戦火の中で-2
ハーレン先生と相談し、チャーリング・クロス病院のシフトの都合もあり、軍が計画した巡回ルートを回るのは2日後になった。ハーレン先生が手術するときにルーカス先生が必要なときは呼ぶということだった。
いろんな病院を回るのは大変なことだが、ロンドン市内であれば住まいを変えずに済む。ドーバーでそうだったようにルーカス先生と一緒にいる時間が増えるのは歓迎すべきことだと思う。
しかし私とルーカス先生はその巡回初日に大変な目に遭うことになった。
9月7日、
その日、私とルーカス先生はちょうどイーストエンドの
責任者である老医師に――おそらく1度は引退して陸軍に招集された医師にあいさつをしているとき、街頭のスピーカーがけたたましく鳴り始めた。それはドーバーでは日常的に耳にしていた空襲警報だ。ロンドンでもこのところ珍しくなかったが、本当に爆撃がくる可能性がある以上、避難せざるを得ない。
救護所の職員とともに、私たちは待避壕に指定されている地下鉄の駅に落ち着いて避難する。救護所周辺の住人も地下鉄の駅に避難してくるが、中には避難しない人もいる。理由は様々だろうが、実際に彼らが爆撃に遭わないことを祈るしかない。
地下鉄のホームは住人でごった返しており、文字通り足の踏み場もなかった。車両の運行が止められ、これ以上人が増えると線路に降りることになると駅員がアナウンスしていた。ルーカス先生と私はどうにか場所を確保してホームにしゃがみ込むと、あとは空襲警報が解除されるのを待つしかなかった。
私はルーカス先生に話しかけた。
「来るんでしょうか」
「今日来なくても明日は来るかもしれない」
ルーカス先生は感情が伴わない声で答えた。愚かなことを聞いてしまったと私は思う。だが、何か話をしないと不安に押しつぶされそうだった。
「スペインでも避難しましたか」
「慣れっこになって避難しない人も多かったね」
「人は非常事態にも慣れるんですね」
「ああ。それが人間の強さでもあり、愚かなところでもある」
ルーカス先生が言葉にしたとおりだと、私も思う。
避難して15分ほど経った頃、改札口の前の避難してきた多くの人がまだ自分の居場所を確保できずにざわめいている最中、ズシンと響き渡る重い音と花火のような爆薬炸裂音が複数響き渡ってきた。ロンドンの地下鉄が浅いとはいっても、あまりの近さにホームに避難した人たちは小さく悲鳴を上げた。それは4回も続き、私はルーカス先生の手を取った。ルーカス先生は私の手をしっかりと握りしめ、ただ時間の経過を待った。不謹慎だが、私は仄かに幸せを感じた。
しばらくして音はしなくなったが、空襲警報が解除されたというアナウンスは30分経ってもなかった。この地区に爆弾が落ちたのであれば、少なからず被害が出ているだろう。ルーカス先生は救護所の責任者である老医師と相談し地下鉄から出て、救護活動を一刻も早く開始すべきだという結論に達した。
「まだ外には火の手が上がっている最中だとは思う。だけど僕らは行かないとならない」
相談を終えたルーカス先生は私に言った。
「望むところです――先生と一緒なら」
ルーカス先生はそっと私の頭を撫でてくれた。
私とルーカス先生は救護所の職員数人と一緒に、ホームに避難している市民の間をどうにか通って改札口を出て、地上への階段を上る。階段の途中にいた警官に私たちは止められた。地上の被害は相当なもののようだったが、救護所の職員だと告げると警官は地上に通してくれた。
地上に出ると空一面を黒煙が覆っており、また、火災の照り返しがその黒煙にも映っていた。単に焦げ臭いだけではなく、様々なものが燃える臭いが鼻を突いた。この辺は直撃されなかったようだったが、複数のブロックが爆撃に遭い、大規模な火災が起きていると思われた。
消防隊が消火に駆けつけ、消防車で放水を始めるために給水ホースを持って消火栓にホースを接続し始めた。ルーカス先生は郷土防衛隊の人を見つけると救護所を開く旨を伝え、けが人の誘導を依頼した。
幸い、救護所がある建物は無事で、その地区の負傷者に応急手当をすることができた。私とルーカス先生も応急手当に忙殺された。私たちはこの爆撃の全体像を見ることはできなかった。だが、ラジオのニュースはイーストエンドと港湾地区の広範囲が焼け、死者・行方不明者だけでも400名を超えていると伝えていた。この救護所に来た負傷者だけでも200名以上だったから、負傷者数の総数は想像することすらできない数に上るだろう。
その後は救護所の職員と交代で休憩をとり、負傷者の看護にあたった。夕方になって応援の救護隊が来て、私とルーカス先生は彼らと交代し、救護所をあとにして、チャーリング・クロス病院に戻った。チャーリング・クロス病院は救急指定病院になっているため、やはり大変なことになっており正念場を迎えていた。私たちも当然、治療にあたり、仮にでも落ち着いたのは午後8時過ぎだった。
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