夜襲/7


夜の帳が落ち込んで、日中から一転、世界は闇色に満ちていた。人の姿のない、閑静というよりも寂しいといった感の街路を、ラナは一人歩いていた。何ら特別な意図のない、ただの散策である。二日間とはいえ昏睡状態にあった彼女の身体は凝り固まっていて、それをほぐすための軽い運動だ。

ただ、反対されるだろう事は容易に想像できたので、奈落には何も言わず、黙って出てきていた。なればこその、誰もが寝静まった時間帯での散策だった。日付が変わって二時間といったところか。周囲に人影はなく、家々から漏れる明かりもなかった。

目を盗むように出てきたのには、奈落に対して負い目を感じていたからに他ならない。

家に泊めてもらうためとはいえ、彼に嘘をついてしまったのだから。

奈落やシルヴィア、パズに胸中で幾度となく謝った。良心の呵責に、今にも押しつぶされてしまいそうだった。

――ボクは、記憶喪失なんかじゃない。ルードラントの目的だって、覚えている。

ラナの記憶は、奈落がいま最も求めている類の情報であった。それを記憶喪失と偽り秘する事は、奈落への離反とも判断できる。それでも、言えない理由がラナにはあった。

全て吐露してしまえばどれだけ楽になれるだろう。何度も口を開きそうになって、必死に押し留めた。奈落にしたって、飛躍的に仕事が進むに違いないというのに。

恩を仇で返していた。

それでも、ラナは口を固く閉ざす。真実の供述は、ラナを路頭に迷わせる結果へと直結するのだから。正体を知られれば、ボクは彼らに追い出されるに違いない。

――実際、奈落もシルヴィアもボクにそう言ったのだ。

だから、これからもラナは嘘をつき続ける。

人気のない路地を行く。こうして歩けるのも、帰れば迎えてくれる人がいるからこそ出来る。人との縁が、彼女の警戒心を弛緩させていた。

雲はない。ほのかに照らす月明かりが、道を判別できる程度の明度を、地上に確保している。だから間もなく気付いた。足を向ける先に立つ、夜気に沈んだ人影に。

全身に緊張が走る。まさか人に遭遇するとは思っていなかった。目を丸くすると同時に自分の軽率さを呪ったが、もはや後の祭りだ。

聞こえた音は、嘘をついてまで手中に収めた平穏が、いとも容易く崩れ去る音か。

恐怖で、ぴたりと足が止まる。地に縫い付けられたように足は動かなかった。うつむく視界に、人影の足先が入り込んだ――相手は臆する事なく近づいてきているようだ。迷いのない足音が刻まれるうちに、人影はラナの眼前にまで迫った。

焦燥で、動悸が早鐘のように激しくなる。

ラナは固く眼を閉じた。再び目を開けた時には、人影は消えていてくれるのではないか――逃避でしかない、そんな幻想を想いながら。

が、それは確かに存在している。耳障りにすら思う鼓動を遮って、人影が声を放った。

「ねえ、顔上げてくんない?」

まるで旧知の仲であるとばかりの、気安げな口調だった。それはかえってラナの緊張を煽っていた。それは、相手に、それだけの余裕がある事の証左なのだ。

従順であれ。逆らう事を恐れた彼女はそんな強迫観念にかられた。恐怖に震えながら、ラナはゆっくりと顔を上向かせ、ゆっくりと目を開けた。そして。

――私が目の前に立っていた。

「え……?」

呆気に取られ、ラナは間抜けな呟きをもらす。一瞬、本気で自分の像が鏡に映りこんでいるのかと思った。そう錯覚してもおかしくないほどに、眼前の人影はラナと酷似していた。鋭い観察眼の持ち主ならば、姿勢の差異には気付くかもしれない。遠慮がちな性格を象徴するようにラナが猫背なのに対し、人影は自信を双肩に担うかのように胸を張っていた。そして唯一、一見して分かる相違点と言えば――ラナがツインテールにまとめている長髪を、人影は腰まで下ろしている点か。

ラナの表情が、たちまち歓喜のそれへと変化した。

「――ルダっ!」

人影――ルダは、ラナの豹変ぶりに口元をほころばせた。

「もしかして、今まで気付いてなかったの?」

ルダ。ラナと双子の関係に当たる少女。姿形はもとより、声質までがそっくりだった。髪形まで揃えれば、他人に彼女らを区別する事は不可能だろう。

二人の邂逅で、閑散とした夜に暖とした空気が流れ込んだ。

「本当にルダ? どうしてここにいるの? あの人に、捕まってたんじゃ……」

解放されたラナと違い、ルダにはまだルードラントの言う価値が残っていたはずだ。ルードラント製薬会社が全焼したとは奈落から聞いたが、それはルードラントの自作自演。ルダは未だ捕らわれの身となっているはずだった。

「ねえ、ルダ。どうしてここにいるの?」

幼いがゆえの率直な問い。刹那、ルダは表情を曇らせるが、その理由を察するには、ラナは無垢に過ぎた。風の日の月の如く、ルダの表情は一瞬で明るいそれへと戻る。

「それなんだけど、歩きながら話そ」

聡明な彼女にしては珍しい、もったいぶった言い方だった。それを怪訝に思いながらも、ラナは首肯してルダと並んで歩き出した。月光に照らされ伸びる影の長さは、一ミリさえ相違はなかった。全く同じ身長、全く同じ声質、全く同じ――。

ラナとルダ――双子の歩みは遅々としていた。

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