夜襲/3
3
奈落がまず始めたのは情報収集だった。
ルードラントが姿をくらませてしまった以上、現状での打開策は皆無といえる。居場所が掴めていないとあっては、壊すも何もあったものではない。時間は刻一刻と過ぎていく。一刻も早く、八方塞を打破する必要があった。
シルヴィアと双子の少女――ラナを先に帰し、奈落はパズと共に火災跡を訪れていた。
自明の理だが、現場とはとかく証拠が残存しやすい。
とはいえ、原因不明の大火事に見舞われた、権力者の屋敷である。もちろん、刑軍や十一権議会が事後処理をするために一般の立ち入りを禁止していた。
が、奈落は非合法であるのだから規制に従う必要はないと開き直っていたりする。
情報屋・パズに事後処理予定の時間帯を調べさせ、合間を縫うように人が居なくなる時間――つまり今――無人の屋敷へと彼らは侵入を果たした。
広大な敷地を持つ社内は見事に陥落していた。荒れ狂う炎に蹂躙された生々しい傷跡で満ちている。窓ガラスは変形し、壁は崩れ炭化し、瓦礫が散り、もはや廃墟そのものだ。
今にも崩れてきそうなボロボロの天井に留意しながら、二人は廊下を進む。
「がさつだね、意外と。会社全体での夜逃げだっていうのに、計画性が見受けられない」
横目で、パズが話を振ってきた。
「ああ、確かにな……」と応じながら、奈落は視線を全体にぐるりと巡らせる。
周囲には奇妙な点がいくつか見受けられた。まず、床に残された痕跡だ。見れば、綺麗に列を三つ成して行進した足跡が残っている。これでは、総勢二千人の社員が、火事場にもかかわらず、規則正しく同じ軌道で歩いた事になる。
更におかしな事に、廊下に転がる瓦礫には、一つの足跡もなかった。全ての足跡が、瓦礫の下に刻まれているのだ。まるで、瓦礫の原因である火災が起こる前に、全員が承知の上で脱出し、それから火をつけたかのように。
「一番おかしいのは、その証拠が残っちまってる点だな」
奈落とパズは、その足跡の行く先を追っていた。
「それなんだよね。これだけ大規模な偽装をしているにもかかわらず、その偽装を、十分に演出できていない。まるで、時間がなかったみたいに」
「時間がない――何かに急かされるようにして脱出した……?」
「ルードラントは脅威に晒されていた。その脅威から逃れるために、偽装工作を謀った」
「自分が死んだ事になれば、その脅威とやらも諦めるだろうと踏んでってとこか。そんでその脅威ってやつは、もうすぐそこまで迫っていた……」
「だとしたら状況は厄介だね。ルードラントを脅威に晒すような存在がいるとしたら、僕らはそれにも対峙する事になる――かもしれない」
奈落は無言で頷く。ルードラントの破壊は、思った以上に複雑な案件であるようだった。ルードラントの組織力に対しては、刑軍でさえ容易に踏み込めずにいた。その彼に逃走を余儀なくさせるような存在がいる――恐らくはカルキ・ユーリッツァとは別に。
慎重に足跡を辿りながら、パズは思い出したように口を開いた。
「そういえば、依頼人も相当に厄介な人間みたいだよ。昨日、少し調べてみた」
「十一権議会か?」
あらゆる情報を収集し、その管理を一手に担うのが十一権議会である。膨大な量の情報は兆単位で細分化され、その全てに対して時価が設定されている。
所持する情報は、文字通りあらゆるものを網羅する。全国民の個人情報、王都の内情、刑罰執行軍の抱える軍事機密……。果ては未来の情報さえ把握しているのではないかとの噂が、後を絶たなくなるほどである。
十一権議会から情報を購入すれば、トキナスの素性など容易に知れるだろう。しかし、パズは肩をすくめてそれを否定した。
「いや、この街には権議会の支部がないからね。それに、質より量で聞き込み重視っていうのが奈落さんの指示だったし」
「そういや、そんな事言ったっけな。で、口振りからして進展あったみたいじゃねえか」
パズは頷く。
「昨日預かった顔写真を見せて回ってみた。とりあえず二百人に訊いてみたら、妙な結果が出てね。二百人中実に四十三人、だいたい五人に一人は『見た事がある』と答えた」
「――ちょい待て。何だと?」
奈落が眉をしかめ、露骨に不審の眼差しを送る。それが本当なら、彼の身元などすぐに調べがつく。にもかかわらず、トキナスは未だに身元不明の正体不明だ。
「見た事があるって言っても、どうにも証言が曖昧なんだ。皆が声を揃えて言うんだよ、『見た事はある。でも、それが誰だか思い出せない』。あまつさえ、『いつ見たのかも覚えていない』と来た。もちろん、偽名だと思われるトキナスの名前を出しても、誰もが首を傾げるばかりだった。非常に興味深いね」
パズの言葉を、奈落は吟味する。それは、とても奇妙な話だった。
トキナスは、パズの調査をもってしてなお身元が判明していない。そこから類推するに、彼は表社会には出てこない人間なのだろうと思う。
しかし、その仮定の一方で彼は不特定多数の人間に目撃されている。それも、五人に一人の割合でしか覚えられず、またどこの誰か思い出せないという形で。
「仮説1.トキナスは旅人で、多数の人間が目撃している」
「そう考えるのは無理があるね。彼の顔には、これといって秀でた特徴はないし。例え彼が放浪の身だとしても、街の通行人に紛れ、誰の目にもとまらず、誰の記憶にも残る事はないだろうね」
ならば、と間髪入れずに奈落。
「仮説2.実はとんでもない有名人である」
「だったらどうして僕らが知らないわけ」
「だとすると、魔術で顔を変えたとかな」
その言葉に、パズは苦虫を噛み潰したような表情になる。
「魔術ねえ……」
「ああ、そうか。お前、魔法や魔術に関しての知識はないんだっけか」
パズは降参するように両手を挙げる。情報屋にも得手不得手がある。
「その辺の知識はさっぱり。魔術で美容整形できるわけ?」
「ああ、例えば――――――――説明面倒だな」
少し待ってろと言って、辟易する奈落は、その場に立ち止まる。パズも歩を止めて奈落へと向き直り、その様子を観察する。碧眼の向いた先、奈落はその黒瞳を閉じていた。彼と五年以上の付き合いになるパズには、それが使い魔を召喚する際の動作だとわかった。
数瞬の間を置いて、奈落は魔術を詠唱する。
「放蕩の賢者、飛び跳ねる知、屋根裏の祭唄」
詠唱を終えると同時、奈落の眼前に白光が膨れ上がる。淡い白を持つ光は球状で、段々と小さくなっていき、密度を濃くしていった。
パズが光の中に、小さな影のようなものを見つけた時だった、ばつんという音と共に、白光の玉が弾けたのは。
「ほほほけ! ん、ん、んー? ッホ、これは、久々のシャバの空気じゃろうのう」
球を卵と捉えるならば、そこに生じたのは雛だった。弾けた球から生まれたそれは体長五十センチほどで、ぎょろりと大きな瞳に茶褐色の羽を持つ、一言で言えば梟であった。
しかしその他の特徴が、それが異形である事を明確に示唆していた。短くも確かに伸びる四肢は人間のそれであり、それらを繋ぐ胴も人間のものと酷似している。そして奇妙な事に、その異形は人語を介した。
「ほほほけ! 奈落よォ、のォ、随分とこの老いぼれを放置してくれたのォ。言うたろうが。この老いぼれに限り、召喚を維持せいと」
「やかましい。使い魔の召喚維持は体力使うんだよ。だいたいテメエみてえな恒常的役立たずなんざ、召喚してても仕方ねえ」
異形の梟は、奈落が召喚した使い魔である。つまり主従関係を結んでいるのだが、奈落を辟易させるほどに、その使い魔の態度は横柄に過ぎた。
「ほけけ。誰が役立たずか。小童が。ん、ん、んー? しかしあれだな奈落よォ、のォ、その恒常的役立たずを召喚したのだな。ツンツン小童が」
梟は奈落の足下へと降り立ち、その翼でぺしぺしと彼の足を叩く。その梟は人間のように表情を露出しないが、馬鹿にしている事だけは理解できた。
早速、奈落は召喚した事を後悔し始めていた。
「ああ……こいつもう還そうかな」
「ほほほけ! ナマ言ってんじゃねェぞコラ。小童が。ツンツン小童が。ん、ん、んー?」と、梟は首を左右に百八十度以上曲げながら唸った。「用事があるのであろう」
「まあ、そうなんだがな……」
「奈落さん、何、この変な使い魔?」
説明を求めるパズは、見れば、苦笑いしながら一歩を退いていた。声に応じて梟がパズを振り返り直視する。口をへの字に眉根を寄せるパズを、梟は値踏みするように、腕など組んで睥睨した。
「ほほほ。この小童、なかなか賢そうではないか。ん、ん、んー?」相変わらず表情を変えずに、梟は首をぐりんぐりんと奇妙に回す。「しかしだな賢き小童。この老いぼれに向かって変とは、失礼極まりないとは思わんかね。名を名乗れ賢き小童」
梟の横柄なる問い掛けに、答えたのは奈落だった。
「こいつはパズキスト・ケルト。情報屋だ。お前には、こいつに魔術と魔法の知識を教えてやってほしいんだよ。パズも、まあ気は休まらないだろうが、こいつ知識だけは本物だからな。だいたい何でも知ってるぜ」
奈落の言を受けて、パズは梟を観察する。その老獪な態度から、確かに博識に見える。ただ仲良くなれそうにはなかった。梟は首をぐりんぐりんと奇妙に回す。
「ほけけ。良かろう。賢い小童ならば教え甲斐もあるというもの。どれケルトの眷属。問うてみよ。知識を求めよ。博識になれ。この老いぼれのように」
梟はパズの方に歩み寄る。ぎょろりと大きな瞳でパズを凝視しながら。
「じゃあ、魔術で整形は出来るのかい?」
「ほほほ。そんな事も知らんのかね、賢くも愚かなる小童」
「奈落さん、僕こいつ嫌いだなあ」と、肩を落とすパズは、梟を指差しながら言った。
「その気持ちは俺も、よぉおおおくわかる」と、奈落も同意する。
「話を聞きたまえ小童ども。整形。せ・い・け・い。出来るとも。手段は二つある。一つは相手の目に干渉する魔術。情報の書き換えという事だ。錯覚を見せ、姿が変化したように見せる。ようは幻の類だな。もう一つは姿形を直接変化させる事だ」
「あっさり言うね。簡単にできるわけ?」
「ほけほけ。出来るとも。その使い魔さえおれば。但し条件があるのだよ小童。賢き小童。前者は術者と対象者が目を合わせておらねばならぬ。後者は人間には出来ぬ」
何でもない事のように言う梟だが、感じた違和感を、パズは聞き逃さなかった。
「人間には出来ない……?」
「ほけほけ」梟が首をぐりんぐりんと奇妙に回す。「副作用という事だよ。形態変化の魔術は確かに可能なのだが、その翌日には術者は死亡する。形態変化とは、つまり突然変異なのだね。それに適応できるほど、人間は便利に出来ていないのじゃろ」
つまり、と奈落が言う。
「魔術で顔を変えた可能性もまず有り得ねえって事になる。目に干渉する魔術じゃあ不特定多数の人間に目撃される事は不可能。後者は言うまでもねえ」
パズがあごに指を当てて、眉間にしわを寄せる。
「そうだね。そもそも、魔術的に可能であったとしても、常識的に『不完全な形で記憶される顔』になんて化けられっこない」そこまで言って、パズは顔を上げた。「そういえば、魔法では出来ないの? 顔を変える魔法」
パズにしてみれば当然の問いだったのだが、奈落は思わず渋面した。それは奈落にとって、パズが無知であるという見解を助長する問いであった。
「お前、そんな事も知らないのか……」
「ほけ。魔法には、単純な破壊としての能力しかないでな。魔術のように空を飛んだり顔を変えたり、傷を治癒する事は出来ぬ」
「へえ、そういうものなんだ。不便だねえ」
「融通の効かぬ暴力なのだよ。そもそも生まれつきの第六感として備わる素質であろう。のォ。便利なはずがなかろうて」
パズと梟の会話を見て、もしかしたらいい組み合わせかもなと奈落は胸中で呟いた。意気投合して何かを画策されたら、それほど怖いものもないが。
誰からともなく、二人と一匹は再び歩を進め始める。足跡を辿りながら、奥へと。
「しかし、トキナスについては結局正体不明か」
「また調べてみるよ。それこそ遠出して権議会に頼ってもいいわけだし。ただ今回の依頼人の場合、調査の成果が上がれば上がるほど、正体から遠ざかってくような気がするんだよね……。徒労感よりタチが悪い」
「ほけけけ。ん、ん、んー? 先程から何の話だね。なァ。賢きツンツン小童ども?」
奈落の肩あたりを飛行しながら、梟が興味深そうに尋ねてくる。それを、奈落は面倒くさそうに手で追い払った。
「あとでパズに経緯を話してもらえ。いまはほかに優先すべき事があるんでな」
「ほけほけ。良かろう、それならば良かろう。約束された解答に限り、待つ事は楽しい。人生の休息点でな」
「……奈落さん、体よく押し付けたね?」
無視した。
それから彼らは歩き続けるも、特に変わった点は発見できなかった。これまでの道程と同じように、崩れた壁と散乱した瓦礫が広がり、足跡は相変わらずその下敷きだった。
そして――変化が起きたのは、ルードラント製薬会社に潜入して、二十三分後の事だった。行進の軌道が辿りついた先、最奥で彼らを向かえたのは広間であった。
「何だ、これ……」
その光景はパズをうならせた。二百人は収容できそうなその広間の、床一面に描かれていたもの――それは、何万もの文字から成る、奇妙な紋様だった。
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