第38話 王子と王妃

 街並みは明るい色調のテラコッタで道も建物も造られ、街ゆく人々は褐色の肌を男女関係なく広く晒している。

「街全体が活気に溢れていますわね。服装も華やかで、昔見た踊り子の衣装みたいで素敵だわ」

 アリシアは馬車の窓に張り付くように外を眺める。

「異国の文化は良いものだが、あれは肌を出しすぎではないか?腹まで出しては…」

「わたくしも、あのような薄くてヒラヒラした布を纏ってみたいです」

 品があったとて身体をガチガチに締め付けられるドレスより、あのふんわりした服に包まれる方がどれほど心地よいか。

「腹を見せるのは駄目だ!」

 レイスの真剣な口ぶりに、

「分かっておりますわ」

 と苦笑する。


 大公家は街中にあり、屋敷にはひっきりなしに人が出入りしている。

「騒がしくて申し訳ございません」

 大公は杖を片手に、小さな身体を丸めて頭を下げる。

 あの年齢不詳で溌剌としたコートレイ伯爵夫人の母親とはいえ、年相応のご老体にその表情にも覇気はない。


「ようこそ起こしくださいました」

 大公の後ろに控えていた男性が一歩前に出るなり、一同驚きの表情を浮かべた。

 あまりにアウグスト似ていた男性は、しかし朗らかな笑顔がアウグストとは異なった。

「ラカン公国が第一王子、ハルベルトにございます」

 国王の息子と知り納得する。

 国王は大公の年の離れた妹で、大公の娘であるコートレイ伯爵夫人とハルベルトは、従姉弟でありながら親子ほど年の差があるようだ。

 とはいえアウグストよりは年上のハルベルトは、長子である姉が王太女となっているため、第一王子でも王位継承は第二位となっていた。

 女性が継承権を得られないシュルスと、生まれた順に継承権が得られるラカンと違う点だ。


 レイスは国王へ謁見するため王城へ向かい、アリシアは晩餐まで大公家で休ませて貰うことになっていた。

 大公家の案内はハルベルトが任されているようで、大公は早々に自室に下がってしまった。

 アリシアは大公と話がしたかったのだが、顔色も良くなく杖の支えでようやく歩けるほどで、呼び止められる状況でなかった。

「大公のお身体は、あまり芳しくないようですが…」

 そう伺うアリシアにハルベルトは頷く。

「招待しておりながら申し訳ございません。大公も王妃殿下とお会いできるのを楽しみにしていたのですが、この数年体調を崩しがちでして今日も…」

「いえ、それはお気になさらず。この国の女性当主としてお話をお聞きできたらと思っていた次第で、お身体にご負担を掛けてまでは望んでおりませんから」

「もし伯母上でなくとも構わないのであれば、他家の女性当主を紹介致しましょうか?」

「えぇ、そうですね。お話をお伺いできたら嬉しいです」

 ハルベルトは1拍置いて、

「王妃殿下は何をお聞きになりたいか、お尋ねしても?」

 隠しきれない好奇心がその顔には浮かんでいた。


 シュルスでは、陽の差し込む場所でティータイムを過ごすことが多いのだが、ここでは強い日差しを遮る立派な日除けの下、涼し気な水辺にガゼボが誂られているようだ。

 水音を耳に、アリシアは腰を下ろした。

 日陰に入ると涼し気な風が頬を撫ぜる。

 冷やされたお茶をひと口飲むとホッとため息が漏れた。


「わたくしが王妃になって日が浅いことは、王子殿下もご存知のことでしょう」

「ハルベルトとお呼びください、王妃殿下」

「ならば、わたくしもアリシアと名前でお呼びくださいませ」

 アウグストと似ているためか、気安い雰囲気も相まって、自然と肩の力が抜けるようだ。

「恥ずかしながら、わたくしは民にも官にも信のない、お飾りの王妃なのです」

 アリシアは悲観するのでもなく、事実として政敵家名から嫁いできたことや、これまでの騒動を話す。

「なぜ、そのような話を私になさるので?」

「それが大公閣下を頼り訪れた理由たがらです。大公から何かお聞きになってはおられませんか?」

 ハルベルトは笑みを引っ込め、「思い悩まれているようだとは」とひと言。

 それにアリシアは笑う。

「自身が王妃であること、妻であること、女であること、その全てに疑問を抱いたのです」

「疑問ですか…なぜ王妃になってしまったのか、というようなことですか?」

 アリシアはゆっくり首を振る。

「王妃でなければどうだったか、と思うのです。政略結婚が当たり前で、王妃になるにも疑問を抱くことはおろか、そもそも拒否権が得られるなどとは、考えたこともなかったのです。疑問に思わなかったことこそ疑い問いただすべきだったのでは、と思ったのです」

 一度死ななければ分からなかったこと。やり直さなければ抱かなかっただろう問い。

 アリシアの瞳はあの惨憺たる過去を思い出し陰る。


「シュルス王国では親の許可なく婚姻が出来ないと伺ったのですが、それは本当なのでしょうか?」

「えぇ、そもそもが信仰に根付いた考え方なのです。国の成り立ちからして、初代王妃が神の娘という、神であり父に認められなければ人との婚姻が叶わず、そして我が国は生まれなかっただろうことから、親という絶対的な存在を無視することは許されないとされているのです。いくら当人同士が婚姻を望んだとて、親の許可がなければ教会は婚姻を認めません。つまりは正式な夫婦になれないということです」


「なるほど、確かに我が国にはない考え方ですね」

「結婚からして親が決めるのですから、家督を継げない娘の選択権はほとんどありません。嫁げば子を成すのが務めであり、それも出来なければ、夫が妾に産ませた子を育てるよう命じられることも当たり前とされます」

「それは…あまりにも」

 アリシアはかつてした愛妾との会話を思い出す。

 王の子であることが重要であり、そこに母親の血筋は関係ない。先に生まれた王の子が王太子になるのだから。

「王族とて例外はありません。わたくしに子が生まれなければ、そのように系譜が繋がれていくのです。ラカン公国では違うのでしょうか?」

「血縁に跡を継がせることは変わりません。しかし、どちらかと言えば本人の意思によるところが大きく影響しますね」

 そしてハルベルトは大公と実母である国王の話を始めた。


 なぜラカン国王は実姉を差し置いて王になったのかを。


 大公は前国王の第一子である。

 国王は第二子と、15歳離れた2人きりの姉妹だった。

 大公家はそもそも姉妹の父方の血筋で、歴史ある小国の王を祖とし、小国がラカンと統合された際に、大公家が設けられた経緯がある。


 前国王である母と大公家の血を引く父との間に生まれた二人だが、その気質は大きく異なったらしい。

 幼少期より王太女として育てられた大公だが、その重圧が精神的に負担となっていた。

 そして年の離れた妹が誕生すると、王家を離れ父方の大公家で過ごすようになった。

「大公は国王になりたくない王太女だったのです」

 ハルベルトはまるで幼子の話をしているかのように話す。

「母は生まれながらにして、姉に国王であることを押し付けられたわけですが、結局は国王になることを本人が望んだので同情は必要ありません。たとえ王の子であれど嫌がる者に継がせるほど直系の血筋といえ強制力はないのです。言い換えれば、血が少しでも入っていれば継承権が得られるということ。遠い血縁であっても、王に成りたいと望む子を据えるを良しとするのです、この国は」

 どこか彼方を見上げるようにハルベルトは話す。

「そこまで当人の意志を尊重して頂けるのですね」

 ハルベルトが笑む。

「この国は女であるだけで尊ばれるのですよ」

 ハルベルトのあまりに冷ややかな声にアリシアは口篭る。

「貴女の国と男女逆転しているようなものです。あまりに女王の統治が多く長く続いたことで、女の統治を国民も望んでいる。ここは誰しもが主張を認められる平等な国ではございません。女王の娘の望みだから尊重されたのです」

 それでは…と浮かんだ言葉はついに口から出せなかった。

 淡々と話すハルベルトの、瞳に宿る暗い感情に押されてしまったから。

「ひとつ申し上げれることは、アリシア殿下が求めるものは、この国ならば喜んで差し出されることでしょうということです。微力ながら私もお力になりたいと思っております」

 ハルベルトは胸に手を当て「お望みがあれば何なりと」と侍従が取るような挨拶で締めくくる。

 このまま受け入れてはいけないような、そんな気持ちがして、

「ハルベルト殿下も、わたくしにできることがあれば仰ってください。わたくしが出来ることがあるならば、尽力させてくださいませ」

 その真剣な眼差しにハルベルトは目を見張る。

「えぇ、お互い手を取り合えると良いですね」

 ぎこちなく発せられたその言葉は、どこか上滑りして聞こえた。















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