第7話 バーネット公爵家
悠然とした足取りでアリシアは階下へ降りていく。
輿入れの日、予定であれば国王がバーネット家を訪れることになっているのだから家人は勿論、侍従の誰しもが忙しなく動き回っている。
「お姉様、悠長なお目覚めですこと」
義母妹のセザンヌが着飾った姿で食卓に向かっていた。
「本当にこの子に王妃が務まるのかしら?家名に泥を塗ることになりやしないか私は心配ですわ。気だても良い、見目も国随一のセザンヌなら素晴らしい国母になったでしょうに…」
セザンヌの隣に座っている義母は、甲高い声で向かいに座る夫に苛立ちをぶつける。
「あの青二才に国政は務まらん。誰のお陰で玉座につけているか分からぬ痴れ者が…あれの世は長くは続かぬよ。沈みかけの玉座にはこれで充分だ」
レイスの官僚へのテコ入れはバーネット公爵家にも及んだ。
前王崩御に伴いバーネット宰相も職を辞することとなり、その代わり宰相補佐にバーネット小公爵、つまりアリシアの兄スタリオが役職を与えられることになった。
息子の昇進と引き換えに実権を奪われ前宰相という肩書きだけが残され、バーネット公爵は煮え湯を飲まされる結果となった。
この婚姻はそんなバーネット公爵が王妃の生家として、権力を誇示するためにも必須だったのだ。
そしてこの姻戚関係を利用し、レイスとは歳の離れた弟にセザンヌを嫁がせることこそが狙いだと、魂胆が今回の言動から読み解ける。
バーネット公爵の本心ではどちらがどうなっても大差はないのかもしれない。
単純にセザンヌの嫁ぎ先にアリシアと差を付けようとするのは、義母の顔色を伺っているからだろう。
バーネット公爵は、前妻より年若い義母を何より優先させてきたから。
アリシアの生母と父は政略結婚で、そこに愛情はなかった。
母が病を患うと、これ幸いと生家へ療養の名目で追い返し、代わりに迎え入れたのが後に公爵夫人となった義母だ。
義母は王城に出入りしていた商家の娘で、王室主催のパーティーでバーネット公爵に見染められたと聞く。
この話だけならば夢のある身分違いの恋物語なのだが…、まだ妻が存命中に身重の妾を屋敷に迎え入れたことは美談とは程遠い話だ。
母の記憶はアリシアにほとんどない。
歳が近い義母妹が両親の寵愛を受ける横で、アリシアは父からは無関心を義母からは執拗な躾と称した体罰を受けながら育った。
6歳上の実兄だけはアリシアに優しかったが、貴族学校に通うため屋敷を出てからは寄り付かなくなっていた。
官として王城に務めるようになっても屋敷に戻らず、別邸住まいをしている。
居心地の良い家とは口が裂けても言えない実家に、兄は見切りをつけてしまったのだろう。
政略結婚の現実を知りながらも、もしかしたら自分は幸せな結婚を迎えれるかもしれないと夢を見てしまったのも、こうまで家族愛と無縁で育った故に抱いた儚い夢だったのだと、今考えれば思う。
「輿入れの日にされるには不穏な話ではありませんか。誰の目に、耳に留まるやもしれません。形だけでも王妃の輿入れを祝っては如何でしょうか?」
アリシアが食卓に腰掛けるのを三者三様、唖然としたり腹を立てたり苛立ったりしながら睨みつけた。
アリシアが楯突く言葉を口にすることも、三人が座る食卓に同席することもこれまでなかった。
そんなことをすれば公爵夫人の叱責と殴打を受け、セザンヌは怒り狂って物を投げつけるだろうし、公爵はそんな状況にしたアリシアを責め部屋から出るなと怒鳴りつけただろう。
そう今この時も彼らは、予想通りの行動を取った。
しかし運良くか悪くか、その様子を見ている姿があった。
既にアリシアはセザンヌから紅茶を投げかけられていたし、公爵からは迎えが来るまで部屋から出るなと告げられ、公爵夫人に髪を鷲掴みにされ椅子から引きずり下ろされる所だった。
「なにをしている」
あるはずのない姿に誰よりもアリシアが驚いた。
本来この時刻に訪ねてくるのは使者であって、本人ではない筈だ。
「へ、陛下」
バーネット公爵のひと声に頭上で悲鳴が上がった。
乱れた髪の隙間から見上げると、公爵夫人はアリシアの髪を離すこともできずに血の気を失った顔で、外れそうなほど口を開け呆けていた。
「輿入れには早すぎる時刻ではありませんか!」
バーネット公爵が非難の声を投げかけるも、レイスは畳み掛けるように返した。
「なぜ私の花嫁がこのような扱いを受けているか、その説明を求めているのだが」
「し、躾にございます!礼儀知らずが王妃になる前にと、急場凌ぎですが躾ておりました!」
バーネット公爵夫人はさも当然とばかりに鼻息荒く主張した。
「そう…躾」
レイスの目が細められ、アリシアに向けられる。
ほんの数秒だったがアリシアを見つめる瞳は射抜くように強く、視線が熱かった。
初めて花嫁の顔を見たから?見るに堪えない醜態だったから?
アリシアは戸惑いつつレイスを見上げた。
「この場に私が居る時点で輿入れは始まっている。すなわち彼女は今やあなた方の娘から私の妻になろうという身。王妃になる者を公爵家の誰が躾れようか」
バーネット公爵夫人がアリシアの髪から慌てて手を離す。
「こちらへ」
レイスが手のひらを差し出すも、アリシアは首を横に振る。
「急いで支度を致します。輿入れにこのような姿では向かえませんので」
紅茶で濡れたドレス、乱れた髪、輿入れでなくとも外を歩ける状態ではない。
アリシアは「ミーナ」と声を掛けると、ミーナは涙を浮かべ怒りに震えながらアリシアに駆け寄った。
「あんまりにございます」「輿入れ前に」「このような扱いを」耐えきれなかったのだろう非難の言葉を、震える細い声で吐き出しながら。
アリシアも耐えきれなかった。
「なんて輿入れかしら…フフッ、フフフッ」
肩を震わせ口にした言葉は抑えられることはなかった。
小さくも軽やかな笑い声を上げながらアリシアは部屋を後にした。
その姿に家人は今度こそあんぐりと口や目を開いて、レイスは冷めた表情でアリシアの背を見送った。
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