夜襲/2
◇
「何、言ってやがる……」
「言葉どおりだ。娘の救出も達成出来ていない」
彼の口が紡ぐ言葉は、単純明瞭で、しかしそれだけに要領を得ない。写真の少女と同じ容貌の少女を目前にしてなお、彼の口調は揺るがない。トキナスの言葉に、納得がいこうはずもない。シルヴィアの胸元を指し、奈落は誰何の声を飛ばした。
「なら、こいつはどこの誰だってんだ?」
「その娘の名はラナ。そちらは興味の対象外でね。私が救出してほしいのは、その双子の姉であるところのルダだ。解るか? つまり依頼は何一つ遂行されていない」
「双子だと……?」
ラナとルダとは、件の双子の名前だろう。彼の口振りからして、今幸せそうに寝顔を見せるこの少女がラナか。だが追及すべき問題は名前ではない。彼の言葉は、納得できるようなものではなかった。彼は、双子の一方しか引き取らないと言ったのだ。
「アンタ、自分が何言ってんのか解ってんのか? 二人の娘のうち一人しかいらねえだ?五億出してまで娘を助けたいとか言いながら、一方は不必要だと。自分は不審者ですって言ってるようなもんだろう」
静かに激昂する奈落が、不自然な点を列挙し、言及を始める。その横でパズがひっそりと苦笑したが、それにも気付かない。
「だいたい、誘拐なら刑軍に依頼すればいいはずだ。奴らなら無償で救出してくれるだろうよ。とりあえず助けてみたら今度はいらねえ? どういう事だ――答えろ」
「それはこちらの事情だ。答える義理は――」
「何より俺が気にいらねえのは――」彼の言葉を遮って、奈落は明後日の方向を指差して叫んだ。「お前が関わってるって事なんだよ――ミストラル・レイアッ!」
叫びに応じて起きた変化は三つ。パズが驚愕に目を見開き、奈落の指差す方向へと視線を転ずる。対峙するトキナスも、流石に動揺を禁じえない。瞬きと同時に平素な表情に戻るも、確かに刹那の瞠目を見せた。そして三つめ――全員の視線が集中する先で、熱に浮かされるように、大気が揺らいだのだ。その全容は人型に相違ない。
「奈落さんッ」腰を浮かせて鋭い声を発するのは、パズだ。「居るのか、彼女が!」
「ああ、間違いねえな。何の根拠も得られないような、小さな違和感。それに――この独特の甘ったるい空気は、嫌でも想い出させるぜ、あの魔女を」
揺らぐ大気は、やがて色を得る。流れるような金、陶器のような白、そしてそれを包むグリーンイエローが鮮やかに浮かび上がり、それらがそれぞれ頭髪、肌、ワンピースの色であると解る頃、ミストラル・レイアは登場する。さながら、それは神の顕現を思わせた。
「よく、気付きましたわね。勘の良さはお変わりないようで」
柔和な笑みを見せながら、ミストラルは歩を進め始めた。
「久しぶりだな。レイン・ベルの抗争以来か――一年ぶりってとこだな」
ミストラルの歩を、奈落は視線で追う。彼女の歩き方はあまりにも自然で、どこまでも超然としていた。一縷の隙もなく、無駄がない。自然すぎるが故の不自然。彼女はトキナスの横に腰掛け、奈落とパズを交互に睥睨した。
「改めて、お久しぶりですわね。そんなに警戒しないでくださいな。特にパズ君」
「それは無理だ。僕は貴方に随分ひどい目に遭わされてるからね」
パズは剣呑に応じる。彼はミストラル・レイアに好意的でなかった。奈落を通じての知り合いだが、彼女と関わって得をした経験が、パズには一度としてなかった。
「単刀直入に聞くが、お前が関わってる理由は?」
「私はただ、彼に強い壊し屋を紹介してほしいと頼まれましたので、貴方を紹介したまでですわ。それ以外に関わりはありませんから、どうぞ安心してくださいまし」
とは言え、奈落に警戒を解く様子はない。彼女を前に、いくら警戒しても、過ぎる事はない。ミストラルがトキナスを横目で見やると、同意を求める視線と判断したか、彼はそれに首肯した。
「その通りだ。辣腕の壊し屋というから頼んだのだが……見当違いだったようだ」
挑発的に言い捨てるトキナスが、ふと、椅子から腰を上げた。
「時間をとらせてすまなかった。他をあたる。あとは三人で旧交を温めるといい」
それは、もう話は終わったと言わんばかりの態度である。
奈落からの制止の声が上がるまで、彼は出口への歩みを止めようとはしなかった。
「――待てよ」
「何か? あれだけ文句を言っていたんだ。当然、依頼を受ける気はあるまい」
「確かに納得はしてねえ。だからよ、納得させてみろよ」
「無理をしてまで受ける必要はない。何もお前でなくとも、他に壊し屋はいくらでもいる」
「つっても、俺ほどの壊し屋はいないんじゃねえか? 俺の魔術がどの程度のもんか、謀ったアンタなら分かるはずだろ」
「あら、気付いてましたの」
奈落が言外に含めた非難に、ミストラルが感心の声をあげる。つい数分前まで、奈落にその確信はなかったが、彼女の関与が明らかになった時点で、疑念はなくなった。
しばし吟味していたトキナスが、先と同じように腰を下ろした。壊し屋と依頼人、その関係はまだ崩れていない。奈落は組んだ両手にあごを乗せる。
「俺を納得させてみろよ、依頼人。それが出来なきゃ関係はここで終わりだ」
トキナスから開示された情報はあまりにも少ない。疑惑で塗り固められて見えなくなった真実を、彼は求めている。
「いいだろう」とトキナスは言う。「その写真は私の娘のルダだ。そこで眠っているのはラナだ。救出してほしいのはルダだけだ」
「まだ、娘のうち半分を求める理由を聞いていないな」
「ルダが必要で、ラナが不必要だからだ」
「アンタにとっての必要有無の基準はどこにある」
「答える義理はないな。だが何でもいい。愛らしさでも、頭の良さでも、そちらで納得のできる理由を設定してくれて構わない」
「設定ね」と奈落は繰り返す。「聞きたいのは上塗りじゃないんだがな」
「依頼に必要なだけの情報は開示している。そう思わないか?」
その言葉を受け、奈落は言葉に窮する。確かに彼の言は正しかった。例え疑惑に満ちていようと、破壊の対象と報酬が設定されている限り、トキナスの依頼は受けるに足る。
しかし、それを承知していて尚、口を挟む者が居た。パズだ。
「わかりました、いいでしょう。信じましょう。ルードラントに誘拐されたのは、貴方の娘のルダであるという虚言を。貴方が、愛せない娘であるラナを放置する非道な親だという妄想を。但し認めてもらおうか。それらは虚言であり妄想であると」
吊りあがった眼が鋭さを増す。内に秘める鋭さは、時に奈落をも圧倒する。トキナスもまた、その鋭さに穿たれたようだった。
「――いいだろう。私は虚言家である」
パズはトキナスに視線を据えたまま、奈落へと言葉を放つ。
「奈落さん、これで十分じゃないか。認めた以上、あとは僕が調べればいいだけの話だよ」
そして奈落は苦笑しながら応じた。「お前がそう言うなら、いいんだろうな」と。
「随分その小僧を信頼しているな。壊し屋はお前だろう」
「こう見えて、パズは冷静――というよりも冷酷でね、俺よりずっと。そいつが十分だと言った事に、何を差し挟む余地もねえさ」
そう告げた奈落は、だが、と付け加えた。
「最後に一つ要求がある。報酬を上げろ」
「………貪欲だな。五億では足りないと言うのか」
「別に俺の欲が深いわけじゃねえ。ただ、依頼内容と報酬とが不等価だって言ってんだ」
「ルードラントの破壊に対して、十分過ぎる対価だと思うが?」
「そのルードラント製薬会社に、英雄・カルキ・ユーリッツァが関与しているとしても?」
「……何だと?」
今度こそ、トキナスは驚愕の声をあげる。それは同席するパズもミストラルも同様で、一同の視線が奈落の口元に釘付けになった。
「それは、本当ですの?」
「ああ。昨日の火事で、ラナを寄越した人物がカルキ・ユーリッツァだった。間違いなく奴はルードラントに一枚噛んでるぜ。という事は、俺は近日中に、かの英雄と対峙しなきゃならねえ。そいつを考えると、五億じゃとても足りねえな」
トキナスが英雄の存在を知り、閉口し、それから再び言葉を発するまでに要した時間は、奈落の予想よりも幾分か早かった。
いいだろう、とトキナスは言った。動揺を抑えた、平板な口調に戻っていた。
「報酬は十億に引き上げる。但し期限を設けさせてもらう」
「期限?」
「こちらも時間を持て余しているわけではないのでな。丼勘定でいい、壊し屋、依頼達成にかかる期間は、最短でどの程度だ」
トキナスの眼前で、奈落は胸中で計画を練る。自分の力量、おおよその敵の戦力、調査の時間、破壊に必要な準備等を概算し、描く軌道通りに全てが起こった場合について考える。やがて打ち出した数字を、奈落は慎重に告げた。
「最短で一ヶ月だな」
本当は三週間だったが、多くの不確定要素を考慮した結果、一週間の余裕を持った方がいいだろうと判断した。案件を思えば、一ヶ月でも早期解決の範囲内だろう。
「成程。ならば一週間だ」
「ちょい待て」
「それ以上は待てない。妥協する気もない。お前が言える台詞は『はい』か『いいえ』だ」
有無を言わせぬ物言いに、奈落が閉口する。
「じゃあ僕が問おうか。それだけ早く期日を設定する理由を聞かせてもらいたいね」
「断る」
パズの言葉にも耳を貸さずに、トキナスは瞑想するように閉眼した。それは表明だった。最早議論を許さないという、強引な閉塞。その様子を見て、ミストラルが苦笑する。
「この方が眼を閉じた時は、本当にもう意見の一切を聞き捨てますわよ。――奈落君、貴方の返答の仕方は、わかっているでしょうね?」
ミストラルに続いて、パズもその碧眼を奈落へと向ける。そして奈落はトキナスを見る。眼前の隔絶を。閉塞の扉を開けるには、鍵が必要だった。そうして奈落は全てを思う。鍵を持つに必要な全てを。それらは唯一無二の鍵となり、奈落はそれを鍵穴へと導く。
「いいぜ。契約成立だ」
鍵が開く。奈落の言を受けて、トキナスが両眼を開く。
扉が開く。
そして、彼はその扉の向こう側へ行く必要があった。
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