浮上する謎は後を絶たず/6
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奈落は、無事を確かめるように四肢を動かした。だがその行為には何の意味もない。四肢は意志をそのまま反映して動くし、何より奈落は傷一つ負ってなどいなかった。
それどころか、奈落が立つ位置は場違い塔の九階などではなかった。彼はいま、人一人がやっと通れる程の狭隘な路地に、無傷で立っていた。
北に目を向けると、程近い位置で崩落した鉄塔が黒煙を上げているのが見て取れる。だがここまで被害が及ぶ事はない――そんな位置関係だった。
奈落は舌打ちする。強烈な光に視界を奪われ、次の瞬間にはここにいた。もちろん、自身の手によるものではない。あの使い魔の隊列に対して、奈落の対応は致命的に遅れていた。奈落を救出した者がいる。そしてその男は、奈落の鋭い視線を悠然と受け流していた。
「転移なんざ、また高度な魔術を使うじゃねえか。――トキナスさんよ」
対峙する男――トキナスは漆黒のサングラスをかけ、相変わらず皺一つないスーツを着こなしていた。ここにいるはずのない依頼人は壁に寄り掛かり、つまらなそうな目を向けている。
「大した事はない」と、トキナスは涼しい顔で言ったものだった。
「謙遜すんなよ。充分優秀だと思うぜ? ルードラントを壊せる程度にはな」
対して、奈落は険しい表情を解かない。強い疑念から来る怒りは、隠しようもなかった。
奈落はトキナスの魔術によって、窮地を脱していた。使い魔の力によって空間を跳躍し、爆発を逃れてここまで転移したのだ。
だが問題はその魔術にある。空間跳躍の魔術は制御が難しい事で知られる。実際、自分でも百回試して一度成功すれば御の字といったところだ。転移先の設定を誤れば――例えば地中や空中に転移すれば――自分の身を危険にさらす事になりかねない。
「俺に依頼するまでもなく、アンタ一人でルダの救出くらい出来るだろ」
「なら頼みなどしない」
「転移して奪ってくりゃいいじゃねえか」
その言葉に、トキナスは沈黙で応えた。たまらず、奈落はトキナスの胸倉を掴んだ。
「いい加減にしろよ……ッ。テメエの行動全部、何もかも辻褄が合わねえんだよ……ッ!」
顔を突き合わせて激昂を露わにしても尚、トキナスは動揺をおくびにも出さない。
「こんな事をしていていいのか?」
問いかけに、奈落は奥歯を噛み締める。彼の指摘の意味を承知しているだけに、二の句が継げなくなる。ならばというわけでもないだろうが、トキナスが続けた。
「貴様が襲撃された以上、ほかの面々にも危険が及んでいる可能性が高い。最大戦力である貴様がここでもたついていれば、取り返しのつかない事になりかねない――違うか?」
その指摘は、奈落の胸中を正確に代弁していた。先ほどの攻撃には、全く容赦がなかった。戦力を惜しみなく投入している。トキナスの魔術がなければ、命を落としていたかもしれない。そしてその危険は、パズやヒセツ、シルヴィアやラナにも迫っているのだ。
恐らくはトキナスもそれを――この状況下であれば詰問を避けられるという事を――わかった上で顔を出している。
掴んだ胸倉を突き放すようにして、奈落は怒りに震える拳を解いた。
「その化けの皮、すぐに剥いでやるよ……ッ!!」
「まるで悪人の捨て台詞だな」
挑発するような物言いだったが、奈落は何も言わずに背を向けた。悔しさが胸中を渦巻くが、気持ちを切り替えねばならない。優先すべきは仲間の無事の確認だ。
路地を出るや否や、奈落は魔術を詠唱する。
「蒼の中、仰ぎの展開、先人の憧憬!」
打てば響くように奈落の足元に展開するは、一対の円盤のような使い魔。奈落は素早く両足をそれぞれの使い魔に乗せ、上昇を開始した。
宿泊先のホテルが遠くに見える。上空を一直線に進めば、五分とかからないだろう。奈落は使い魔に全速力で向かうよう指示を飛ばした。
◇
背後を振り返っている余裕はなかった。敵はすぐそこにまで肉薄している。疾駆以外の選択を一瞬でも取れば、たちまち捕えられるだろう。
初撃を回避出来たのは、まさに僥倖だった。シルヴィアが箒の先端で哀れな梟を打ち上げたら、それがたまたま扉を開けた闖入者に激突したのだ。怯む闖入者の手には短剣が握られていた。ルードラントからの刺客であると瞬時に理解したシルヴィアは、ラナの手をひいて刺客の脇を潜り抜け、廊下へと飛び出した。もともとは元気のないラナを和ませようとしての遊戯だったのだが、思わぬ幸運だった。ついでに、憤怒の表情を浮かべた梟が慌てて追い付いてきたが、シルヴィアは歯牙にもかけなかった。
巻き込みたくはなかったが、シルヴィアは敢えて逃走経路に宿泊客の集まるロビーを選んだ。こちらは二人と一匹、相手は――角を曲がる度に人数を増やしていき――いまや九名。怪訝な表情で棒立ちになっている客達は、そのまま向こうにとって、こちらより大きな障害物となるだろう。
シルヴィアは目端に、並走するラナの姿を捉える。彼女はツインテールを揺らしながら、小さな身体でこちらの速度にしっかりとついてきている。感心する一方で、長くはもたないだろうと判断する。どうしたところで、体力は身体の大きさに左右される。まだ幼い彼女の肺と両足は、とうに悲鳴を上げているに違いない。
(可及的速やかに振りきらねばなりませんね……)
とはいえ、五分ほどの追走劇を繰り広げ、ようやく二階ロビーを抜けて階段を発見したところである。シルヴィアは一足飛びに、ほとんど飛び降りるようにして階段を降りた。続いて手すりの上を駆け降りて来るラナに驚く一方で、シルヴィアは分析する。
(一階ロビーを抜け出口へ到達するまでに五分。戸外へ出て追手を撒くのに更に五分。ラナ様の体力は――もつわけありませんね)
シルヴィアは視界にちらつく梟を見やる。ぜえぜえと耳障りな呼吸を繰り返す使い魔は、がむしゃらに翼を羽ばたかせて飛んでいる。疲労困憊の体だった。
「トリビアジジイ」
「ほっ! 誰が、誰がトリ……ジジ…っか! 囮にはならんぞ鉄面皮いいいッ!」
やっとの事で主張する梟に、シルヴィアは嘆息する。読まれていたか。
「老い先短いのですから、いまのうちに有終の美を成せばいいものを」
「ほけけぇ! いま…いまでは! 国民の二十三パーセントがッ、八十歳以上ッ、時代だ! 年寄りは、大事に…………ッ。………。…………ッ!!」
息切れでとうとう喋れなくなったらしい。シルヴィアがそれを見逃そうはずもなかった。
「トリビアジジイ。私は貴方の足首を掴み後方へ投擲、夢のストライクを目指そうと思いますが、よろしいでしょうか?」
梟は否定の意を叫ぶように、首をぐりんぐりんと大きく回した――声は出なかったが。
「………。………。………。了解しました。沈黙は肯定と判断します。では――御覚悟を」
頷いたシルヴィアは言に違わず、梟の足首を掴み、右足を軸に回転。その遠心力の全てを手先に込め、最大速度で放り投げた。
だが結果は確認しない。軸足を活かしたまま回転を続けて前方へ向き直り、ただちに逃走を再開する。小さく敵がうめくのが聞こえたから、多少の効果はあったのだろう。
「貴方の事は忘れません。覚えている限りは。――はて? 誰の事でしたか」
梟が聞いたら発狂しかねない台詞だったが、いまは指摘出来る者がいなかった。ラナも喋っている余裕はないようだった。
梟を置き去りにして五分、ようやく二人は出入り口を向かう先に見つけた。二階で既に騒ぎを起こしていたから、既に避難しているのだろう――周囲に人影はない。
だが、シルヴィアは足をハの字に広げて急制動をかけ、出口を目前にして立ち止まった。ロビーをぐるりと見回す。周囲に人影はない。但し、こちらに向けて殺気を放つ人間を除いては、という事だが。待ち伏せていたらしい敵影は、視認出来るだけで十五名。
シルヴィアはラナを背後に隠す。だがそれも無意味だろう。敵は既に前方と左右に展開している。すぐに追手が追い付くだろうから、そうなれば包囲が完成する。
「ラナ様」と、シルヴィアは無表情のまま、全方位に注意を向けながら話しかける。「私が出口への突破口を開きましょう。ラナ様はその隙に、どこへなりと」
「出来るん、ですか……?」
滝のような汗を拭いながら、ラナは荒い呼吸の合間に問いを重ねた。
「わかりません」
嘘だった。出入り口付近では七人の男が構えている。シルヴィアが不意を突いたところで、二人の足を数秒止めるのが限度だろう。
「ですが――」と、シルヴィアはラナと視線を交わし、凛とした声音で告げる。「挑まねば、いかなる活路も見出せません」
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