ロンドンに戻る-4

 そして飛行場に到着するとその被害の大きさに私は呆然とした。管制施設か隊員たちの待機所か分からないが、2階建ての大きなコンクリート製の建物が爆弾の直撃を受けて崩壊し、今も火の手が上がっている。消防隊や飛行隊の隊員たちが救助活動しており、滑走路になっている野原に負傷者が横たわったりしゃがみ込んだりしている。その中には婦人補助隊員の姿もある。私と年齢的に大差ない女の子たちも通信や電話技師として軍で働いているのだ。彼女たちも負傷しているが、崩壊しつつある基地の建物から担架で運び出されてきた負傷者にルーカス先生は目を向け、急いで車から出ると担架に駆け寄った。私も彼を追って、しかし彼のアタッシュケースを忘れずに持っていった。


「まずいな……」


 担架の上の人物は士官らしい中年男性だったが、腹部からの出血が酷い。


「アリシア! 緊急オペだ!」


「はい! 準備してきます!」


 こんな事態に備えて、救急車の中で緊急手術ができるようにしてある。ルーカス先生は他の看護師に他の負傷者に、トリアージに準じてそれぞれ手当を命じ、自分は救急車に運び込まれた負傷者の緊急手術に入る。私は彼の助手として救急車の後部スペースに入った。


 結果から言えば、全力を尽くしても彼の命を救うことはできなかった。爆弾で四散した鉄パイプが肝臓に突き刺さり、出血を止めることができず、失血死したのだ。しかしそれで手を止めるわけにはいかない。遺体を車外に出して、次の重傷者の応急処置に入る。私には終わりがない地獄かとまで思われたが、中軽傷者はドーバー城の海軍病院に運ばれ、重傷者も応急処置が終わり次第、搬送された。


 私とルーカス先生が命を救えなかったことは1度や2度ではない。しかし何度経験しても慣れることがないのが患者の死だ。仕事だと割り切れればいいのだけど、病気や事故ですら心のダメージは大きいのに、戦争ともなるとその心のダメージは特大だ。戦争さえなければ生きていたはずの人が、命を失うのだから。


 朝早くの攻撃で、私たちがこの飛行場に来たのもまだ日が高くない頃だったのに、救急車から出たときにはもう西の空に太陽があった。忙殺されると時間が経つのが早い。朝食べたきりで何も口にしていないが、お腹が減った気がしない。しかしルーカス先生は私に言った。


「さあ。いったんは大丈夫そうだ。今のウチに食べておこう」


 兵隊さんがレーションを配り始めた。あまり美味しくはないが缶詰のビスケットとスープである。食べないと保たないことも分かっているのでどうにかお腹に入れる。


 幸い、飛行場の方に再び爆撃がくることはなかったが、復旧させたばかりの飛行場の電話が早速鳴り、ルーカス先生が呼ばれた。そして戻ってくると私にセブンに乗るよう指示した。そして彼はハンドルを握って、アクセルを踏んでから私に説明を始めた。彼は急いではいるが、安全運転を心がけているようだった。


「今度はドーバーの街が砲撃されたらしい」


「砲撃……ですか。街が?!」


 マクレガーさんたちが心配だ。


「空襲警報が解除されていたから、被害が出ているらしい」


 信じられない。今までも街に爆弾が投じられ、被害が出ることはあったが、それは爆撃に失敗して、撤収するときに余計な重さになるから捨てていった爆弾などによる被害だ。大砲が発明されてからこれまで英国本土が砲撃されたことはなかったが、先の大戦のときからドーバー海峡越しに砲撃できる長射程の砲は開発されていた。要するにいよいよドイツが本腰を入れて上陸作戦の準備を始めたということだ。


 私たちはドーバーの街にまで降り、周辺を警備、交通整理していた郷土防衛隊から砲撃があった地区を聞き、車を走らせた。


 砲撃を受けたのはごく普通の2階建の民家で、跡形もなく崩壊していた。砲撃の影響はその1軒だけに留まらず、周囲の民家5、6軒が大小の被害を受けていた。周囲で郷土防衛隊から応急手当を受けていた負傷者を引き取り、ルーカス先生と私で手分けして手当に当たる。


 しばらく経ってから崩壊した家屋から住民が助け出され、担架に乗せて運び出され、ルーカス先生のところに来たが、先生は手首で彼の脈を取ると首を横に振った。近所の住人の話によるとまた1名が行方不明になっており、日が落ちても懸命に捜索活動が続けられた。私たちは軍から指示を受けて現場に留まったが、行方不明者は午後10時頃に遺体となって発見された。


 砲撃は幸い、その日は1発だけで済んだが、ドーバーの街はこの後、ドイツとの戦争が続く間、実に2300発弱もの長距離砲撃を受ける。多くの建物が被害を被ったのはもちろんのこと、216人が死亡、762人が負傷することになる。私たちはその最初の負傷者を看たに過ぎなかった。


 私たちは今日も疲れ切って、マクレガー邸に戻った。


 するとダイニングには2つのスーツケースが用意されていた。マクレガー夫人に聞くと、子ども2人を親戚の家に疎開させることにしたのだということだった。


「そうですね。ここは子どもたちには危険すぎます。ぜひそうしてあげてください」


 マクレガー夫人は悲しげに俯き、それがいいんですよね、と答えた。


 ショーンくんとエリスちゃんは私の実家で預かりたいと思うほどいい子たちだっただけに、小さな2人が親御さんと離れて生活しなければならないことを思うと、人ごとながらとても胸が苦しくなった。

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