第10話 王妃の要望

 アリシアにとって1度目の初夜は最悪の思い出だった。

 本来なら愛を囁き行われる行為、それは事務的に淡々と済まされた。


 初めての事への恐怖だけでなく、あの日のアリシアは体調も優れなかった。

(吐血まではしなかったけど…)


 2度目の人生は前回と同じようには進まないらしい。

 輿入れにレイスが来たことも、初めての吐血はもっと後だったことも異なる。


 何にせよ、あの悪夢のような初夜を再び経験せずには済んだ。

 アリシアには見慣れた医務室の天井を眺める。


「お目覚めでございますか」

 そう声を掛けられるのも何度となく繰り返されたこと…

「ミハエル…」

 グッと堪えるも涙が浮かぶ。

「王妃様!?」

 突然泣き出したアリシアの背を、ミハエルがそっと支える。

「ごめんっ…なさい」

(驚いたでしょう、でももう少しこのままでいさせて)


 気づいた時には、ミハエルが優しく背を撫でてくれていた。


「わたくしは死に至る病を患っております」

 肩を震わせながらアリシアは独白する。

「母もこの病で亡くなりました…」


 アリシアは告げる。先の人生で知り得たこの病のことを。

 人には移らないだろうが、子に発症する恐れが考えられると。


 その上で考えていたお願いがあること。


「今なんと申した?」

 レイスの苛立ち混じりの威圧的な声に、執務室にいた官たちは固唾を呑んでミハエルを伺い見た。


「ですから王妃様より、病の治療と感染を防ぐため、医務室にて隔離と療養をさせて欲しいと要望がございました」

「あの病はうつらない。休むのなら妃の寝所で構わぬだろう」

「王妃様は、陛下の身に万が一があってはならないから、と仰られていまして」

 レイスは内心笑う。

 あれが私を気遣う、有り得ないことだ。

(近づくことさえ疎まれていると言われた方が納得できるが)


「これは私の医師としての意見なのですが…」

 ミハエルはチラと周りに視線を移動させ目配せをする。

 その意図を汲んで、レイスは部下へ退室を命じた。


「それで、王妃の病状はどうなのだ?」

 人払いまでして話す内容は良いものではないだろう。

「王妃様によると、この病は随分と以前から…幼少の頃より前兆はあったそうなのです」

 母が生家に返されたのは、まだアリシアは物心が着く前のこと。

 歩き出して言葉を発するようになり、家人はアリシアの異変に気づく。

 幼子らしく溌剌と走り回らず、声を上げて笑わない様子に。

 しかし、それは生みの母から離され、片や愛されている妹を横に暮らす寂しさ故だと、周りは思っていたのだろう。


「幼少の頃より肺に違和感があったそうで、走れば息苦しく、声を上げようにも力が入らなかったと。胸に痛みを覚えるようになったのは最近のことですが…先日初めて血を吐いて、病に確証を得たと仰っておられました」

 ミハエルは言いにくそうに一旦言葉を区切る。

「本来なら婚姻前にお伝えするべきだった、と王妃様は気に病んでおられます」

 レイスの眉間に深いシワが刻まれる。

「それ故に寝所を分けたいと?」

「勿論それだけではありません」

 ミハエルは断言する。

「この病は他者には感染しにくいかもしれませんが、親子では発症の因果関係があるのではと妃は申せられ、私も医師としてその疑いを否定はできません」

(子に影響?シュタインは健康そのものだったが?)


「この病を抱えた状態での妊娠出産は、母子を危険に晒しかねないと私は考えております」

 ミハエルの見解は最もだ。

 否、昔の自分なら「子を産むのが妃の責務」と言い捨てていたかもしれない。

(共寝を避けるように希望するのは…子を成さぬようにするためか)

 自嘲する。

 病の妻に無体を働こうなどとは思わないが、そうアリシアやこの医師には思われているのだろう…。


 実際、かつて自分は病とは気づかずとも、病と既に闘い疲弊していただろうアリシアに無体を働いていたのだから。


「それで医務室のベッドを使わせてくれと?」

「それでしたら私も異変に対応できますので」


「妻を他人の部屋に預けれるか」

「え…?」

「患者とはいえ、あのように美しい娘が側にいて、其方は絶対に手を出さぬと言いきれるか?」

 レイスは知っている。

 己には見せぬ姿を目の前の男には見せ、また主治医という関係では片付けられないほどの想いをこの男がアリシアに抱いていたことを。


「わ、私は医師です!患者に手を出すなど有り得ません!」

 ミハエルは心外だと声を上げる。

「頭ではな、そう考えようとも。…心は違う。心惹かれれば立場や状況など関係なくなるのだ」

 アリシアの亡骸を王妃の墓から奪い去るくらいにはな。

 恋慕の強さは人を狂わす。


「其方が職務に忠実で誠実な男であろうとも、我が妃の寝所を其方の元に置くのは許さぬ」






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