ドイツ空軍の襲来-4
真っ暗な中、犬のマックスくんが出迎えてくれ、ショーンくんとエリスちゃんが荷物を持つよ、と出てきてくれた。正直、本当に疲れ切っていたのでとても助かった。
ダイニングで夫人がコーヒーを入れてくれ、ようやく一息つく。
マクレガーさんはテーブルで私たちの様子を聞くためだろう、1人座っていた。
ルーカス先生がマクレガーさんに聞く。
「マクレガーさんたちは大丈夫でしたか?」
「防空壕を作っていて良かったよ。近所の人みんなを収容するにはまだ狭いが、とりあえずなんとかなった」
防空壕は裏手の山の斜面を掘って作っている最中だ。私は安心して頷いた。ショーンくんとエリスちゃんが気がかりだったが、防空壕に避難できれば一安心だろう。
「それは良かったです。マックスくんも入れるくらい大きな防空壕になるといいですね」
「それはとても大変そうだ」
マクレガーさんは苦笑した。ショーンくんが残念そうに言った。
「スピットファイア見たかったな~」
スピットファイアは
「平和なときならそう言ってもいいけどね……」
ルーカス先生はコーヒーカップに口を付けた。マクレガー夫人にショーンくんはたしなめられる。
「そうよ。来ないのに越したことはないんだから」
戦闘機は基本、
ルーカス先生は今日の軍港の様子をマクレガーさんたちに話し、マックスの散歩もすぐに防空壕に行ける程度の範囲で済ませるべきだとショーンくんとエリスちゃんに言い、子どもたち2人は頷いた。
遅い夕食になってしまったが、私たちは夕食をいただき、シャワーを浴びて、ようやく就寝の準備が整った。明日もドイツ軍がドーバーを攻めてくるようなら、こんなものでは済まないかもしれない。私はベッドの上に座って考える。私たちが前線で応急処置をしている間に第2波攻撃が来ていたら、私とルーカス先生はどうしていただろうか。負傷者をおいて自分たちだけ逃げることはいろんな意味でできそうにない。最悪その場合、攻撃の中に残ることになり、死んでいたかもしれない。
うーむ。それは困る。私はまだ死にたくない。やっていないことがあまりに多すぎる。ルーカス先生の側にいられるのは僥倖だが、フランス旅行もオランダ旅行もしていないし、贅沢を言えばアメリカ旅行だってしていない。ルーカス先生にオランダを案内して貰うときは、できればご実家に婚約者として紹介して貰いたいという野望だって叶えなければならない。
死にたくないという気持ちに気付くと、急にルーカス先生に会いたくなった。何故なのかそのときの私には分からなかった。
私はベッドから立ち上がり、念のため例の紙袋をポケットに入れ、ルーカス先生が滞在している隣のゲストルームのドアをノックした。
「先生、起きていらっしゃいますか? 入ってもいいですか?」
「ああ。どうかしたのかい?」
そう聞こえたのでこれはOKと判断し、私はドアを開けて中に入った。ルーカス先生は窓際の小さな机で、これまた灯火管制用に細工された読書用スタンドライトで本を読んでいた。彼は向き直って私を見ると動揺を隠さずに言った。
「パジャマで来られると……その……」
「そりゃ寝る直前ですから。お風呂上がりにいつも見てらっしゃるでしょう?」
「それはそうだけど……」
意識してくれているらしい。それはとても嬉しいことだ。
「寝付けそうになくて……」
私は正直にルーカス先生に会いたいから来たとは言わなかった。
「それはそうだろうね」
私は1歩前に出た。
「これが戦争なんですね」
「新聞を読む限り、ロンドンの方じゃまだ日常の方が勝っているけど。その意味ではドーバーに呼ばれて良かったのかもしれない」
「……戦場に来て良かった、と?」
私に戦場を見せたくないとかつてルーカス先生は言っていたのに。
「遅かれ早かれロンドンも戦場になる。そのときはここの比じゃない。心構えと慣れができていた方が、いい」
ルーカス先生は真顔だ。そういう意味なら私にも分かる。
私はまた1歩、前に出る。ルーカス先生と私との距離は2メートルほどになった。
「ここがルーカス先生が長い間、お過ごしになられた世界なんですね」
ルーカス先生は頷いた。
「そうさ。スツーカの金切り声を聞くだけで身体がこわばって動けなくなる。戦場はどんな崇高な志があったとしても足を踏み入れてはいけない場所だった。僕はそう思っている。でも、人には悪に立ち向かわなければならないときが必ずあるし、また、今は全人類がそうであるべきだ。それでも僕は君を戦場に連れてきたくはなかった。結果、そうではないかもしれないけど、それでも」
ルーカス先生は私をまっすぐに見た。しかしどこかそれは私を見ていないような気もして、不思議な気がした。私を通して他の誰かを見ているような目だった。
「先生は、私のことがお嫌いですか?」
もし私を通して誰かを見ているのなら、私のことが好きですかとはとても聞けなかった。
ルーカス先生は小さく首を横に振った。
「まさか……いつだって、どこでだって、君は眩しい」
意外な言葉に私は続けて聞いた。
「眩しい……?」
「僕が……ううん……大抵の人間は歳をとるとともになくしてしまうのに、今も、それも人一倍、ひときわ目映い輝きを身にまとっている」
「友だちには金髪眩しい、とは言われますが……」
私の髪はちょっとくすんではいるが金髪だ。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
ルーカス先生は苦笑する。
「分かってます。ちょっとボケただけです」
「がんばっている君を見ると僕もがんばれるよ」
「そう言っていただけると……その……嬉しくはあるのですが」
私は緊張してきてしまった。ポケットの中の紙袋は万が一にも先生に襲われるチャンスがあったときに使って貰おうと考えて持ってきたものだが、それを思い出しただけで、私の中にムクムクとルーカス先生を押し倒したい気持ちが湧いてきた。それはとても強くて熱くてそして甘い衝動だ。
わかった。これ。
私はすぐに自分の衝動の意味を理解した。
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