で構成員が職権乱用――つまり情報を勝手にあさるような真似をしないんだと思う? その事実さえも情報として記録されてしまうって事を、自身で良くわかってるからさ。で、その膨大といってもまだ足りない情報量を管理してるのが、奥にある大至宝書庫。情報書には全て通し番号がふられてて、蔵書数は数えると発狂しそうになるくらい多い。エリオはその中からルードラントについての情報をピックアップしてきてくれるわけ」
「探してくるだけでも何日かかるのよそれ……」
ヒセツはげんなりしてテーブルに突っ伏した。パズは簡単に言ってのけたが、それは全世界の人名一覧から個人を特定する事よりも遥かに難しい。
「まあ確かに、新人だと一週間以上かかったりする事もあるね。でもね、それをサポートするのが支部長の――つ・と・め」
生意気そうに微笑みを浮かべ、人差指を左右に振るパズ。
「………全部の情報と所在を暗記してるとでも?」
「いくら何でも流石にそれは無理。でもどの情報がどこにあるのか、千冊単位でなら把握してるよ。何せそれが支部長になる最低条件だからね」
「私にはなれそうにないわね……」
思い出すのは、刑罰執行軍に入る際の筆記試験だ。あれだって精一杯だった。もちろんそれも、とても容易に通過できる試験ではない。十冊以上の参考書を隅まで精読した。だがそれとは比較にならないほどの蔵書を、あの熊のような大男は読破しているのだ。
ヒセツは何気なく、応接室の隅の掛け軸に目を向ける。
「成程……。文武両道とは、よくいったものね……」
待ち時間は十七分だった。する事もなく時計を眺めていたから間違いない。隣のパズは――在籍していたのは別の支部だったようだが――懐かしむように周囲を眺めていた。別段特筆すべきものが置いてあるわけではなかったが、とにかく彼は退屈していないようだった。ヒセツもそれに倣ったが、すぐに飽きてしまった。
だからエリオが顔を見せた時には思わず安堵の息をもらした。こちらの退屈を察したか、彼は入室するなり苦笑した。それも豪快な苦笑という、とても器用な笑い方だった。
「待たせて悪かった。何せ数が半端じゃないんでな」
「いやいや、この短時間で見繕うなんて常人のなせる業じゃないよ」
「よく言うぜ。客を五分以上待たせた事のねえ生き字引(ブック・ホッパー)が」
「そんな事よりっ。情報見つかったんでしょうっ?」
互いに謙遜し合う二人に、ヒセツは割って入る。彼女からしてみればどちらも常人離れしているのだから、そのやり取りは嫌味でしかなかった。
二人が互いに目配せをして肩をすくめたが、間を置かずに着席したので指摘はしないでおいた。ヒセツも居住まいを正す。エリオが持ってきたのは、分厚い五冊の本だった。
「まず価格の確認からさせてもらえるかな」と、パズが口火を切る。
十一権議会の課金制度は、人件費と情報そのものの値段による。人件費は時間に比例するが、情報は情勢によって価値が変動するため時価となっている。
「それなんだが――」と、エリオは顔をしかめた。「ルードラント関連の情報の価格が、ここ一週間で急落してる」
「何だって……?」
パズとヒセツは揃って眉をしかめる。安いのは喜ばしい事だが、今回の騒動に合わせたかのようなタイミングでの変動とあっては――無関係だとは思えない。
どういう事かは判然としない。パズが緊張の面持ちで、先を促すように顎をしゃくる。
「原因は俺にもわからん。時価の設定は、もっと上の連中の仕事だしな。わかってるのは、そのどれもが五百レート以下って事だ」
「五百レートぉ!?」
ヒセツは驚愕の叫びをあげる。ルードラント製薬会社は、刑罰執行軍でさえ手を焼くほどの組織である。それに関する情報が、夕飯一食分よりも安価だというのか。
開いた口が塞がらなくなったヒセツの横で、パズは乾いた笑いをもらす。
「いよいよきな臭くなってきたね……。まさか十一権議会にまで影響があるとは」
「どれだけややこしいのよ、この件……」
頭を抱えるヒセツを横目に、パズは財布を取り出してテーブルに投げ出した。
「あるだけ聞かせてもらえるかな、ルードラントの情報」
「おう。早速だが、まず奴らの居場所についてだが――」
言いながらエリオは立ち上がって、応接室の窓に歩み寄った。風に揺れる薄いカーテンを開けると、シャッと小気味いい音が耳に届く。
エリオは窓外を太い指で示した。
「見えるか? こっからじゃ随分小せえが、妙に突き出た鉄塔がある」
目を細めると、確かに塔が見えた。彼の言う通りかなり遠くにあったが、平屋の多いヴェンズでなら見分ける事も難しくはなかった。
「壊し屋が探しに行った方向よね、あっち……」と、確認すると、パズは無言で頷いた。
「あそこに、現在ルードラントは潜伏してる」
という事は、既に壊し屋が突き止めて向かっているかもしれない。このまま眺めていれば、やがてルードラントもろとも崩れる鉄塔を目の当たりにするのかもしれない。そんな楽観的な想像をした、次の刹那だった。
「潜伏先――そういう事になってる」
そういう事になってる。胸中に不安をもたらす言い方だった。
「え、何……? 変な言い方しないでよ」
ヒセツは頬を伝う汗を感じながらも、わざと笑って見せる。ひどく不器用な笑みだった。
「まさか――」
パズが息を呑む気配が、濃厚に伝わってくる。エリオの言葉に、彼は何を予感したのだろうか。自分と同じでなければいいと思ったが――果たしてエリオがそれを肯定した。
「フェイクだ」
答えを受けて、ヒセツの全身が総毛立つ。隣のパズが血相を変えて立ち上がり、肺の空気を全て吐き出すようにして叫んだ。
「――奈落さんッ!!」
それは届けねばならない、しかし届くはずのない声だった。
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