私の初恋-6

 リハビリは翌日、運動療法室の壁に沿って付けられている手すり沿いを歩くことから始まった。切り刻まれた私の右足はすさまじく痛んだが、それに負ける私ではない。運動療法室でリハビリをしている全ての人がみな同じような思いをしているのだと思えば頑張れた。


 ルーカス先生が術後の様子を見に運動療法室まで来てくれたし、夜にも個室に来てくれた。私とルーカス先生は順調に仲良くなり、私のリハビリも順調に進み、2週間後には松葉杖をついての外出が許可された。


 そしてその翌日、病院がお休みの日に、私とルーカス先生はナショナル・ギャラリーでデートをした。フェルメール、ベラスケス、レンブラント、ルーベンスなどの絵画を見ながら、絵心のない2人でああでもないこうでもないと言いながら、絵画鑑賞し、その後、ちょっとしたカフェで遅いランチを食べた。


 松葉杖をもっていない左の手を先生とつないで、チャーリング・クロス病院への帰路についたのはもう日が暮れかけていた頃だったが、私は名残惜しくて戻りたくなかった。しかし数百メートルしか離れてないので、いくら松葉杖の私でも残念なことにすぐに着いてしまう。


「ロンドンの楽しい思い出になったな」


 彼はチャーリング・クロス病院が見えてくると私にそう言った。


「もしかしてそろそろオランダにお戻りになるとか?」


 このときピンときたのは恋するが故だったのだと思う。


「うん。もう、この病院での教育プログラムは終わったからね。いったん国に戻るよ」


「わあ。とっても寂しいです」


「お世辞でも嬉しいよ」


「どうしてお世辞を言う必要があるんです? 今日だって本当に楽しかったんです。本当に本当です」


 どうもルーカス先生には子どもと思われているからだろう。この本気さが伝わらないらしい。


「君は今、17歳か」


「はい」


「次にイギリスに来る機会があってもまだ子どもだなあ」


 英国の成人年齢は21歳だ。私にはまだ4年もある。


「子どもで悪かったですね」


「もし大人になっても僕と一緒にいるのが楽しいって思ってくれるんなら、また是非デートして欲しいね。もちろんオランダ案内はまた別枠で考えて」


 少しは意識してくれているらしい。


「嬉しいです」


「どうしてそんなにストレートな言葉が出てくるのかなぁ。若さってすごいなあ」


「よくわかりませんね。だって悪口じゃないし、ためらいませんね」


 ルーカス先生は大笑いした。


「見習うよ」


「そうなんですか?」


 私にはルーカス先生の言う意味が理解できなかった。たぶん、大人になったら言いたいことも世間体や何やらで言えなくなるってことなのだろうと見当はついたけど。


 病院の前に至り、私たちは一緒に病院の玄関に入った。


 もうこんなに楽しい日は2度とこないんだな、とそのときの私は予感していた。


 翌朝、私の個室にハーレン先生とルーカス先生が訪れ、別れの挨拶をしていった。


 2人はオランダに帰るのだという。


 私がルーカス先生に手紙を書きますと言ったら、住所を教えてくれた。


 週に1度は手紙を書きます、と私が言ったら、そんなに返事はできないから、ほどほどにね、とルーカス先生は言った。


 私はチャーリング・クロス病院から去るハーレン先生とルーカス先生を個室の窓から見送った。ルーカス先生は私が見ているのに気が付いて、手を振ってくれた。


 私も大きく手を振って返し、2人の姿が地下鉄駅の方に消えるまでずっと手を振り続けた。


 こうしてルーカス先生と私は長い間、離れることになった。


 次に彼に会うことができたのは、私が正看護師になった5年後になるのだった。

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