ロンドンに戻る-6

 ルーカス先生は翌日、管轄省庁に連絡し、ロンドンに戻ることが正式に決定した。代わりの医師が派遣されるのが僅か3日後ということで大いに驚いたのだが、その3日間は怒濤の3日間だった。


 13日はドーバーは曇天に恵まれ、ドイツ空軍ルフトヴァッフェの襲来はなかったが、他地区の飛行場とレーダー施設は大きな損害を受けた。幸い、ショーンくんとエリスちゃんが乗る予定の汽車は無事に発車し、ロンドンに向かった。ロンドンで向こうにいる親戚に託し、更に地方に向かうらしかった。私たちは仕事があったので朝に別れを告げたが、戦争が終わったら遊びに来てねと言うエリスちゃんの言葉に、私は固く約束をした。


 私は後に知るのだが、この日が「鷲の日」と呼ばれるドイツ空軍ルフトヴァッフェの上陸に向けた大攻略作戦が発動された日だった。


 14日は映画のような出来事が起きた。ドーバー上空でなんと敵味方入り乱れて200機もの大空中戦となり、英国空軍RAFは2機を損失、5機不時着、ドイツ空軍ルフトヴァッフェの損失は2機のみという大敗を喫した。ドイツ軍の優勢は疑う余地がなく、上陸作戦も近いと英国民は思い知らされた結果となった。ドイツ軍の戦闘機Bfー109の検分に行くよう指示されたが、操縦士は既に事切れており、死亡を確認するに留まった。その夜、軽くだったが、ルーカス先生はマクレガーさんとビールを飲み交わした。ドーバーで醸造されたビールとのことで、ルーカス先生は感慨深げに飲み干していた。


 15日、私たちがロンドンに戻る日、新しい医師と看護師と引き継ぎを行った。そしてマクレガー邸の客間を後に、私たちは駅まで見送りに来てくれたマクレガー夫妻と別れを惜しんだ。


 こうして私たちは約1ヶ月もの間、奔走したドーバーを後にし、ロンドン行き特急列車の乗客になった。2人しか座っていないボックス席で私とルーカス先生は向かい合って座り、車窓を眺める。ついこの前、乗ったはずなのに遠い昔のように思われた。英国南東部から離れれば、戦争の気配は薄くなる。そう分かっていてもまだ私の心は戦場にある。落ち着かない。


「少し、ホッとしている」


 ルーカス先生は車窓を眺めながらポツリと言った。


「それはどういう意味合いで?」


 私には素直に分からなかった。ルーカス先生は私に目を向けた。


「君が負傷せずに済んで」


「……私が、ですか。そうですね。ドーバーにいた誰もが負傷する可能性があって、たまたま難を逃れただけですからね……」


「そう。僕らが生きているのはたまたまだ」


 ルーカス先生が言うとおりだと思う。


「そうですね。運があったんですね」


「ロンドンに着いたら2日ほど休みを貰えるらしい。君も一緒だ」


「そうなんですね……」


 ありがたいことだ。その2日間、私はおそらく看護師寮で爆睡することだろう。ほとんど休みという休みがなかった1ヶ月だ。疲労がたまっている。回復できるタイミングは逃したくない。


「それで君が良ければなんだが……」


 ルーカス先生は言葉を濁した。良ければ――なんなのだろう。期待に胸が躍った。


「良ければ、なんです?!」


 私の心の内がそのまま言葉になった。


「良ければ、ロンドンの名所を一緒に回らないか? 爆撃でも受けてその姿を変えないうちに。そして美味しいものを食べて、英気を養って、また一緒にがんばろう」


 ルーカス先生は自信なさげだった。やはり休みたいのでは、と思っているらしい。しかし私にはその申し出を断るという選択肢は原子1個分もない。


「いいんですか!? 身体を休めなくて!?」


「そんなに疲れないようにしたいね」


「それはそうですが……とっても楽しみです!」


 やった! デート、デートだ! それもルーカス先生から誘ってくれるなんて! それがたとえこの1ヶ月の重労働のご褒美というだけだったとしても嬉しすぎる。


「あー! えー! そのー! どこへ行きますかね!? ああ、ロンドンに着いたら早速ガイドブックを買わないと!! ああ、楽しみだなあ!」


「そんな風に言ってくれて嬉しいよ」


 ルーカス先生は微笑んだ。最近、厳しい顔しかしていなかったルーカス先生が笑ってくれるなんて、単純に喜んだだけなのだが、喜んだ甲斐があったというものだ。


 汽車は2時間後にロンドンのビクトリア駅に到着した。


 まだ戦争の気配がするだけの、戦場になっていないロンドンだ。


 私はホームに降り立ち、ロンドンの空気を思いっきり吸い込むと両手を挙げた。


 よっしゃ! デートだ! デートだぞ! 思いっきり楽しむぞ!


 そう心の中だけで私は叫んだのだった。 

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