ロンドンに戻る-5
マクレガー夫人が作ってくれた夕食を食べながら、私とルーカス先生は言葉少なに会話を交わした。
「2人がいなくなってしまうなんて寂しくなってしまいますね」
ルーカス先生はスープを飲みながら答えた。
「君は子どもが好きそうだから、とてもいい環境だったのにね」
「そうですか。みんな子どもって好きなものじゃないんですか」
「そうでもないさ。僕は子どもに好かれるのも好きになるのも才能だと思うよ。けれど2人が疎開するのはいいことだね。これからも砲撃は続くだろうから」
「止められないんですか? ドイツみたいに爆撃して……」
「連射しなかったのは砲撃場所の特定を恐れたからだろうし、上空からの偵察を恐れてカモフラージュもしているはずだ。それにたぶん列車砲なら砲撃地点から既に移動しているよ、もう」
列車砲ほども大きなものであれば、きっと高価だろうから、そう易々と破壊されるわけにはいかない。ドイツ軍も必死に防御・隠蔽するのも当然のことだ。
「発見して破壊できたとしてもいたちごっこだよ。戦争はどちらか息切れするまでは延々続くんだ」
もう何年も戦場に身を置くルーカス先生の実感が伴った言葉だった。
「それは私たちもそうですね。息切れしないようにしっかり食べなくっちゃ!」
私は空元気を出して食卓に向かう。ルーカス先生はくすりとだけ笑う。空元気を出した甲斐があったというものだ。
「実は大事な話があるんだ。こんなタイミングで言うことではないかもしれないんだけど……いや、ある意味、子どもたちが疎開するからいいタイミングではあるかもしれないんだが……」
キッチンにはマクレガー夫人がいる。残念だが私の待望の愛の告白ではなさそうだ。もしそうだとしたらとても嬉しいが。
「どうかされたんですか?」
「ロンドンに戻る話が来ている」
「この、ドイツ軍が上陸するかもってタイミングですか!? 確かにそれはこのタイミングで話すことではありませんね。いよいよこの街の人たちがが追い詰められてしまうかもしれないのに、そんなことルーカス先生! できるんですか!?」
私の中で何かが弾けた。この1ヶ月というもの戦場での医療を体験してきた。軍人さんはもちろん民間の人の多くが戦争に苦しめられている。その一助になることは、多くの医療従事者として本懐だろう。
「言いたいことは分かる。私も同じように考えていた。この国には戦場を経験した医師があまりにも少なかったからね。私のように戦場帰りの医者は貴重だった。だからこそこのドーバーに派遣された。けど、この1ヶ月で多くの医者が戦場を経験した。もう僕ではなくてもいいんだ。ドーバーには代わりの医師が来る。僕のような独学ではない、救急救命隊の医師としての教育を受けた医師がね。そういう後進に託して、僕は僕の力が役に経つロンドンに戻ろうと思っている。端的に言えば、ハーレン先生に呼ばれたんだ」
「ハーレン先生に!? それを早くおっしゃってください。ハーレン先生もご無事だったんですね!」
ハーレン先生はルーカス先生の恩師で、私の足の執刀の時にも指導に当たってくれた方で、私もよく知っている。ルーカス先生と同じオランダ人なのでドイツ占領下の大陸に残られているとばかり私は考えていた。
「うん。ハーレン先生も僕と同じようにオランダ軍の病院船に乗っていらっしゃったらしく、そのままフランスに逃れて、女王陛下のロンドン亡命政府のもと、英仏軍とともにダンケルクまで戦ったんだ。僕はハーレン先生が参加されているなんて夢にも思っていなかったから探しもしなかったんだけど……それで、先生はダンケルクの撤退の時にご自身が負傷されてね、復帰されたのがつい先日で、僕がダンケルクで救急救命医をまねごとをしているって噂を聞いたらしいんだ」
「なるほど。それで!」
「この1ヶ月の間にチャーリング・クロス病院にはハーレン先生と僕の技術が必要な患者が手術を待っているほどになったんだ。1人でも多くの患者が回復することで、軍に戻ったり、市井に戻ることで、貢献できることは多くある。だから僕は戻ろうと思う」
「――後ろ髪を引かれる思いですが、それもとても大事なことですね」
そういうことでもなければルーカス先生が戦場から去ることはないだろう。
「アリシアも来てくれるかい?」
「私はルーカス先生付の看護師ですから」
私は胸を張った。自分が恋愛脳だというつもりはないが、この大変な仕事をこなしていく上で、ルーカス先生の側にいるというだけで大きなエネルギーを貰えるのだ。
静かに私たちの会話を聞いていたマクレガー夫人が声を掛けた。
「今までお疲れ様でした。寂しくなりますね……」
「お2人もどうかご無事で……」
私は席を立ち、マクレガー夫人と抱擁を交わした。子ども2人と離れ、私たちもいなくなるのでは、生活が大きく変わることだろう。これもまた戦争の負の部分なのだ。
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