第26話 招かねざる客

 今回のお茶会は大通りにあるティーサロンで、と連絡があり馬車を走らせた。

 秘密のお茶会に出かけるたびに、いつレイスに知られて外出禁止を言い渡されるかヒヤヒヤしていたのだけれど、今のところ何の咎めもない。

「お嬢様、気をつけ行ってらっしゃいませ」

 ミーナの見送りにも慣れたものだ。

 このお茶会の参加資格は既婚女性であること。そして侍女の参加も不可。

 給仕はコートレイ伯爵夫人が用意した口の固い侍女だけ。

 王妃のアリシアが侍女を連れていないため、その件で苦情を言われたこともない。


 参加人数は当初の招待客を呼ぶ形から、少し増えて4~5人のそれでも少人数で開催するようになった。


 お茶会のテーマは『夫婦』について。各々が話したい内容で、赤裸々な夜の話題が出されることもあった。

 そして必ず交わされるのが他言無用の約束。

 とはいえ拘束力のない口約束なので、いつかは噂になるだろうと思っていた。


「元気にしていたかしら、アリシア」

 それがまさかバーネット公爵夫人の耳に届くとは、思ってもみなかったのだけれど…。

『えぇ、公爵夫人もお変わりないようで何よりです』

 親であっても王妃を名前で呼ぶなど礼儀がなっていないと、そう密かに眉根を寄せたコートレイ伯爵夫人から「申し訳ございません。オレイル伯爵夫人が公爵夫人を誘って来たようで」と耳打ちされる。

 本来お茶会はサロン開催主の許可なくして、勝手に参加者を増やしてはならないもの。

 このお茶会の主催者はアリシアではなく、あくまでもコートレイ伯爵夫人。

 その伯爵夫人の許可なく、呼ばれてもいない人を連れて参加することほど失礼極まりないことはない。


「公爵夫人はどうして今日こちらに?」

 貴女はお呼びではないのよ、と暗に伝えるも公爵夫人は居丈高に笑った。

「あら、久しぶりに娘の顔を見たかったのだけれども、いけなかったかしら?」

 公爵夫人のドレスは、まるで夜会にでも出かけるような金地の豪奢なデザインで、大振りな宝石は誰よりも主張したものだった。


 このお茶会に招待された客は、参加者に王妃がいることを事前に知らされている。

 パーティによってはドレスコードがあったりするものだが、このお茶会は目立たず秘密裏に開催されていると聞かされていたはず。

 みな失礼にはならない程度の装いを選んでおり、派手なパーティドレスを来てくるような夫人はこれまで誰1人としていなかった。


「さあさ、みなさん。立ち話もなんでしょう。お座りになって」

 主催者でも王妃でもない公爵夫人の仕切りに、呼ばれた夫人たちも戸惑いの表情を浮かべていた。


「それでテーマは『夫婦』でしたわね。恥ずかしながら、私のお話をしても宜しいかしら?」

 コートレイ伯爵夫人はアリシアの顔色を伺った。


「ぜひ公爵閣下と夫人の馴れ初めをお聞きしたいわ」

 そう声を上げたのは公爵夫人とは同じ貴族派のオレイル伯爵夫人だ。

 今回バーネット公爵夫人に情報を流した張本人は、この中で家格も影響力もあるであろう公爵夫人に、あからさまに阿っているようだ。

 しかしそれはつまり、一番位が高い王妃を蔑ろにしていると、宣言しているも同然だった。


「わたくしもお聴きしたいわ、公爵夫妻のお話を」

 アリシアの発言に場が凍りつく。

 公爵令嬢だったアリシアと目の前の公爵夫人が、仲の良い母娘関係ではなかったことは周知の事実。

 王都の社交界に顔を出すのは実娘のセザンヌとだけ、口を開けば長女アリシアの素行についての愚痴、公爵夫人が義理娘を疎んでいる様子は誰しもが見聞きしてきたことだった。


「娘たっての願いですので、それでは公爵との出会いから話しましょう」

 手のひらをパンッと打ち鳴らし、公爵夫人が満面の笑みで口を開く。


 公爵との馴れ初めは、平民からすれば夢のある成り上がりストーリーなのだが、それは純血に拘る高位貴族からすれば鼻つまみもの、むしろ嘲笑と共に出身を見下されるような話でしかない。

 だから公爵夫人が社交の場でこの話題を出すことは、まず無かった。

 しかしこの場にいる高位貴族はオレイル伯爵夫人だけ、あとは反貴族派でどちらかと言えば純血主義を批判する立場の家門ばかり。

 公爵夫人にすれば、ここぞとばかりに自身の成り上がり結婚を魅力的に話して聴かせられる場だろう。

 意気揚々と公爵に嫁いだ話を言い終えると、

「そうそう、幼い頃に娘が好きだったお菓子を作って持ってきたのだけれど…食べてくれるかしら?」

 包みを取り出すと、焼き菓子をアリシアの前に差し出した。


「前公爵夫人は病気で母親らしいことが出来なかったでしょう?だから私が母親になった以上は、貴女に愛情を伝えなければと一生懸命お菓子を作っていたものだわ」

 物は言いようだ、確かにこの義理母からお菓子を渡されることはあった。

 しかしそれは酷い折檻を受けた後のこと。幼子を支配する為のエサとしてだった。

 貴族としては当然の体型維持だと、幼少期から酷い食事制限を受けてきたアリシアは甘いお菓子に飢えていた。

 言うことを聴けばご褒美が貰える、その為には義母がわざと落としたハンカチを拾うため、真冬の池に足を入れることさえ厭わなかった。


 今のアリシアには、この菓子を目にするだけで吐き気を催すほど厭わしい。

「…懐かしいものですね」

 砂を噛むような思いで差し出された菓子を見下ろす。

「そうでしょう?さぁ、大好きなお菓子よ、お食べなさいな」

 あの頃と一言一句違わぬセリフ。

 まるで暗示に掛けられたかのように、アリシアは手を伸ばした。

 指先に焼き菓子が触れるかという瞬間、目の前のそれが誰かの手に握られた。


「お母様の焼き菓子ですか。アリシアが羨ましいですね、私はお母様お手製のお菓子を食べたことがなかったので」

 横に立つ細身の男性に、公爵夫人が悲鳴にも似た声を上げる。

「スタリオ!まぁ、貴方がどうしてここへ?」

 公爵夫人の喜色満面の笑みに、久しぶりに見る兄が穏やかな声で返す。

「なに、たまたま用事があって近くを通ったのです。見慣れた紋章の馬車が店の外に停められていたので、お母様がおられるのかと覗かせて頂いたというわわけです」

 アリシアは兄の言葉の違和感にいち早く気づく。

 宰相補佐の職に就いているスタリオが、昼日中に大通りを闊歩して、実家の馬車を見かけたからと女性がひしめくティーサロンに顔を出すのは有り得ない行為だ。

 しかし公爵夫人は、さも当然のように「さすがわ私の息子ね」とスタリオを手招きする。

 愛息が母親を慕って顔を出したことを自慢し、スタリオの身体をベタベタ撫で回した。

 そして徐ろにスタリオの手に握られた焼き菓子を、はたき落とした。

「あら、ごめんなさい!うっかり手が当たってしまったわ。でもスタリオは甘いものは嫌いだったでしょう?さぁ、こちらでお茶でも飲んではどうかしら」


 そこからは公爵夫人の息子自慢が始まった。

 先程までの取って付けたような母親面ではなく、スタリオに向ける公爵夫人の表情は終始笑顔で、アリシアのことなど眼中になくなったようだ。


 みなの視線が外れた先、コートレイ伯爵夫人が安堵の表情を浮かべていた。それが即ちスタリオが現れた理由なのだろう。


 アリシアを陥れようと無遠慮に参加した茶会は、次期宰相候補としてスタリオを売り込む場に変わっていた。


 久しぶりに見た兄の顔は少しやつれていた。

 スタリオはアリシアと違って、目尻が下がりぎみで優しい顔つきをしている。

 幼き頃から優秀な兄の後ろ姿しか見たことはなかった。

 そしてその背がアリシアを振り返ることもなかった。


 アリシアは幼い頃感じていた、あの独りきりの疎外感に包まれていた。



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