その後

その後

1945年5月


 私とルーカス先生、そしてまだ嬰児だった息子の3人がオランダに渡航できたのは第二次世界大戦が終結を迎えた1945年の5月のことだ。


 オランダがナチスドイツの占領下から解放されたのは5月5日で、民間の船便はすぐに動き出したものの、仕事の都合でヨーロッパ大陸に渡航するのは下旬になってしまった。


 息子を胸に抱き、ドーバー海峡の穏やかな波を夫と2人で見ながら私はこの長かった戦争を振り返る。


 ロンドンに戻り、私の両手のひらを火傷の専門医に診察して貰ったが、筋肉と筋がかなり損傷しており、元のように動かせることはないだろうと言われてしまった。しかし術後のリハビリ次第で回復が見込めるとも言ってくれ、私は少し希望が持てた。火傷の状態が落ち着いてから手術となり、脚の骨折をおして仕事に復帰していたルーカス先生はどうにか休みを取り、手のひらの1回目の手術に立ち会ってくれた。


 手術は無事成功し、両方の手のひらは翌朝には少し動くようになった。


 ルーカス先生はその直後、私にプロポーズしてくれた。もちろん私は謹んでお受けしたのだが、ルーカス先生は私の手を自分で手術できなかったことを何度も詫びた。しかし私は、先生の勉強が終わるのを待っていたらいつになったら手が動かせるようになるのかわからないのだからこれでよかったんです、とその都度応えた。


 入籍したのは1940年のクリスマス。英国にはルーカス先生の知人がハーレン先生しかいないこともあって特別なことはせず、私の実家に揃って挨拶に行っただけだった。それでも私は初恋が叶って、感無量としか言いようがなかった。


 私たちはロンドン市内に新居を構え、同居を始めた。その頃には少しずつ握力が戻り始めていて、コップくらいは持てるようになっていた。なのでどうにか家事をこなすことはできた。松葉杖を手放せるようになったルーカス先生も家事をいくらか手伝ってくれた。


 年が明けて1941年の春、火傷のケロイドを治療するため、皮膚の自家移植をして、いくらか見られる手のひらとなった。更に半年のリハビリを経て私は、今となっては懐かしいとまで思えるチャーリング・クロス病院で看護師に復帰した。


 ルーカス先生も変わらずチャーリング・クロス病院を拠点にして、戦傷者治療を中心にロンドン市内の医療機関を回っていたが、さすがに妻となった今では一緒に回るわけにはいかなかった。


 ドイツ軍のロンドンへの爆撃は続いていたが、主戦場は北アフリカへ移り、1943年には連合軍がイタリアへ上陸。翌1944年に有名なノルマンディ上陸作戦が決行され、ヨーロッパでの戦いは新たな展開を迎えた。それでもドイツのV兵器が英国を襲い続け、ロンドン市民の脅威となり、変わらず死者も出ていた。


 とはいえ、あの1940年の夏の切迫した雰囲気になることは2度となかった。


 ノルマンディのあと、私は待望の懐妊を果たし、年内で病院を退職。無事、1945年2月に息子を出産。そしてベルリンがソ連軍によって陥落し、第二次世界大戦が終結した5月、こうしてヨーロッパ行きの船に家族揃って乗っている。


 もちろんロンドンからの道中、中継地点のドーバーではマクレガー家に立ち寄ってご挨拶に行き、息子を紹介した。ご夫婦ともにお元気そうで、ショーンくんはすっかり大人っぽく、エリスちゃんは女の子っぽくなっていた。子どもが大きくなるのは早いと私は時の流れの早さを実感した。そんなことを私が言っていたらマクレガー夫人に、それは自分の子どもなら余計よ、と言われてしまった。たぶん、それは彼女の実感なのだろう。私も将来、きっとそう思うに違いなかった。


 視線の先、海の向こうにはヨーロッパ大陸が見えている。もうすぐ到着だ。フランスからオランダまでは鉄道旅になる。


「諦めなくて本当に良かったです」


 私は隣に立つのっぽの夫に話しかける。


「諦めないって、どのこと?」


 ルーカス先生はベビーラップの中ですやすやと眠る息子を見て言った。


「うん。確かにこの子もそうだけど、いろいろですよ。いろいろ。まず1番は初恋を諦めなかったことですね」


「今更それを言われるとこそばゆいな」


 ルーカス先生は傷の頬を引きつらせながら笑った。


 一見、幸せそうに見える私たちだが、実は大きな問題を2つ抱えている。それはルーカス先生のご実家に関することだ。邸宅がドイツ軍に接収されたということは前からわかっていたが、今年に入ってからレジスタンスによって爆破されたとわかった。また、ルーカス先生の親族もレジスタンスに加わり、行方がしれないと言う。今回のオランダ行きは主にこの2点を確認し、どうにかすることにあった。もちろん領民たちの安否も心配だとルーカス先生は言っていた。


 確かにそれらは大きな問題だが、もう戦争は終わった。だから時間をかけて、1つ1つがんばっていけばいつかはどうにかなると思う。


 そう。戦争は終わった。


 あの1940年の夏、ドーバーで過ごした夏。


 ロンドンで爆撃に遭い、負傷者を救うために力を尽くした夏。


 今となっては遠い。


 ルーカス先生にしてみるとスペイン内戦から数えて足かけ9年の戦争が終わったことになる。彼は私の中にスペインのアリシアを見ることも少なくなったかもしれない。しかし私の方は変わらずに彼女のことを考える。


 ルーカス先生と愛し合っていたのに志半ばで戦死した彼女の想いも私が勝手に引き受けて、私の今がある。


 スペインのアリシアを愛し、その後、私を愛して今の彼がある。


 そして新しい命を天から授かった。


 たぶん、私は幸せだ。今までも、そしてこれからもそれは変わらないに違いない。


 ルーカス先生に出会うことができた幸運に、そして彼に一目で恋した自分の直感に私はつくづく感謝しながら、船がヨーロッパに着岸するのを待ちわびるのだった。


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バトル・オブ・ブリテン・ロマンス 初恋のお医者様を追いかけて看護師になった私が、戦火を越えて彼と結ばれるまでのお話 八幡ヒビキ @vainakaripapa

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