第37話 旅路
ラカン公国はシュルスより南に位置する国で、温暖な気候に産業が盛んで豊かな国だ。
海に面した国土のため外交の便もよく、商人が集まる港は活気に溢れていた。
「我が国は内陸に位置するゆえ、ここまで活気がある港町は見応えがあるな」
山岳地帯を避け、海路にて迂回してきたのだが、初めて見る海にアリシアの瞳は釘付けだった。
肺を患っているアリシアだが、温暖な気候に湿り気のある海風は療養にもなると、医師2人から旅の許可はすんなりと出て、同行はミハエルが担うことになった。
「僕は一旦国へ帰るよ。王妃様の経過も良いみたいだし、治療法はこちらに残してあるから。何かあったら、また来るからさ」
そう言って簡単な挨拶ひとつで、旅立つアリシアたちを見送ることなくカロンは帰路に立ってしまった。
ミハエル曰く、国に婚約者がいるらしく『いつまで放っておく気だ!』と帰国を促す手紙が届いたらしい。
あの普段お気楽なカロンの慌てた様子から、相手が余程恐ろしいのかと気になったらしい。
「お嬢様、あの鳥は何というのでしょうね。不思議な鳴き声ですこと」
ミーナも童心に返ったようにはしゃいでいる。
少し離れた甲板、レイスを囲んでいる面々に目が止まらる。
執務長官のハンス、今回は外交官として加わったコートレイ執務官、護衛騎士のグロリー卿、そしてスタリオの姿があった。
今回の騒動で爵位こそ失った兄だけれども、宰相補佐官の職は失わなかったようだ。
ただ、この旅の同行にデュークレア宰相が推薦してきた時点でアリシアを意識した人選は確かだ。
侍従からは、新たに侍従長に任命されたウィランドが王付き従者として参加している。
アリシアの伴は勿論ミーナだ。
その他の護衛や侍従を含めると、商船丸々が埋まるほどの大所帯になった。
陸路と海路で片道5日、滞在が1週間と長めの外遊が予定されている。
「こんなに国を開けて大丈夫なのかしら」
そう心配を口にしたアリシアを「気にしなくて良いのです」と一蹴したのはハンスだった。
「陛下が戴冠されて数年、諸々事情はございましたが国を離れることは此度が始めてのこと。休みという休みさえ取って頂けない方ですので、今回の旅で執務から離れることも必要と私は判断致します」
レイスとハンスから時折感じる親しさは、主従の域を超えているように思う。
それはアリシアとミーナのような親密さを感じさせた。
「執務に関しては、宰相が代理を努めますゆえ、問題はございません。あの方も手腕を発揮できて喜んでいることでしょう」
そう澄まし顔で断言されると、これ以上は聞けなかった。
レイスからもあれ以降の追求はなく、外遊への調整でむしろ執務に追われ、2人の時間はほとんど取れていない。
青く澄んだ空を見上げ、ゆっくりと息を吸う。
体調は日を追うごとに快方に向かっているようだ。
長い年月で弱った肺は、運動こそ儘ならないものの、穏やかな呼吸を繰り返す。
「気持ちがいいわね」
「そうだな」
横にいたはずのミーナは後方でウィランドと話していた。
「話し合いは終わったのですか?」
「この後の行程を確認していただけだ。海路が順調に進めているから、予定通りに入国できるだろう」
「もうすぐ陸に上がれると聞き安心致しました。船がこうまで揺れる乗り物だとは知りませんでした」
「船酔いは大丈夫か。別に途中で寄港するのは構わないから、無理はしないように」
レイスはアリシアの顔を覗き込む。
「酔いとまではいかないので大丈夫です。なんというかフワフワした感じが落ち着かないだけです」
アリシアは笑む。
「無理、しているようにお見えですか?」
「ん…、いや」
言い淀むレイスが視線を逸らす。
「よく口になさいますよね、無理しないようにと。でも、わたくしは無理をしてないと思うのです」
「そうだろうか…」
手すりに置いた手を見下ろすレイスに、アリシアは続ける。
「まるでむかしのわたくしを知っているような、そのような気持ちになります」
「無理ばかりをしていた頃…か?」
「えぇ。言いたいことも言えず、あの頃は自分の殻に閉じこもっていましたね」
「相手を殺したいほど憎んだことは?」
「殺し…それは…。でも憎んでいたことは否定できません。あの頃は愛すことは義務で、愛される必要があるのだと思いたかったのです。目には見えない不確かなものに縋り、得られないことに絶望して。わたくしも公爵夫人のようになっていても、おかしくはなかったでしょう」
「そなたは違う。あれとは全く違うでは無いか。アリシアは与えられないからと奪うことはしない。また自分の欲望のために誰かを犠牲になどしなかった。君は気高い魂の持ち主だ!だから…」
「だから?」
レイスはハッとアリシアの顔を見て、一瞬の後「恐ろしいのだ」と吐露する。
何が、とはアリシアは尋ねなかった。
「そう…ですか」
次に繋げる言葉が見つからなかった。
レイスが何を恐れているか、今のアリシアには分かる。
最初から感じていた違和感、いつしか確信を得ていた考え。
『レイスには前世の記憶がある』
そう結論付けてみれば、辻褄が合うことばかりだ。
そしてレイスが恐れているのは…。
アリシアがその恐怖から解放することは出来ないだろう。
2人は潮風を受けながら、波紋を描く波間をただ静かに眺めていた。
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