ドイツ空軍の襲来-2

 私は海の方に目を向けた。ドイツの爆撃機はフランス本土からやってくる。この標高だとフランス方面の様子が窺える。天気が良ければ陸地が見えるほどだ。


 そしてすぐに砲撃音が聞こえてきた。高射砲の砲撃音だということは私にも分かった。演習を見たことがあったからだ。


 軍港の上に幾つもの阻塞気球が浮かんでおり、その間を縫うように白い輝きが見える。その輝きは空に線を作り、線は徐々に落ちていく。


「始まったな」


 ルーカス先生が軍港の上空に目を向けて言った。


「何が始まったんですか?」


「空中戦だ。あれは曳光弾の輝きだ」


「曳光弾?」


「弾道が分かるように光を発する銃弾を機関銃に詰めておくのさ。ああ、Bfー109は『砲弾』だな」


 ルーカス先生が言っていることはよく分からないが、きっと重要な違いなのだろう。Bf-109は私でもわかる。ドイツ空軍ルフトヴァッフェの主力戦闘機のことだ。


「だけど急降下爆撃機スツーカがいないな……」


 スツーカも知っている。金切り声に似たサイレンを鳴らしながら急降下爆撃し、狙いを外さないと言われているドイツ軍快進撃の立役者だ。


 曳光弾の輝きを目で追っていると、黒い影が急降下して、別の影とクロスしたのが分かる。戦闘機同士の戦いだ。上空から戦闘機が急降下し、下方の戦闘機を狙ったのだ。しかし火を噴いた様子はない。敵機が味方機か分からないから、喜ぶわけにもいかない。


 それでも高空から3機編隊が続いて降りてきて、降下速度を活かしつつ機体を引き上げたのが見えた。阻塞気球を回避し、戦闘機から逃れてきた双発機だ。英国に双発戦闘機はない。ドイツ軍機だ。エンジン音もまたすさまじい。高射砲の砲撃音にも負けないくらいかと思うほどだ。


 その双発機から黒いものが無数に落ちたかと思うと、軍港の上空で派手に炸裂した。軍港までの距離は1キロも離れていないので、その爆発の衝撃波は街路樹を、車全体を揺らし、私の耳を貫いた。キーンとして一時的に何も聞こえなくなるが鼓膜は無事だったようだ。あの様子では軍港に停泊していた軍艦は無事では済まないだろう。


 セブンはドーバー城がある高台から降り、軍港を左手に見て、マクレガー邸の方に向かう。


「軍港から離れるぞ」


「それが賢明ですね」


 街路樹が高く生い茂っているところまで来ると軍港の様子だけでなく、その上空の様子もわからなくなる。ルーカス先生はハンドルを握りながらラジオのスイッチを入れたが、ラジオはまだこの攻撃のことを伝えていない。それはそうか。


 セブンは何かに遮られることなく病院まで戻ってきた。しかし病院はドーバー城と対になる要塞の裏手に当たる。攻撃対象にならないとは限らないので、北側の高台の上にあるサッカー場の仮設病棟へ向かう。


 私は車の窓を開けて何か分からないか、頭を出して軍港の方を見るが、木々が邪魔で何も見えない。しかし低空で、しかも直近で空中戦が行われているからか、銃撃音が聞こえる。


「先生。まだ戦闘が続いてます」


「そうだろうな。始まったばかりだ」


「これからどうするんですか?」


「戦闘が落ち着き次第、仮設病棟に置いている医療器具を持って軍港に戻る。被害は大きいはずだ。行かなくてはならない」


 ルーカス先生は、今まで私が見たことがない顔をしていた。そう。おそらくこれが、戦場で治療に当たっていたルーカス先生の姿なのだ。そして私の知らない5年間に身にまとった空気そのものなのだ。


「私も行きます」


「君は――」


「私はルーカス先生付の看護師ですから!」


 ルーカス先生の勢いを上回るだけの勢いがなければ置いて行かれるに違いない。そう私は考えて、かなり大きな声で彼に宣言した。


「君が知らない世界だ。知らなくてもいい世界だ」


 ルーカス先生はチラリとだけ私を見て応えた。


「もうここが戦場です。まだそんなこと言っているんですか?!」


 ルーカス先生は前に目を戻し、サッカー場の屋内施設――今は仮設病棟――の前に車をつけた。


「ついてきてくれ」


 私は言葉では答えられず、ただ、頷いた。


 私たちは仮設病棟を担当していた医師に話をし、必要なものを車に積んでいく。戦闘音はかなり小さくなり、戦闘機のエンジン音はもう聞こえない。どうやらドイツ軍は戦果を得て引き上げていったらしい。この辺りから軍港の様子を窺える高台はない。海岸線の道路まで出る必要がありそうだ。


「どうしますか?」


「さっき行ったとおりだ。軍港に向かう。途中で止められたらそれまでだが」


 私は頷いた。


 ルーカス先生は再びセブンのハンドルを握り、軍港に向かう。私はルーカス先生に話しかける。


「マクレガーさんたちは大丈夫でしょうか?」


「防空壕を掘っていたからな。今頃、避難しているだろう」


「だといいんですけど……」


 私が心配しても彼らに何かできるわけではない。私は私で、今、できる最善を尽くすだけだ。


 海岸線の道路まで出ると、警官が道路を封鎖していた。何台もの車が前にあり、警官と話をすることができなかった。ルーカス先生は運転席から降りて、警官と話したあと戻ってきて、反対車線を通って軍港方面に向かった。


「お巡りさん、何かご存じでした?」


「空にはもうドイツ軍はいないそうだ。ただ、軍港でまた爆発音がしたらしい」


「誘爆でしょうか」


「おそらくな」


 私は息をのんだ。ロンドンで、そしてドーバーで多くの負傷者を見てきた私だが、直接、戦果に見舞われた場所に行くのは初めての体験だ。どれほど自分がショックを受けるのか見当もつかない。しかし覚悟を決めればそのショックは最低限で済む。そう信じるしかない。

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