私の初恋-3
私は事務の人に案内されて、3階病棟の個室に落ち着いた。とても狭い個室だが、6人部屋8人部屋が当たり前なのに個室はVIP待遇だ。ありがとう大叔父様。しかも病室なのに扇風機にラジオまで完備されている。素敵!
窓からの眺めを確かめる。周囲も同じくらいの高さの建物ばかりなのであまり眺めは良くないが、眼下にはロンドン名物の2階建てバスが行き交っている。市内に4千台も走っているというからびっくりだ。タクシーや馬車もいっぱい走っているし、人通りも多い。さすが世界一の大都市、ロンドンだ。バーミンガムだって大都会だが、ロンドンと比べると人口密度が違う。
ラジオを点けると、スピーカーから午後の番組が流れる。お便りを読むDJと軽やかな音楽がメインの番組だ。なんて素敵な午後だろう。
私はベッドに腰掛け、ちょっとだけ痛む右足をさすった。今まで苦労をかけた友だちだが、その友だちがまっすぐ背筋を伸ばすことができるようになるなんて夢のようだ。もちろんロンドンの病院で個室生活ができることも夢のようだ。
「おお。さっそく病院生活を満喫しとるね」
白衣の初老の男性がノックをして個室に入ってきた。後ろには背の高いルーカス先生の姿もあった。私は立ち上がり、ハーレン先生にご挨拶した。
「初めまして。アリシア・ストーナーです。ほんっとうにお世話になります」
「いやいや。これも縁というものだ。若いお嬢さんには申し訳ないが、学生たちの見世物になることは辛抱してくれよ」
「はい。覚悟の上です!」
「いい返事だ。君の大叔父上もきっと喜ぶだろう」
ハーレン先生は笑みを浮かべる。ハーレン先生と私の母方の大叔父は知己の仲なのだという。そしてたまたま偶然にも大叔父が私が書いた作文が載った文集を手に取り、私の作文を気に入り、調べてみたら遠縁で、そのあとハーレン先生と、更にたまたま久しぶりに会い、作文の話をしたらハーレン先生が乗り気になって、大叔父が今回の手術費を全部出してくれることになったのだ。偶然とは本当にすごい。めちゃくちゃ幸運だったのだ。よくあんな作文をコンクールに出したものだ。中学生の自分。偉い。
ルーカス先生はハーレン先生の後ろでニコニコするだけで何も言わない。
「そういえばルーカス。帰ってくるのがずいぶん遅かったな。なかなか会えなかったのか?」
「まあそんなところです」
ルーカス先生はそううそぶいたが、私は嘘が嫌いだ。
「いいえ。トラファルガー広場に案内していただいて、プレッツェルをご馳走していただいたんですよ!」
ハーレン先生は、ははーんと納得したような、おかしがっているような笑みを浮かべてルーカス先生を振り返り、見上げた。
「お前、若くてかわいい女の子のエスコートできたもんだから浮かれてたな」
「さあ、どうでしょう」
そんな風に私のことを言ってくれる人は地元にはいない。だからリップサービスだよねえと思わざるを得ない。
「まあいい。あとでゆっくり話を聞くさ。そうそう、アリシア嬢。今日はこれから何もないから荷物を整理するといいよ。明日から検査だ。学生の前にも出て貰わないとならない。いろいろガマンだけど、頑張れるかな?」
「もちろん!」
「いい返事だ。じゃあ、また明日だ。ルーカス、行くぞ!」
「仰せのままに」
ハーレン先生は個室から去り、ルーカス先生は1度振り返って小さく手を振ってから個室の扉を閉めた。どうやらルーカス先生にお会いする機会はこれからもありそうだ。
大変なことが待っていることは分かっているが、私はこの先が楽しみで仕方がなくなっている自分に気が付いた。
なんといってもまたルーカス先生に、あの素敵な笑顔に会えるのだ。
あれ?
私はルーカス先生のことばかり考えている自分に気が付いた。
もしかして私、ものすごくルーカス先生のことが気になってる?
なんだろう、この気持ち……
ラジオのスピーカーからは流行歌が流れていた。
女の子が初めての恋を歌うその曲は私の耳に自然に入ったけれど、別の耳から抜けていくようだった。歌詞が頭に残らない。残らない理由はルーカス先生のことばかり考えているからだ。
この突然自分に生じた気持ちがその歌と同じ「初恋」だと気が付くまで、私にはもう少しだけ時間が必要だった。
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