第2話 戦争が始まった

戦争が始まった-1

 1940年7月




 1939年は酷い年だった。もっとも、今年がいい年になる兆しは全くない。


 1939年9月、ナチスドイツはポーランドに侵攻し、イギリスとフランスはナチスドイツに宣戦を布告。後に第二次世界大戦と呼ばれる戦争が始まった。東側からはソ連の侵攻に遭い、1ヶ月の内にポーランドは降伏、ドイツとソ連の2国で分割された。


 すぐに英仏がドイツに攻め込めなかったのは、ナチスドイツに比べて軍備に劣る両国は時間が欲しかったからだと言われている。その年の末、フィンランドがソ連に攻め込まれ、また戦争が始まった。


 年が明けて3月にフィンランドは領土の一部を割譲し、ソ連と停戦。


 4月にナチスドイツがデンマークとノルウェーに侵攻し、6月までに占領。


 5月にはついにフランスと中立を宣言していたオランダ、ベルギー、ルクセンブルグにナチスドイツが攻め入り、劣勢のまま連合軍は6月にフランスのダンケルク港から奇跡的に撤退を成功させ、現在は散発的な戦闘が行われるに留まっている小康状態にある。


 私はバーミンガムの看護師学校で正看護師資格を得るべく、勉強に勤しんでいたが、戦争による負傷者が多すぎて看護師が足りていないということで、残念なことに促成課程に変更になり、卒業の8月を待たずに1ヶ月前倒しで正看護師資格を得た。そしてその期の卒業生全員が英国陸軍の所属となり、懐かしいロンドンのチャーリング・クロス病院に応援看護師として配属されることになった。


 そのチャーリング・クロス病院は陸軍から救急病院として指定されており、フランスから撤退してきた連合軍の負傷者があまりにも多すぎて、医療従事者はどれほどいても足りない状態だと聞いていた。


 7月になったばかりのその日、私は駅のホームまで見送りに来てくれた両親に別れを告げ、再びロンドンへ向かう汽車の乗客となった。


 イギリス南部はドイツ空軍ルフトヴァッフェの夜間爆撃の対象になっていたから、両親はとても心配していたが、こんなときにお国のために働けなかったら、軍人だった大叔父様に顔が立たないと両親に告げたところで、汽車が動き出した。


 もしかしたら両親の顔をもう見ることがないかもしれないと思うと泣きたくなったが、涙は流さずに済んだ。そして汽車が駅を出ると煙が入ってこないようすぐに私は窓を閉めた。


 大叔父様は故人となっていたが、生きていたらきっと私の選択を尊重してくれることだろうし、私の足を治す費用を出したことを誇らしく思ってくれたに違いない。


 汽車の座席に座り、私はさまざまなことを考えるが、同じことをぐるぐると考え続けてしまうことも多い。たとえば、オランダはナチスドイツに占領されてしまったが、ルーカス先生は無事なのだろうか、と何度も考えるのだ。


 5年前の初恋のお医者様との文通は、ルーカス先生が病院を去ってオランダに戻ってから1年あまりも続いた。私は本当に週に1度、お手紙を書いたのだが、オランダにいるときはルーカス先生も律儀に返事を出してくれた。1ヶ月ほど面倒をみていただけの患者にご丁寧なことだと思おう、と自分に言い聞かせたものだった。もしかしたらルーカス先生も私のことを憎からず思っているのではないかと淡い期待を抱いたのなら、苦しくなるだけだからだ。


 2度ほど2ヶ月ほど間が開いたが、そのときはハーレン先生と一緒に外国の病院に研修に行っているときだったと弁明の返信があった。きっとそれは本当のことだろうと今でも私は思っている。


 このようにルーカス先生は誠意ある対応をしてくださったが、それでも1年あまりで文通が終わった理由は私もよく分かっている。1936年当時、スペインでは内戦が起きていて、「赤十字医療団ICRCの一員としてスペインに行くことになった」とルーカス先生の最後の手紙に書いてあったからだ。それにオランダに戻ったら必ず手紙を書くよ、ともしたためられていたのに、ルーカス先生から再び手紙が届くことはなかった。もちろん単に返信できないというのではなくて、内戦に巻き込まれて死んでしまった可能性もあるのだが、そんなことを私は考えたくなかったし、ないと信じていた。


 私の淡い初恋はこうしていったん終わりを告げたわけだが、なにせその頃には看護師学校に入り、毎日忙しい学業生活を送っていたので、新しい恋と出会うことなど夢のまた夢だった。


 そもそも私が看護師になろうと考えたのはハーレン先生とルーカス先生から受けたご恩をお返ししたかったからで、男の子のことなど私の頭の中には全くなかったのだ。いや、もしかしたらルーカス先生とどこかで会えて、一緒に働けるかもしれないと夢見てはいたけれど。


 考え事をしているだけで、いつの間にか汽車はロンドンに到着し、私は地下鉄に乗り換えて、ストランド方面に向かった。


 地下鉄車両の中の広告は、センセーショナルにヨーロッパでの戦争を報じる週刊誌のものが多く、目にするだけで嫌な気分になった。バーミンガムよりもロンドンの方がフランスに近いだけあって、戦争の足音はより大きく市民に聞こえてきていた。


 チャーリング・クロス駅で降り、ルーカス先生と話しながら一緒に上ったエスカレーターに乗る。あのときはもしかしたら戦争になるかもという雰囲気程度しかなく、街全体が明るかった。しかし今回はエスカレーターを降りて、ロンドンの街中を見渡すと、以前と変わらず活気はあったが、どこか陰鬱な何かが漂っている気がした。


 今回はどこにも寄り道せず、私はスーツケースを引っ張りながらまっすぐにチャーリング・クロス病院に向かう。負傷者が多く、医療従事者が足りないということだから、私のような新人看護師であっても、いさえすれば何かができる。一刻も早く戦力になりたかった。

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