戦火の中で-5

 たぶん意識を失っていたのは数秒の間だったと思う。


 ルーカス先生にかばわれなかったらどうなっていたのか想像できないが、私は無傷でルーカス先生の下にいた。


「……アリシア……無事か」


「先生! 先生! どうして私をかばって……」


 ルーカス先生は私の上に覆い被さったまま動かない。ルーカス先生が近いのは嬉しいがこんな形でハグされるのは不本意すぎる。


 私はルーカス先生が立ち上がらないのではなく、立ち上がれないのだと気付くとルーカス先生の身体の下から這い出て、どうにかこうにか立ち上がった。


 その次の瞬間、更に爆発が生じ、手術室の扉が吹き飛んで私は衝撃で吹き飛ばされた。破片が無数にぶつかり全身に痛みが走ったが、再びどうにかこうにか立ち上がると手術室の中が炎に包まれているのが見えた。手術室の中には酸素ボンベもあるし、引火物もある。爆撃を受ければこうなることも予想されてしかるべきだった。手術した患者さんは絶望的だ。手術室の扉の前に倒れていたルーカス先生の姿も見えない。


「先生! 先生! 返事をしてください!」


「……ここだ」


 ルーカス先生の声が瓦礫の下から聞こえた。手術室から出火した炎はすぐにでも燃え広がろうとその赤い舌をちらちらとさせているが、まだ若干の時間があるように私には思われた。


 私は自分の身体の痛みなど忘れ、ルーカス先生の声がした辺りの瓦礫をどかす。落ちてきた天井のタイルをどかすとどうにかルーカス先生の上半身が現れた。


「先生! 動けますか!?」


「たぶん、大丈夫だ……ただ、右足の感覚がない」


 負傷している可能性がある。負傷直後は痛みを感じないこともあるのだ。


 私は残りの瓦礫をどかすが、もう四方に炎が回り始めている。救助に来る人の気配はない。額から血が流れ、目に入り、私は袖で額を拭い、目を拭く。


「ルーカス先生! 大丈夫です。今、助けますから!」


 私はルーカス先生に助けられたからこうやって動けるのだ。だから今度は私がルーカス先生を助ける番だ。


 幸い、瓦礫を脇によけると下半身が見えるようになった。そしてどうしてルーカス先生が動けないのか理解し、私は愕然とした。ルーカス先生の右足は天井の梁に挟まれて、どうしても抜けない様子だった。


 火災の煙と熱で私はむせ込む。幸いまだマスクしていたから口元にそれを戻す。残された時間はあと僅かだ。


 どうすればいい?


 こんな巨大な梁を私の力で動かすことなどできない。しかしこのままではルーカス先生は間違いなく焼け死んでしまう。


「……君だけでも逃げろ」


 ルーカス先生は自分の右足の状況を把握したようだ。


「そのご命令、断固、拒否します!」


 私は有無を言わさず、行動に移す。自分の力だけでは動かせなくても、てこの原理を使えばどうにかなるかもしれないと思いついたからだ。無駄かもしれない。しかし最後まで諦めずに全力を尽くそうと私は自分に言い聞かせる。


 なにか棒のようなモノがないかと周囲を見ると、ひしゃげた鉄パイプが都合よく転がっていた。だたそれは、炎に晒されて赤くなるまで焼けていた。どうやらストレッチャーの一部だったもののようだ。私はそれを拾い上げ、あまりの熱さに反射的に手放そうとしたが、根性でそのまま握る。時間がない。手術用の手袋がもつ間に救い出すのだ。


 私はルーカス先生の右足の上にある梁と床の間に鉄パイプを差し込む。


 もう私の手の感覚は無い。


「アリシア……」


 ルーカス先生は諦めたような、悲しげな顔を私に見せた。


「先生は黙っていてください!」


 熱いような気がする。だがそれよりも肉が焦げる臭いが鼻を突き、気になった。それが自分の手のひらが焼けているからだということに、そのときの私は気が付かなかった。


 鉄パイプを持ち、肩に乗せ全身の力を振り絞って、てこの原理を使って鉄パイプで梁を持ち上げる。火事場の馬鹿力というやつだ。するとほんの一瞬、ほんの数センチだけ梁が持ち上がった。ルーカス先生が右足を抜くには十分な隙間だ。


「先生! 早く!」


 ルーカス先生は右足を梁の下から抜いた。私は鉄パイプを放り投げようとして、自分の手のひらが焼けただれ、動かせなくなっていることに初めて気が付いた。呆然としているとルーカス先生がかろうじて立ち上がり、私の焼けただれた手を鉄パイプから離そうと、指を1本1本剥がしていく。指を剥がすたびに激痛が走るが、鉄パイプは梁の下に挟まれ、鉄パイプごと避難することはできない。


 黒煙に巻かれて息が苦しくなってもルーカス先生は諦めず、ついに私の手のひらから鉄パイプを離すことに成功した。

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