第25話 王の苦悩【始まり】

 アリシアの様子がおかしい。

 元々あった心の隔たりが、更に深く遠くなってしまったような。

 心当たりはある。

 サーシャ・ブラント執務官と鉢合わせしてからだ。

 の彼女は王直属の女性執務官だ…、いや前世でも部下であったことは変わらないのだが。

 彼女は長年王室に仕えてきた、主に諜報を任せてきた家系の生まれで、市井に紛れさせたり、今回のように官に配置し秘密裏に情報を集めさせていた。

 そして前世、彼女のは王の妾だった。

 あの頃のレイスは、輿入れしてきたアリシアを敵の間諜とばかりに信じて疑わなかった。

 権力を与えれば、すなわちバーネット公爵が付け入る隙を与えることになる。

 王妃が王に寵愛を受けているなどと世間にも認知させない為、ブラントには自身こそが王の愛妾で、さも深い恋仲であるよう振舞わせていた。

『王妃には身の程を分からせ、王城内に勢力を作らせぬよう侍従らにまでその姿を周知させよ』

 その命令をブラントは忠実に遂行していった。


 それが間違いだったと気づかされたのは、自身に付けられた『妾をつけ上がらせる愚かな王』という悪名ではなく、『妻を死に追いやった卑劣な夫』という家臣からの侮蔑を含んだ目からだった。


 アリシアが床に伏して尚、慣れない暮らしと妊娠出産がもたらした気鬱の病だと思い込んで、公務にさえ出席しないことを怠惰だと言い捨てた。

 そうすれば王妃の評価が更に悪くなると分かっていての行動だった。


 それに…侍従から伝え聞いたアリシアとミハエルの親密さへの不快感を当てつけたかったのもある。


 しかし時が経つにつれ、これまで尽くしてくれていた侍従たちの態度が変わっていることに気づく。

 自室に戻っても温められていない室内、水差しの水が足されないなど、以前は気にもしなかった主人への心配りがなくなっていく。

 そんな小さな異変が確信に繋がったことが、アリシアの寝所が移されていることへの報告が一切されなかったことだ。

 妊娠してから産後まで、共寝をする必要はないだろうと、寝室は分けられていた。

 今世では療養部屋に変えるあたり、執務室の隣室で仮眠を取っていたとアリシアには説明したが、前世では寝具を持ち込み寝起きもしていた。

 ブラントにはさも愛妾が泊まり込んでいるように出入りをさせていたが、一緒に夜を明かしたことなど一度としてなかった。

 夜更けに人知れず退室して、侍従が起きるより前に執務室に忍び込む、特殊な訓練を受けてきたブラントには容易なこと。


 あの日、初夜の日もレイスは隣室で休み、ブラントは執務室で待機していた。

 侍従が朝の支度に伺うのを見計らって、隠し扉から隣室に入る手筈だった。

『初夜に愛妾と世を明かしたように』周知させるためだったが、王妃自らにそれを見ることまではレイスも考えてはいなかった。

 ブラントは忠実な部下だった。

 これ幸いとアリシアに釘を指し、別室でブラントの訪れを待っていたレイスの存在をアリシアに気づかせることなく退室させたのだ。


 そうやってアリシアも侍従も、執務室の隣室を愛妾との密会部屋と思い込み近寄ることはなかった。


 それがアリシアの侍女が執務室に肩をいからせて来るまで、自身の妻たる王妃の所在が移ったことを知らされなかった夫になった理由だ。


 ミーナは言った、

「病床の妻を見舞うことなく、妻を冥府へひとり送るつもりなのか」と。

 なんの事が聞き返すレイスに、

「このような夫に嫁がれてお嬢さまが不憫でならない。血を吐き明日をも知れぬ妻を、怠けていると貶してまで死の床へ追い詰めるのか」

 ミーナは涙ながらにレイスを責め立てた。

 それは見かねたハンスがミーナの肩を抱えて部屋から出るまで続いた。


 唖然とした、そして確認しなければと駆けつけた医務室に彼女は横たわっていた。

 出産後見舞った時、生死をさ迷ったと言われた出産時の土気色の顔色と変わらぬまま、その時以上に体は細く小さくなり、風に吹かれてしまえば消えてしまうロウソクの火ように儚い命を灯していた。


 詰め寄るレイスを、ミハエルは冷めた眼差しで押し返した。

「陛下は仰っいましたよね、王妃殿下がどのような体調か一切の相談や報告をするなと。これまでも興味があればお尋ねになる機会はあったでしょうに、このようになるまでとは、正直掛ける言葉もありません」

 そして改めて知らされる、これまでの病状。

 咳の症状はミハエルが確認出来ただけでも1年以上経つと。

 国内に似た症例は見当たらず、国外に情報を求めたが助けはない。

 一国の王妃にだぞ、とハンスに当たれば…

『王に嫌われている王妃をわざわざ助けようと思う配下はいないでしょう』

 ハンスの声は冷静で、さも当然とばかりに断言した。

『これは陛下がお望みの結果なのでは?王妃がこのまま亡くなれば後顧の憂いもなく、安心でしょう』

 そうだ。いや、そうなのだろうか…?

 自分は王妃が亡くなることを望んでいるのだろうか。


 その時になって初めて、妻となった彼女のことを何一つ知らなかったことに気づいた。

 彼女を嫌うだけの理由、それは政敵の娘であるという、たった1つの理由以外に見つけられなかった。


 華やかで性格の鋭さを著しているように見えた容姿も、その腕に抱く内に恥じらい伏せられる瞳に心惹かれ、好ましく感じるようになっていたこと。

我儘や高慢との噂とは異なる、不平不満ひとつ口にせず慎ましやかな暮らしぶりも、全て見て見ぬふりをしてきた。

心に蓋をし、あえて考えないようにしてきた彼女の、疑いようのない本来の姿には何ひとつ非はなかった。


 むしろ孫の成長を気にもかけない生家バーネット公爵家、 病床にあっても見舞うことは亡くなるまで終ど一度もなかった。

 理由は『セザンヌに移ると大変だから』。

 バーネット公爵家の愛娘がアリシアではなく、セザンヌであったことも、その時ようやく理解した。

『未来のない娘より、これから嫁ぐことになる娘の方が大事なのだ』と。


 初めて、彼女の孤独を知った。

取り憑かれたように周りに王妃の話を訊ねて回った。

『悪評名高い公爵令嬢』は『悪評など存在しない王妃』だった。

 輿入れ後から部屋で静かに過ごし、誰か友人が訪ねることもなかった。

 宝飾品やドレスなど買い漁ることもなく、亡くなった後に彼女のクローゼットを見て絶句した。

 王妃のドレスが数着、宝飾品に至っては輿入れの時に持ち込んだ数点のみ、買い足すこともなかったと。


『国の金に手をだすな』

 金遣いの荒らさを耳にして、輿入れ時にそう言ったのは自分だ。

 だが下級貴族にも劣るだろう少なさに、それを指摘してもミーナからは公爵家でも同じだったから気づかなかったと言われ、言葉を失った。


 僅かに手元に残された書籍は擦り切れ、破れ掛けのページを丁寧に捲っていたのだろうことが伺いしれた。


 息子に書き残した文章からは公爵から聞かされていた無知で無学な様ではなく、素直で飾り気のない優しい言葉の羅列に彼女の未熟ながらも隠しきれない感性が感じられた。


 なぜもっと彼女を知ろうとしなかったのだろう。

 私が娶った妻を見殺しにするような、愚行を犯してしまったのか。


 それは己が罪と向き合う日々の始まりだった。


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