スペインのアリシア、英国のアリシア-4
手術は5時間も続いたが、ハーレン先生とルーカス先生という2人の熟練の整形外科医の力で無事成功に終わった。正直、私は昨夜のことから頭を切り替えることができず、ミスを連発しそうになったが、その自覚はあったのでゆっくりと作業することを心がけ、チームに迷惑をかけることなく済んだ。本当にホッとした。
手術を終えて軽食を取ったあと、再びハーレン先生の執務室に向かう。ハーレン先生も軽食を口にしているところだった。
「おお。アリシア嬢ちゃん。お疲れさまだったね」
執務机の上の皿に食べかけのホットドッグを置き、ハーレン先生は私を労ってくれた。
「ハーレン先生はさすがです。ルーカス先生の手術よりずっと早いです」
「年の功ってやつだな。まだまだリンゼンには負けんよ。しかしお嬢ちゃんが看護師になるとはな……正看護師になってまだ2ヶ月とは思えなかったよ」
「特に今日は慎重になりました」
「
ルーカス先生の過去を聞いたからだと、ハーレン先生は見当がついているのだろう。
「よく我々についてきたと褒めるよ。だからお嬢ちゃんは仕事を完遂したと言おう。まあ、もう少し手順を理解して先に動いて貰えると助かるが」
「反省しております」
ルーカス先生は執務机の前の椅子に座るよう促し、私は座った。
「リンゼンとのデートはどうだった?」
単刀直入に聞くものだと私は面食らった。私は1日の流れを話し、そして最後に彼の部屋に行きたいと自分から言った話をした。
「――それでリンゼンの話を聞いた訳か」
「私が望んで聞きました」
「手紙をくれていたし、実家で鬱状態だった奴を連れ出したのも私だから、奴の事情は知っているよ。その様子だと全部聞いたようだね」
ハーレン先生は確かめるように私の少し腫れた目を見た。
「……はい」
「そうか。モーガン師長から、お嬢ちゃんは変わらずリンゼンのことが好きらしい、と聞いていたから心配はしていたんだ。ショックだっただろう」
「……はい」
「でもリンゼンの悲劇もこの戦争の中ではごくありふれた一場面に過ぎない」
「それでも個人には全てです」
「そうだな。そしてどんなに話を聞いたとしてもその悲劇を理解することなどできない。人は主観でしか物を語れないものだから」
私は頷いた。それも分かる。
「でも、彼が私の中にかつての恋人を見ていることは分かります」
私がそう言うとハーレン先生は驚いたように言った。
「リンゼンがスペインにいた頃の私への手紙には恋の悩みまで書いていたよ。僕はスペインのアリシアを愛せない。英国のアリシアを重ねているから、と」
「ルーカス先生が……スペインのアリシアに私を重ねていたんですか?」
それは今とは逆のことだ。
「リンゼンの中では続いているんじゃないのかな。君への恋とスペインのアリシアへの愛と。重ねていても他人は他人で、一方は故人だ。どうしたってどちら着かずになるだろう……想像だが」
ハーレン先生は私の表情を窺う。きっと言い過ぎたと思っているのだろう。そんなことはない。ありがたい情報だった。悩んでいるのはルーカス先生の方であり、私はその彼の悩みを聞いて、受け止めきれずに混乱していたのだ。混乱した私の気持ちを解くには、その情報は絶対に必要だったと思う。
「感謝します。私は、私でいいんですね?」
奇妙な言葉にハーレン先生は少し言いよどんだが、答えた。
「そういうことだな。そしてリンゼイに、スペインのアリシアを英国のアリシアに重ねたっていいんだってことを分からせてやらないとならない。スペインのアリシアを愛したことも、英国のアリシアに恋したことも奴の人生に起きた事実なのだから」
「はい」
私もハーレン先生と全く同意見だ。ハーレン先生は食べかけのホットドッグに口を付けた。ハーレン先生は忙しいのだ。
「これで話はおしまい。少しは前に進めそうかな」
「たぶん」
「多分じゃ困るな。君もこの病院の貴重な戦力の1人なんだから」
「すいません」
私は苦笑して執務室の扉に向かい、また振り返る。
「ハーレン先生、ありがとうございました」
「何、老婆心というやつだよ」
ハーレン先生はモグモグしながら答え、私は簡単に敬礼をして執務室を後にした。
少し楽になった、というのが正直なところだ。直接、言葉で受けたダメージを間接的な情報で回復できる量には限りがある。
ふう。
扉の前でため息をついてしまうが、それはまだハーレン先生から得た情報をかみ砕けていないからだ。スペインのアリシアと私を重ねて見ていたというのはとても重要な情報だ。私は動揺を心の奥深くに鎮めて、仕事に戻った。
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