第6話 回帰
匂い立つ紅い薔薇、幼子の笑い声、暖かな日差し…微睡みの中で見た長い夢が終わる。
「お…嬢…、お嬢様、お嬢様!」
ミーナの声だ。
シュタインはどうしたのだろう。
「早く起きてくださいませ!輿入れの準備をなさらないと!」
ここ数年自由が効かなかった身体が嘘のように軽く、布を払う音まで軽快にアリシアは飛び起きた。
「ミーナ!輿入れってどういうことなの!?」
窓から差し込む朝の日差しは強く、光を受けてミーナの顔がよく見えない。
目を眇めてよくよく見つめると、…そう懐かしい、まだあどけなさを残した顔が現れた。
乳姉妹のミーナとは姉妹のように育った。
誰よりもアリシアの機微に聡く、アリシアと同じくらい息子を大切に想って育ててくれていた。
息子をあやす彼女は穏やかで大人の余裕があった。
しかし今目の前にいる彼女は、まだ身も心も若く溌剌としていた。
「お嬢様…もしや王家へ嫁ぐ心労から、今日輿入れすることも分からなくなってしまったのですか!?」
ミーナの慌てた様子に、逆にアリシアは思考がはっきりしてきた。
「今日は何年の何月何日なの?」
ミーナは答える。記憶が途絶えた4年と数ヶ月遡った日付を…。
「よりにもよって輿入れの日、だなんて…」
元気な身体に喜びを感じたのは一瞬で、押し寄せてくるのはこれからの出来事と息子シュタインのこと。
(シュタイン、ひと目会いたかった。胸に抱きたかった)
「うぅ…」
長らく忘れていた。
辛い時に涙が流れることも、苦しくて叫び出したくなることも。
そして確認する、この身体はまだ瞳から涙が溢れ出て、声を張り上げられることを。
「お嬢様!」
背中を摩るミーナの手が暖かく、これが夢ではないことを教えてくれた。
なぜ時間が巻き戻ったのか、そんなことを考えても答えなど分からない。
ただ沸き起こるのは、強い怒りの感情だった。
辛酸を舐め、耐えに耐えた結婚生活。
この回帰が神の采配と言うならば、私は私の結婚生活を取り戻したい。
あの苦しみを与えた者を許すことなど出来ない。
かつての夫レイス、彼にはそれ相応の償いが必要だ。
あの日、まだ希望に胸を高鳴らせていた18歳のアリシアはもういないのだから。
この結婚に愛など存在しない。
私は彼を愛さない。
今度は幸せになってみせる。
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