浮上する謎は後を絶たず/5


   ◇

一階から八階までは何ら異常はなかった。扉を開けるも、人の姿は見受けられなかった。だが奈落の見る限り、塔内には寝食の跡が目立った。恐らく放棄された段階で、浮浪者が住み着き始めたのだろう。食べかすが転がっていたが、まだ腐ってはいなかった。最近までここに暮らしていたという事か。

(――って事は、ルードラントに追い出された……?)

一階層ごとに疑問を濃くしながら、奈落は九階の扉に手をかける。工事は十階に着手する前に中止になったようだから、これが最上階となる。

(さて、鬼が出るか蛇が出るか――)

奈落はドアノブを回し、慎重に扉を開ける。油断していたわけではない。不意の一撃がある事も想定して、致命的な急所は庇えるような体勢をとっていた。だが、心構えが足りなかった感も否めない。事実、奈落はずらりと砲口を並べた使い魔の隊列に、一瞬とは言え忘我したのだから。理解が追い付くより早く――視界を光が埋め尽くした。


   ◇

冗談のような光景が窓外に展開する。突如、鉄塔の最上階が強烈な光に包まれ、あっけなく崩れ去ったのである。飛び散る破片は下界の往来を襲っているだろうが、いまその心配をしている余裕はなかった。

真っ先に部屋を飛び出していったヒセツを見やって、パズは舌打ちする。

「エリオ!」

叫びの対象となった禿頭の大男は、突然の光景にも関わらず落ち着いたものだった。心得たもので、汗一つかいていない禿頭を撫でつけ、パズに数枚の紙片を差し出した。

「おう、持ってけ。もともと渡すつもりだったしな」

乱暴に受け取り、パズは内容を検めるでもなくそれをポケットにねじ込む。見なくともわかっていた。ルードラントの情報の複写だ。あの短時間でこんなものまで用意した手腕に驚くが、それを称賛しているだけの時間はなかった。

ヒセツに続いて部屋を出ようとするパズは、しかし足を止めた。パズの細腕が、エリオの大きな手にがっしりと掴まれていた。当然、振り解く事など出来ない。

「急いでるッ!」

「解ってらあ、んな事。だがとっておきの情報がある。聞かなきゃ後悔するぜ」

「………高いんじゃないの?」

エリオの真剣な眼差しに、パズは毒気を抜かれた。大男は手を放したが、パズはもう走ろうとはしなかった。その様子に、エリオは満足げに大きく頷く。

「高くねえよ。つうか、サービスだ。どうせ一週間後には公表される情報だしな」

「黙ってたってすぐに知れ渡る情報を、敢えていま伝えたいってわけ?」

「そうだ」と、十一権議会ヴェンズ支部支部長・エリオ・クワブスプは断言する。

「何さ……?」

「十一権議会議員・通称を黄金卿、イルツォル・エルドラドが解任される」

「………ッ!?」

瞠目し、パズは声もあげられずに絶句した。がくん、と突然視界が低くなる。何が起きたのかと思ったが、自分の腰が抜けたのだ。バランスを失い、ふらふらと数歩を後退していき――壁に背を預けられなければ、そのまま尻餅をついていただろう。

力無い笑みを浮かべ、だがそれすらも維持できず、顔をくしゃくしゃにした。

「次から次へと、いったい何なのさ……。おかしいって。いくら何でも!」自嘲気味に、パズは言う。「いったい何が起こっていて、何と何が無関係で、何と何が関係していて、何が原因でどういう結果が待ってるのさ、ねえ……?」

黄金卿・イルツォル・エルドラド。十一権議会の頂点に立つ、十一名の議員のうちの一人。つまり、世界最高峰の魔術師あるいは魔法使いである。最強に数えられるその男に、何かが起こった。そして最大の権力を失おうとしている。それもまた、ルードラントと関連性があるのだろうか。それとも、偶然の一致なのか。

ただの奇跡的な偶然であってほしいと、パズは心中で毒づいた。

「へばってる暇はねえぞ、ほれ」

とんでもない爆弾発言をした当人が、急かすように肩を叩く。彼はがははと笑った。

「おしなべて複雑な因果で結ばれた情報も、紐解いて繋ぎゃ一本の線だ」

「それ、昔僕が言った言葉じゃないか……」

「わかってるじゃねえか」

エリオは口の端を吊り上げて、禿頭を叩いた。そして「わかってるじゃねえか」ともう一度繰り返した。

「……確かに」呼応するように、パズも笑みを浮かべた。

そう。わかっている。どんな謎も、因果は必ず成立するのだ。

礼を言って、パズは応接室の扉を潜り抜けた。と、眼前の障害物にぶつかりそうになり、たたらを踏む。ぶつからなかった事に感心してしまう程――とうに走り去ったと思っていたが――ヒセツは扉から至近の場所にうずくまっていた。

間断のない面倒事にパズは慨嘆しながらも、ヒセツの顔を覗き込んだ。

「何してんのさ!? 大丈夫かい?」

「あ、ああ……大丈夫。ただの立ちくらみよ」

荒く息をつくヒセツだが、彼女は気づいただろうか。パズが一瞬、目を細めた事に。

それならいいけど、とパズは言い捨てて、出口へ続く廊下を駆け出した。

「早く来なよ! ヒセツたん!」

「いま行くわよ!!」


権議会支部の外へ出ると、パズは開口一番悪態をついた。

「何なんだ、この人だかり!」

パズとヒセツの進行を妨げるように、往来は人で埋め尽くされていた。疑問を放ったが、その答えなどすぐに知れた。人々の間に伝播しているのは動揺であり、示し合わせたように同じ方向を向いている。言うまでもない、遥か遠方で崩れ去った鉄塔の様子見だ。

列を為していた権議会への訪問者が、一様に野次馬となって街路を塞いでいた。

と、パズの背中にヒセツがもたれかかってきた。また立ちくらみでも起こしたのだろう。うっとおしそうに撥ね退けて、パズは振り向きざま、ヒセツの頬を平手で打った。

「何を呆けてるのさ! 何のためにここにいるんだ君は!」

檄を飛ばすパズの眼前で、ヒセツは呆然としながら頬に手を当てる。打たれて熱を持った事を確かめるように、しばし撫でて――弾かれたようにパズを睨みつけた。

「何すんのよ!!」

「君が役に立たないからだろッ? 悔しけりゃ、この人波をどうにかしてくれない?」

「はあ!?」と、ヒセツは声を荒らげるが、ふと我に返った。周囲の群衆を見まわし、きょとんとして頷く。「――そんなの簡単じゃないの」

ヒセツが胸元から小さな手帳を取り出すのを見て、パズは「あ」と小さく呟いた。ホテルのロビーでの一件を思い出して、得心する。

ヒセツはパズの前に押し出て、その手帳を――刑罰執行軍である事の証を大きく掲げた。

「刑罰執行軍よッ!」

声高に叫ぶと、まるで一つの生き物のように、群衆の視線が一気にヒセツに集中した。

「道を――」全ての視線を受け止め、刑罰執行軍はその権威を振りかざす。「開けなさい!!」

その叫びに呼応して、人々を支配していた動揺が、瞬時に義務へと転ずる。

ヒセツとパズの周囲に不可視の壁が出来上がったかのように、人波が引いた。彼らはまだ若い下士官に対しても、十分な敬意を持っているのだ。ヒセツは背後のパズを振り返る。

「ほらね、どう?」

「初めて尊敬したよ」

降参するようにパズが諸手を挙げると、ヒセツは勝ち誇るように笑みを浮かべた。しかしその口元も、すぐに引き結ばれる。事態は一刻を争う。こんな昼間に、人々の関心を集めてまで、ルードラントは攻撃を開始した。手段を選ばなくなってきている。

前に向き直り、パズとヒセツは走り出した。人波がそれに合わせて割れて行く。

視線の先、崩れ落ちた鉄塔は絶望的な黒煙を吐き始めていた。

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