スペインのアリシア、英国のアリシア-2
ルーカス先生はICRCの活動がひと段落付いたことで、1度オランダに帰国。続いて、ある宗教団体が資金提供する人道支援活動に参加し、スペインに戻った。人道回廊は設置期間が限られており、救える人の数にも限界があったため、別のアプローチをとることにしたのだという。
それが1938年の1月のこと。場所は当時、人民戦線の政府が移転していたバルセロナで、内部分裂で弱体化していた人民戦線はドイツ軍の支援を受ける反乱軍に押され続けていた。
多くの避難民が身を寄せるキャンプで医療に当たる中、ルーカス先生は人民戦線の内部抗争で離反したスペインのアリシアと再会した。彼女は人道支援団体の護衛を担う傭兵となっており、ルーカス先生の手伝いもするようになった。一緒にいれば互いの気持ちが寄り添っていくのも自然なことで、ある夜、ドイツ軍の空爆で建物の中に閉じ込められた2人は不安の中で結ばれた。だが恋人同士だったのは短い間だけだった。というのもそれから2ヶ月も経たないうちに、物資の輸送中にルーカス先生たちは反乱軍の部隊と接触して銃撃戦になり、彼女が命を落としたからだ。その場にはルーカス先生もいて、射たれた彼女のもとに駆けつけたが、ライフル弾が命中した彼女の頭部の半分が失われていたという。
そのショックもあって、ルーカス先生はスペイン内戦の趨勢が決する前にオランダに帰国。家で鬱々とした日々を過ごしていたところ、一足早くオランダ軍に参加していたハーレン先生に声を掛けられてオランダ軍に軍医として参加した。そしてドイツ軍の侵攻後はダンケルクの撤退を経て、今に至った。
ルーカス先生は長い話を終えると私に言った。
「今にして思えば、彼女を心から愛していたのかわからない。戦争という非日常の中で寄り添って生き抜こうとしていただけなのかもしれない。けれど、それでも、間違いなく愛していたはずだと僕は思う。そしてその気持ちは今も、僕の中に残っているんだ」
私は何も言えずただ俯いて、少し経ってから、帰りますと言って看護師寮に戻った。
彼の話を聞いて私は1つだけ分かったことがあった。
それは再会してからずっと、彼が私とスペインのアリシアを重ねて見ていた、ということだ。
彼女の写真も見せて貰った。2人で写っている笑顔の写真だ。私の知らない彼の笑顔。スペインのアリシアは年齢と名前が同じだけで私とは全く違う少女だ。チェックのシャツにロングスカート、足元はブーツ。戦うような格好には見えないが、大勢の市民が参加した人民戦線ではこれが当たり前だったのだろう。背景はどこかの街並み。英国とは違うスペインの街並みだ。
私と違うのは一緒にいた時間の長さもそう。私はルーカス先生と再会してから1ヶ月半しか一緒にいない。彼女は何ヶ月もの間、彼と一緒に生死を懸けた戦場にいた。私とは比べものにならない強い結びつきがあったに違いなかった。
他にも様々なエピソードを聞いた。
彼女がルーカス先生を気に掛けて、力仕事などを手伝ってくれたこと。
彼女が短機関銃を手に1人残って反乱軍と対峙してくれたお陰で、医療団が逃げおおせられたこと。
彼女に戦場での覚悟が足りないとなじられたこと。
彼女に髪を切ってもらったこと――よく彼女が弟たちの髪を切っていたという話。
彼女と買い物に行き、そしてささやかな贈り物をしあった話。
彼女と結ばれた後、幾つもの夜をともに過ごし、互いを求め合った話。
彼女に拳銃の撃ち方を教わり、的に1発も命中せず、2人で大笑いした話。
彼女に煮沸消毒を教え、どうしてそうなるのか分からないが、鍋を爆発させた話。
その1つ1つがボディーブローのように私に効いた。
その全てが、2人の貴重な宝石のような時間だったのだろう。たぶん、私とルーカス先生のデートとは比べものにならないくらい輝く宝石だったに違いない。そのときの2人の表情を私はありありと思い浮かべることができる気がするほど私は彼の話に入り込んでしまった。
1番効いたのは彼女の遺体を手厚く埋葬することができず、集団墓地として使われていた大きな穴に6人と一緒に埋められたという話だった。
彼は名残を惜しみ、彼女の黒い髪を一房、手元に残した。それを彼に見せて貰ったのだが、白い紙に包まれて保管されたその痛んだ髪を見ただけで、彼女がどれほどの苦難を乗り越えて彼と一緒にいたのか伝わってくる気がした。
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