戦火の中で-4
翌日の夜も400人以上が死亡し、750名もの負傷者が出た。普通なら入院するような中傷者でも帰宅させ、動かせる重傷者は地方へ移送し、どうしても動かせない重傷者のみが病棟に残った。
妙なことだが人間は夜間爆撃にも慣れるらしく、毎日続くとそれが日常になる。チャーリング・クロス病院も落ち着くようになり、私とルーカス先生は軍の計画通り、他の病院を回ることになった。救急指定されていない民間病院は看護師や医師が軍に引き抜かれ、救護所や軍の基地や施設の救護室に回されていたので、かなり手薄になっていた。数日の教育を受けただけの補助看護師が穴埋めを期待されたが、当然、すぐにその効果は出ない。どこの民間病院も酷い有様だった。
後に「バトルオブブリテン勝利の日」と呼ばれるようになり、また、私とルーカス先生の運命の日になる9月15日も、普段と同じようにロンドン郊外の小さな民間病院を訪れていた。
そこは平時だったらとても落ち着いている街だと思われたが、今は南東部のどこの街でもそうであるように、ボランティアの自衛組織である地方義勇隊員が街の中の警戒にあたっていた。いつなんどき、ドイツ軍機が現れ、空から落下傘部隊が降下してくるかわからないからである。
私とルーカス先生が陸軍から借りた小さな車で街に入ると、普段は畑を耕していそうな地方義勇隊員に車を止められた。医師であることを伝えると彼はにこやかに民間病院の場所を教えてくれた。
民間病院は街の中心部にあり、3軒隣は小さな教会だった。地方の街では防災用のサイレンが設置されていないことが多く、代わりに非常時に教会の鐘を鳴らすことになっている。この鐘が鳴ったら何かが起きるということをこの街の住人全員が理解している。少なくとも私たちがこの街にいる間、この鐘が鳴らないことを私は祈るしかない。
私たちが看なければならない患者は、トラクターの事故で複雑骨折して、術後1ヶ月が経過し、再手術しなければならない症例だった。とても重大な症例だが、戦時では普通の事故の患者が軽んじられる傾向にあるようだ。
ルーカス先生は患者の足のレントゲン写真を4方向から撮影し、病院の医師と一緒に手術の検討をする。私はその間に手術室の設備を確認する。この手術室でも処置できそうな旨をルーカス先生に報告すると、すぐに手術が決まった。今度いつこの病院に回ってこられるか分からないだけに、機会を逃したくないのだ。
患者がストレッチャーで手術室に入り、私たちは早速手術を始める。骨折箇所が多岐にわたるので全身麻酔だ。手術は4時間かかったが、無事、なんとか縫合まで終えた。私とルーカス先生は疲れ切ってしまったが、どうにか手術室の外のベンチに腰掛け、マスクを取った。
「今日の手術も大変でしたね」
「戦争で後回しになっている患者は大勢いるんだろうな」
ルーカス先生は私の言葉に頷いて応えた。
「でも……」
こうやってルーカス先生と2人で外回りできることに私は幸せを感じている。キス以上の関係にはなれないかもしれない。それでも一緒にいられるこのときを大切にしたいと思う。
私はルーカス先生の手を取り、言った。
「こうやって1つ1つ一緒にがんばれるだけで私は幸せです」
「……アリシア」
ルーカス先生が私の瞳を見つめたそのとき、教会の鐘が鳴り始めた。空襲警報である可能性が高い。
「こんなところに!」
おそらく
「防空壕に避難しましょう!」
私はルーカス先生に言ったが、そのときにはもう鐘の音に交じって複数のエンジンの爆音とプロペラ音が迫ってきていた。
私たちは病院の外に出て空を見上げる。すると雲間に特徴的なシルエットを持つ双発爆撃機の編隊が近づいてきているのがわかった。
「まずい! 患者を避難させないと」
「はい!」
防空壕の場所は事前に確認している。ここからそう遠くない場所にある地下倉庫だ。そこまで手術を終えたばかりの患者を連れて行くのはリスクが高い。それでもルーカス先生も私も見捨てる気にはなれない。
私たちは病院の中に戻り、手術室への廊下を駆け足で走る。
あと少しで手術室というところまで来たそのとき、私の身体はすさまじい衝撃波に見舞われて手術室の扉に叩きつけられ、頭の中に火花が飛び散った。
そして一瞬、私は意識を失う。
気が付いたあとも頭がクラクラしたし、爆音のために耳がよく聞こえないようだった。ぼんやりする視界の中、何が起きたか、そして今、自分がどうなっているのか確かめようと私は目をこらす。
辺り一面、爆撃による破壊によって天井が崩落し、壁が崩れ、屋根も破れて、土埃が舞う中、外から日差しが射し込んでいた。廊下には瓦礫が散乱しており、その瓦礫を払ってルーカス先生が膝を着いて立ち上がろうとしている。
「アリシア! 無事か!!!」
ルーカス先生は立ち上がり、私を見つけると叫んだ。
「先生! ルーカス先生!!! 私はここです!」
私も身体を起こし、立ち上がろうとするが膝が震えていうことを効かない。
「アリシア! 危ない!」
私は何を言われたのか分かなかったが、直感的に頭上を見上げる。そこで天井が梁ごと落ちてきそうになっていることに気付いたが、足は咄嗟には動かない。ルーカス先生は躊躇なく跳躍して私の上に覆い被さり、その次の瞬間、再び私は意識を失った。
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