因果は直列する/7


   ◇

刑罰執行軍・軍曹であるところのラッケン・イヴィスは、安閑たる態度で机に突っ伏していた。だらしない笑みを浮かべる口からは、勤務開始から十回目の欠伸が漏れた。

その部屋には六基の机が備えられていたが、室内にいるのは彼一人だった。ほかの同僚は、例外なく外出中だ。刑罰執行のための出動か、あるいは市街視察か――いずれにせよ刑罰執行軍の任務で東奔西走しているわけだ。

それに対して、ラッケン・イヴィスは何をするでもなく背を丸め、たまに顔を上げたかと思えば雑誌に目を通す始末。

だが彼を責める者はいなかった。なぜなら彼の役割は電話番で、その権利をくじ引きで見事に勝ち取ったからである。毎日行われる電話番争奪戦で、彼がその任を担ったのは二週間ぶりだった。

「外勤と内勤じゃ、天と地ほどの仕事量ですからねえ」

誰にともなく呟く。路地を入れば浮浪者が絶えないヴェンズにおいて、外勤は休む暇がないのだ。いくら刑罰執行を加えようとも浮浪者の数は後を絶たないし、事件が起こればその処理に数時間はかかる。対して、内勤の仕事量はたかが知れている。電話番と言っても、電話など滅多に鳴るものでもなかった。まだまだ普及率の低い電話は、各種宿泊施設や企業ではともかく、一般家屋に配備されるような代物ではなかった。

例え問題が起きていたとしても、大抵それが伝わるのは朝になってからだった。

だから、けたたましい呼び鈴が鳴ると同時にラッケンが菓子を咽喉に詰まらせたのは、無理からぬ事だった。もちろん勤務態度に問題はあるのだが。

「何ですか、ゲホッ。びっくりさせて……」

むせ返りながらも何とか動悸を落ち着けて、ラッケンは毒づく。普段は清楚でおとなしいはずの電話を恨みがましく睨みつけながら、受話器を取った。

「刑罰執行軍ヴェンズ支部ですが」

『もしもし、こちらヘイゼル支部のヒセツ・ルナ・下士官です』

「……同業?」

『はい?』

「いえ、こっちの話です」同業の、しかも他支部からの電話という事は、何か緊急の用件なのだろう――それも、厄介な類の。居留守でも使えば良かったかと後悔するが、後の祭りだ。「あー……っと、貴女の識別ナンバーは?」

『乙二〇〇三五五です』

電話口からの返答を書きとめて、ラッケンは刑罰執行軍名簿と照会する。声の若さから、まだ入隊して日が浅いだろうと当たりをつけ、後ろのページから探してみると、間もなく見つかった。まだ入隊して一年にも満たない少女だった。

新米じゃないかと驚くラッケンだが、彼だってまだ三年目だ。

「はいはい、確認しました。私はラッケン・イヴィスです。で、どうされました?」

『ルードラントの潜伏先がわかりました』

「はいはい、ルードラントですね――」

空き巣の名前だろうか、などと一瞬でも思った自分が恥ずかしい。その名前の意味を正しく認識した瞬間、思わず椅子から跳ね上がっていた。

「ルードラントぉッ!?」

『み、耳元で……』

うめくような声が受話器から漏れて、我に返る。電話口から思い切り叫んでしまった。

「あ、すみません……。いやそんな事より!! あ、すみません、また叫んでしまって」

不平がなかったところを鑑みるに、警戒して受話器を離していたのだろうか。

「本当なんですか? ルードラントが発見されたって」

ルードラント・ビビスと言えば、表向きに製薬会社を営む一方でマフィアとして暗躍しているともっぱらの噂だ。犯罪の証拠がなく刑罰執行には至っていないものの、刑軍の第一級警戒リストに名を連ねる一人である。

そして先日大きな火災が発生し、その被害者もまたルードラントだった。しかし現場に残された不審な点から、自作自演であったとの見解が強まっており、彼の潜伏先は刑軍にとって非常に関心の強い事柄である。

『本当です』と、電話口の少女は、あっさりと肯定した。『それも彼はいま、自分が管理していない土地に潜伏しています。――この意味がわかりますか?』

「不法侵入……ッ!」

『そうです。いま強行に踏み切れば、とにかく不法侵入罪として刑罰執行が行えます。そして、そこから余罪を追及する事も出来る』

ラッケン・イヴィスは息を呑む。これまで刑軍の捜査をかわしてきたルードラントを捕える、千載一遇のチャンスだ。電話番だからと怠けている場合ではなくなった。

ラッケンは気を引き締める。情報を書きとめようと握るペンに、力が入る。

「ルードラント製薬会社の社員も、全員そこにいるんですか?」

『恐らくは、そうです』

「それなら、人員を集めなきゃいけませんね……。周辺支部へも募って、三百人も集まれば御の字ってとこですかね……」

数字としては頼りないが、いつまでもルードラントが同じ場所に潜伏しているとも限らない。それに刑軍を集める動きが察知されるのも好ましくない。

人手よりも速度を重視して、刑罰執行に踏み切る必要があるだろう。

「それで、ルードラントの居場所はどこですか?」

『それが……その前に一つ、言っておかないといけない事が………』

ラッケンは眉根を寄せる。これまで淀みなく話していた彼女だが、急に歯切れが悪くなった。刑罰執行に、何か芳しくない情報が与えられるのか。

彼は焦る気持ちを抑えて、なるべく穏やかになるよう問いかけた。

「何ですか? 何か、問題でも?」

三十秒ほども間を置いて――相手の見えない電話口での三十秒は、それこそ永遠にも匹敵するとラッケンは思った――少女はようやく口火を切った。

『……私は、行軍には参加しません』

「はあ?」と、思わず間抜けな声を返してしまった。「参加出来ないではなく、参加しない?」

確認すると、頷く気配があった。改めて名簿を見やると、まだ十八歳だ。ルードラントに立ち向かうには幼すぎるという事か。

怯えているのだろうと見当をつけて、ラッケンは相手に伝わらないよう小さく嘆息する。

「あのねえ、刑罰執行軍に入った以上、怖いから出動出来ないなんて可愛い言い訳は通用しないんですよ。怯えて給料もらうわけにはいかないでしょう?」

その言葉は、三年前、猟奇殺人犯を前にして臆した自分に、上司が放ったものだった。

「それにそんな勤務態度じゃ、せっかくのルードラント発見の手柄も帳消しになりますよ」

『……構いません』

呟くようなか細い返答に、ラッケンはがしがしと後頭部を掻く。腹の底から湧き上がってくる苛立ちを抑えるのに、かなりの自制心を要した。どうせ内勤だからと煙草を買っておかなかった事に後悔を覚えた。

手柄も立てず、臆病者の烙印を押される事も厭わない――そんな態度が許されていいものか。自分だって殺人犯と対峙して、一生消えない刀傷を右肩に負ったのだ。

「怖がって二の足踏んでても――」

『怖がってるんじゃありませんッ!』

「……っつ」

彼女の叫びが脳内に反響して、耳鳴りが襲ってきた。その声には確かな怒気が込められていた。恐怖していると誤解され、揶揄された事への怒りだ。

ラッケンは見解を改める。彼女は薄弱な少女などではない。恐怖しているわけではない。もし演技だとしたらその名演への称賛として見解を改めよう、拍手に代えて。

どちらにせよ、ラッケン・イヴィスは彼女の心の声に耳を傾けた。

まったく、手痛い報復だ。耳鳴りの向こうからすみませんとか謝罪の言葉が聞こえる。彼女は言葉を続けていた。

『私はいま他にも案件を抱えていて――そっちに専念しないといけないんです。エゴだっていうのはわかってます。でも、いま手放せばずっと後悔が残ると思うんです。ずっと確かめたくて掴みかけた何かから、致命的に遠ざかってしまうような、そんな気がして……』

整理されていない言葉の羅列からは、何も伝わっては来なかった。焦燥と迷いを除いては。彼女自身、行軍への不参加が問題行動であると理解しているのだろう。それでも尚、天秤にかけて吊り合ってしまいかねない命題があるという事か。

「……抱えている案件とやらが、ルードラントへの刑罰執行と同程度には厄介で重要だと言うわけですね?」

『はい』と、彼女は即答する。だからこそ双方の間で揺れているのか。

「……わかりました」と、ラッケン・イヴィスは迷った末に結論を出した。「こうしましょう。ルードラントを発見したのは、私である事にします。そうすれば貴女の名前は出てこないから職務怠慢の烙印を押されずに済むし、私は手柄を立てられる」

幸い、自分以外にこの通報を知る者はいない。発見の経緯などいくらでもでっち上げられる。内勤が暇で地図を見ていたら閃きました――それだって上等な「発見の経緯」だ。

『――いいんですか?』

躊躇いがちな声に、苦笑する。

「恐怖して部屋を出られないって理由なら、許しませんけどね」

ラッケンは一つ思いついて、ああそうだ、と前置きしてから尋ねた。

「じゃあ一つ確認させてください。刑罰執行軍之心得第九条之三項」

『刑罰執行軍に属す者は虚言を弄してはならない』

思い出す素振りさえなく答えが返ってきて、彼女の優秀さの片鱗を見た。

「それを踏まえた上で確認です。貴女がルードラントへの刑罰執行に参加しないのは、恐怖が原因ではなく、それに並ぶほど重大な案件を抱えているから――間違いないですね?」

『ありません』

彼女は打てば響くように答える。真摯な想念が込められた返答だった。

ラッケン・イヴィスは、自分の考えている事に気づいて、また苦笑する。誤解とはいえ苛立ちさえ覚えた彼女を、いまでは部下に迎え入れてみたい等と考えていた。

きっと上司に楽をさせてくれるような、優秀な部下となる事だろう。ああ、否、上司の勤務態度に喝を入れて来るかもしれない。それはちょっと楽が出来そうにないな。

先の事は、ともかく――今夜は忙しくなるなとラッケン・イヴィス・軍曹は結論づけた。

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