第27話 夫の苦悩
コートレイ伯爵夫人からの謝罪を別れの挨拶にして、アリシアはサロンを後にした。
面倒な公爵夫人をスタリオが引き付けてくれていたお陰で、絡まれることなく帰路につく事ができたことは良かった。
しかし実に後味の悪いお茶会になってしまった。
「お嬢様、顔色が優れませんね。何かあったのですか?」
ミーナの案じる声にさえ、アリシアは答えれなかった。
ただ酷く疲れて、身体を休めたかった。
「熱がございます。今夜は療養部屋で様子を見られると良いでしょう」
ミハエルの診断を、レイスは横たわるアリシアの横に立ち聴いていた。
「分かった。この後は私が付き添うから席を外せ」
少し乱暴な仕草でミハエルとミーナを下げさせ、療養部屋にはアリシアとレイスの2人きりになる。
「無理をするからだ」
レイスは赤ら顔のアリシアを見下ろし、盛大なため息をつく。
「薬で良くなっているように感じるだろうが、まだ体力も戻ってはいないのだから、…あまり外に出歩くのも」
「醜聞が悪いですか?暗殺されかけた王妃が遊び回っているのは」
熱で潤む瞳が弱々しくレイスを睨む。
「そうではない…。其方の身を案じて言っている」
レイスは床に膝をつくと、ベッドに腕を載せ、アリシアの目線の高さに視線を合わせる。
王らしからぬ行動にアリシアは目を剥く。
「何をしておられるのですか!?」
レイスはその質問には答えず、アリシアの片方の手をそっと握った。
「陛下!」
振り離そうとしたが、レイスの両手に包まれた手がじっとり汗ばんだだけに終わる。
「王妃だからこうしろ、あれはするな、と口になどしておらぬだろう」
懇願するかのように、両の手で包み込んだアリシアの手をレイスは額に当てる。
「其方が誰と会っておろうとも、それも咎めたりはしておらぬ」
まるで独白のように。
アリシアにただ伝えたい、その一心でレイスは続けた。
「楽しげに出かけていると報告を受けた。それは喜ばしいことだと思っている。だが浅慮だと罵られても会ったのが男ならば不快になるし、公爵家の人間ともなれば心配で仕事も手につかぬ」
レイスは全て知っている。
アウグストと会って話したり、バーネット公爵夫人が茶会に参加したことも…。
「ご存知でしたら、外出するなとお命じになれば宜しいではありませんか」
「そうではない。其方の行動を制限したいのではない…、理解したいのだ、そなたが…アリシアがどうしたいのか、何を考えているのかを」
名前を口にされて鼓動が跳ねる。
「私はアリシアに心の内を伝えたいのだ。浅慮な自分も、不安に駆られるほど案じていることも」
アリシアは視線を天井に向けた。
アリシアにとって、この眺めは長くて辛い思い出として、魂に深く刻まれている。
「陛下を信じることが、わたくしは怖いのです。信じて裏切られたらと考えたら、信じることが出来なくなるのです」
レイスは不安げに視線を泳がすと、絞り出すように「それでも、信じて欲しい。裏切ったりしないから」 と。
「今の貴方を信じたいとは思うのです。だから信じさせてください」
レイスの青い瞳が揺れる。
「分かった、そな…アリシアに信じて貰えるよう努めよう。そしてアリシアも信じる努力をして欲しい。…まずは名前で呼ぶことから始めては貰えないだろうか」
切実なレイスの顔、先程から慣れないアリシアの名前を口にしていたのもそういう訳なのだろう。
「レイス様」
前世でも呼んだことのない名前。
「様もいらぬ。夫婦なのだ、対等がよい」
ぎゅうっと痛くはないが手が強い力で握られる。
「レイス…」
「あぁ…、嬉しいものだな」
ゆっくりと噛み締めるように言って、レイスが笑った。
まるで幼子のように、その笑顔は心からの喜びをアリシアに伝えた。
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