集結する意志は全容を明かす(上)

集結する意志は全容を明かす(上)/1


   1

それは足音もなくやってきた。皆が寝静まった時間――見張りの交代をして間もなくの事だったから、深夜零時を過ぎた頃だ。

見張りといっても、それほど警戒を要する仕事ではなかった。配備される人数は二十人。休憩所も兼ねたロビーは広めに設計され、各々が思い思いの姿勢で革張りのソファでくつろいでおり、気の合う者同士は賭けごとに興じていた。

そんな気の抜けた態度が許容されるのは、二つの要因があるからだった。まずはその重厚な門構えだ。唯一の出入り口であるその鉄扉は観音開きで、双方合わせれば総重量二百キロを記録する。開くのは容易ではないし、手間取っている間にこちらは援軍を招集する事も出来る。

そして何より――二つ目の要因として、この場所が発見されていないからに他ならない。どれだけの意志を持とうとも、どれだけの大群であろうとも、それを向ける矛先が定まっていなければただ徒労の一言で寸断される。

この場所が発見される可能性は極めて低かった。出入り口は巧妙にカモフラージュしてあるし――実際門が開くのを見るまで、そこが出入り口であると気付けなかった――、捜索の目線が此処に着目されるはずがないのだ。

この二日間、何の危険もなかった。本社炎上からの脱出時も、今日、日没前に襲撃したホテルからの逃走も、問題なく遂行した。後手に回らざるを得ない刑罰執行軍の追跡が始まる頃には、もう目の届かない場所に潜む事が出来るのだ。

だから、鉄扉が突破された刹那、誰もが対応に遅れた。

一体誰に想像出来ようか。発見されるはずのない場所が発見され、尚且つ――二百キロもの鉄扉が一撃で吹き飛ばされるなどと。歪んだ扉は何人かを巻き込みながら、ロビー奥の壁に激突してようやく地に沈んだ。

魔術師による襲撃である事だけはわかった。破壊された門構えから立ち込める噴煙の向こうに、左腕が異常に発達した使い魔の影が見えたのだ。

誰もが呆然として成り行きを見つめている。自分達は観客ではなく、当事者であるというのに。その立場を忘れた見張り役達など意に介する事なく、事態は展開していく。

数秒の沈黙によって噴煙が落ち着くにつれて、視認出来る人影の数は増していった。まず使い魔の術者と思しき人影。続けて見えてきた、左右に展開する人の群れ。

その数――五十は下るまい。

彼らは一様に揃えられた服装に身を包んでいた。対刃耐熱性繊維で織られたシャツの上に、各種武具を収納可能なベスト。両肩と腰、両膝には、衝撃吸収に優れた非鉄式防具。そして、武骨な造りにもかかわらず足音を消すブーツ。

皆、その服装の意味を理解していた。制服、否、軍服である。罪業に対して等価の刑罰の執行を許された者達――刑罰執行軍。

息を呑む光景だった。彼らは無言のままに危なげもなく、何より乱れなく整然と門扉を越え、先頭の十名が横一列に展開した。順次、後方にも十名ずつの列が並び、整列が終わった事を示すかのように、彼らは軍靴の踵を打ち鳴らして背筋を伸ばした。

だが一人、背を曲げて杖をついた者がいる。年の頃で言えば七十を越えているであろう老人である。しかし問うまでもなく誰もが理解していた。彼は、決して徘徊の後に迷い込んでしまった老人ではないのだという事を。

なぜなら彼もまた軍服に身を包み、軍勢の最前列、それも中央に立っているのだから。そして何より、彼こそが鉄扉を破壊した使い魔の主なのだ。

老人はゆっくりとした歩調で三歩を前進する。真っ白な口ひげを撫でながら、好々爺然とした笑みを浮かべて。

「ほっほ、こりゃあ魂消た。本当におったわ」

彼は珍しい生き物でも見るかのような目で、こちら側に立つ全員を見渡す。

「お主ら、ルードラントの一派で間違いはあるまいな?」

誰一人、老人の問いに返答しなかった。だが動きがあった。後方――つまり奥へと続く扉が開け放たれ、次々に人々が現われたのだ。

彼らは、たったいままで就寝していた者達だ。鉄扉が破壊された轟音に目覚め、様子を見に来たと言ったところか。寝ぼけ眼をこすりながら、しかし状況を把握して一瞬で緊張が走ったのがわかった。空気が重い。緊張感は大気に反映されるのだと初めて知る。

老人は援軍を目にしても尚、表情を崩さない。

「おうおう、次々と出てくる出てくる。しかしあれだな、情けないとは思わんかね?」

ほら、そこのお主、と老人が指差したのは、彼から一番近い位置に立つ男だった。男はろくに構えもとっていない。理解していても、納得が出来ていないのだ――刑罰執行軍に、襲撃されているのだという現実について。

「……ん、んだよ、ジジイ」

「お、こりゃあ失敬。人を指差しちゃいかんわな」と、老人は左手で右手の人差指を覆う。「いや何、情けないと思うてな。儂、十年も前から十時にゃ床について五時に起きるのが習慣でな。別に耄碌しとるわけではないぞ。五時になると隣の家の娘さん――今年で十七になるがな――が起き出して着替えるもんだから、それに合わせとるわけだな。明朝だと警戒しないもんでな、カーテンひいてないんだわ」

『いやお前が刑罰執行されろよ!』

と、全員が口を揃える。ルードラント側も刑罰執行軍側も区別なく。

「ほっほ、覗いてるとは言うとらん。証拠不十分」

『最悪だこのジジイ……ッ!』

との罵倒は、流石に刑罰執行軍からは上がらなかった。

老人はそれを聞き流して、閑話休題とした。

「だもんで、つい一時間前まで寝とったわけだ。自宅で。ああ、婆さんとは別室だがな」

彼は揉み解すように両手を合わせながら、言葉を続ける。

「それが緊急だとかで、若いのが家まで押しかけて来よった」

彼は首を回して関節を鳴らす。両手を揉み解す。

「いやはや、全く。老骨一人連れ出さんと戦一つ出来んとは、全く情けない話よの、と儂は文句たらたらなんだな」

そこで、はたと気付く。気付いた瞬間、背筋に悪寒が走った。彼は両手を揉み解している。両手を合わせている。確か彼は、杖をついていなかったか。

焦る思考が全身に警戒を訴えている。だが、どう警戒しろというのか。あの杖はいつから消えていたのだろう。そもそも消えたからといってそれが脅威になるとは限らない。たかが杖だ。否、甘い考えは命取りになる。たかが杖ならば、なぜ敢えて消したのか。

その答えは、次の刹那に顕現した。

問いの矛先となっていた男の足元から、杖が飛び出したのだ。対象となった男はそれを感知していない。眼前に刑罰執行軍が整然と並んでいるのだ、足元に注意を向けるなど、出来ようはずもはなかった。

視認出来るぎりぎりの高速で射出された杖は男の顎を正確に撃ち抜く。彼は予告なしの一撃に何の対処も出来ないまま、仰向けに倒れ、昏倒した。

びりびりと大気が震撼する。にわかに場内が騒ぎ出す。全員が杖一本を脅威と捉え、直面した現実を認識する。襲撃されているのだという現実を、ようやく、正しく認識する。

「ほっほ、足元注意。基本だな。足元固めずに上ばかり見る青二才、個人的には好きなんだがな。経験則だが、総じてそういう輩は――脆いものだな」

緊張が支配する一帯で、老人は満足げに笑ってから――表情を、変えた。

好々爺然とした笑みが、まるで幻の類であったかのように消える。顔を引き締める。

への字に閉じた口からは厳格なる言葉が吐き出されるであろう。

その眼光に射抜かれれば、小動物程度なら死に至らしめのではないだろうか。

鬼のようだ、と誰かが呟いた。鬼軍曹、と誰かが続いた。老齢とは思えない覇気を放つ彼は、その呟きを聞き咎めた。

「……軍曹? 舐めるなよ塵芥。儂はダザン・バチェリス。階級、中佐。儂らがここに来た目的な解っておるな? 自覚はあるか? 貴様らにこの地を踏む権利がない事の。いま現在も現行犯であり続けている以上、言い逃れは出来ん。現時刻零時三十三分、不法侵入の罪業――故に、我が軍勢をもって刑罰を執行する」

そこで、はたと気付く。気付いた瞬間、先刻以上に背筋に悪寒が走った。全身に鳥肌が浮き立つ。総毛立つ。襲う寒さに思わず肩を抱いた。

男を昏倒させた杖――あれから、どこへ消えた?

「昔風に言えば――。いざ、参る」

そこで記憶が途切れた。多分、足元から杖が射出されたのだろう。

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