ロンドンに戻る-2

 空を見続けていると阻塞気球を避けて固定脚のガルウイングの急降下爆撃機スツーカの3機編隊が現れ、私はとても驚いた。迎撃機インターセプターはBf-109を押さえるので精いっぱいで、侵入を許したのだ。


 スツーカは金切り声を上げながら港湾施設に爆弾を投じ、引き起こして空に帰って行く。金切り声は地上の兵に恐怖を与えるために音を発生する装置をわざわざ取り付けているらしい。実に厭らしいことだ。


 爆撃を受けたドッグは爆弾が爆発すると屋根が吹き飛び、爆風で破片が舞い上がるのが見えた。空襲警報があったから人的被害はさほどないはずだ。おそらく私たちの本番は2時間後くらいになるだろう。また復旧作業が振り出しに戻ったわけだ。


 ドーバーへの攻撃は間が開いて30分ほど続いたが、ドイツ軍は引き上げていったようだった。ドーバー海峡上に待機していた高速艇からパラシュート降下で脱出した操縦士を回収したという連絡が入ってきた。いよいよ出番だ。


 救急車とともに桟橋に行き、高速艇の着岸を待つ。波間に高速艇が見え、無事に着岸するとタラップがかけられ、毛布に包まれた要救助者が担架で運び出される。


 ルーカス先生は操縦士の容態を確認する。顔は真っ青で低体温症を起こしていることは明らかだが、火傷も負っている。


「低体温症は軽度。火傷の方がひどいな。無事なところは切って脱がせてくれ」


「分かりました」


 私は応援の看護師さんたちと一緒に操縦士のパイロットスーツをハサミで慎重に切り刻んでいく。低体温症から回復するためには濡れた服を脱がさなければならないが、火傷した部分は無理に脱がそうとすると火傷がズリ剥けてしまう。なのでここでは無理はせず、海軍病院にあとの処置を託す。


 その間にルーカス先生は意識がある操縦士にどこが痛いか聞いている。どこまで脱がせられるか考えているのだ。脱がせることができたところから温かいタオルを巻いていく。その作業が終わると救急車に搬送をお願いする。ショック症状が出ていないのでルーカス先生がモルヒネを射つことはなかった。


 2隻目の高速艇が戻ってきた。今日は特に忙しくなりそうだった。


 その日は海軍病院には行くことなく、港湾で負傷した人たちの手当に忙殺され、1日を終えた。マクレガー邸に戻った頃にはクタクタになっていた。昨日が平穏だったので体力を温存できていたことが本当に良かった。


 温かい食事とシャワーがあることが本当に幸せだ。シャワーを浴びた後もダイニングに残り、ルーカス先生はマクレガーさんと一緒にラジオを聞きながらクロスワードパズルをし、私はエリスちゃんに絵本を読んでいたはずが、そのうち疲れて情けないことに逆に呼んで貰っていたりした。しかし絵本はとうに卒業したはずだったが、改めて読んで貰うと思うところがあるものだ。


 エリスちゃんのおねむの時間と大して間をおかず、私の瞼も重くなった。うとうとしているとルーカス先生が私に声を掛けた。


「ほら、もう寝よう」


 ルーカス先生がのばしてきた手を私は寝ぼけ眼で取り、そのまま2階に上がる。温かくて大きな手。それだけで安心できる。


 ルーカス先生は私が寝泊まりしているゲストルームのドアを開け、私の手を離した。


「明日も晴れだってマクレガーさんが言っていたから明日もきっと大変だよ。おやすみ」


「おやすみなさい」


 私は疲れて眠くて何も考えないでベッドに倒れ込んだ。ドアが閉められる音がした。時間が経ち、少しだけ考えられるようになるとルーカス先生の優しさが思い出され、ほんのり温かく、嬉しく思った。


 私とルーカス先生の関係が元のように戻れたのは、私の方の心の整理がついたからだと思う。たとえルーカス先生の中に今は亡き恋人への想いが消えずに残っていたとしても、それが今のルーカス先生なのだ。私が好きになったのは5年前の快活で格好いいルーカス先生であることは間違いない。しかし再会してからのルーカス先生もまた、私にとっては変わらずに好ましい存在であり、大好きというだけでは足りない存在だ。だから、ありのままを受け入れるしかないのだと私は思う。今のルーカス先生も大好きな以上、それ込みで好きでいるべきなのだ。その想いを消して欲しいなんて考えるのはエゴだ。


 私に振り向いて欲しいとは思う。しかし強制的に彼の気持ちを変えられるはずがないのだから、無理はしない。確かに1歩また1歩、距離を詰めて、仕事上だけでなく、彼の心の支えになれる日が来るまでがんばるしかない。


 いかん。私はベッドに倒れ込んだままの体勢で固まっている。毛布くらい被って寝ようと思うのだが、睡魔の力が強すぎて身体が動かない。ドーバーは夏でもお腹に毛布を掛けていた方が安心できるくらいには夜中に冷え込む。私はぐぬぬと必死で理性を働かせ、寝返りを打って仰向けになり、どうにか毛布をお腹の上にかけた。最低限これでいいだろう。ぐう。

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