第21話 愛妾の行方

「このような時にお話しするべきではないのですが…」

 ミーナがおずおずとアリシアの顔色を伺うなどとは珍しい。

「何かしら?」

 読みかけの本を閉じ、ミーナと向き合う。

「陛下の…その、女性問題なのですが」

「あぁ。そういえば、そんなことを言っていたわね」

 すっかり忘れていたと苦笑するアリシアに、笑い事ではないとばかりにミーナの頬が膨れる。


「それが誰に聞いても妾など知らない、見たことがないと申すのです」

「あなたがわたしくしの侍女だからではなくて?王妃の侍女に告げ口でもして、処罰されることを恐れて言えないとか?」

 ミーナは甘いです、と苦笑いで返す。

「お忘れですか?相手は陛下の侍従で、いわば私たちを目の敵にしているのです。陛下に女性の影があれば、隠すより話題にして王妃を貶すネタにするはずです!」

 堪らずアリシアは吹き出してしまった。

「ミーナの観察眼には驚かされるわ」

 事実、前世では妾の話題にはことかかなかった。

 まぁ、あの頃は行儀見習いの令嬢たちがいたのもあったからだけれども。


「それでですね、丁度陛下が城への出入りを制限されたのもあって、何かしら不満や不安を覚えた官なら口を滑らせるかもと末端の官にまで声を掛けたのですが…」

(ミーナ、それはやり過ぎだわ。あなた恐れ知らずに程があるわよ)

 アリシアのため息にも気づかず、ミーナは鼻息荒く熱弁する。

「陛下にはそのような女性の噂が全くありませんでした!結局のところお嬢様を良く思わない輩のついた、嘘だったのでは、と私は推測致しました」

 言い切るとフンと鼻息で締めた。

「…そうね、そうなのかもしれないわね」

 決してミーナの気迫に押されたからではなく、今のレイスには愛妾は本当にいないのかもしれない。

 それほどまでに前世の彼と今とが異なって見える。


 コンコンとノックをするも返事はない。

 部屋の主の許可なく入室できるのは、アリシアかハンスくらいなものだろう。

 なにせこの部屋の主ときたら、基本返事は返さない、むしろ入られたくない時だけ「入るな」と返す体たらく。

 無言の時は機嫌が悪いので、そこで判断して踵を返す者が大半。

「入りますわね」

 声と同時にノブを回せば、不機嫌な眼とぶつかる。

「返事をしてないのだが」

「あら、返事をなさるおつもりでしたの?それは失礼」

 言葉に反して、アリシアはスタスタとレイスの執務机の前まで歩みを進める。

「其方の侍女が何やら嗅ぎ回っていたようだが」

(あれだけ聞いて回ったのなら耳に届いて当然かしら)

「さぁ、何のことでしょう?」


 レイスの眉がひくつく。

「知りたいことがあるなら直接聴けば良かろう。私は其方へ後暗い行いはしてないつもりだ」

(前世も妾がいるからと後暗そうにはなさっていませんでしたけれど)

 アリシアの唇は引き結ばれ、この件については話したくない態度を貫いた。


 根負けしたのはレイスの方で、

「話があるのだろう」

と話題を変えて、ようやくアリシアの口が開かれた。


「街に買い物に出たいのです」

 そのような言葉がアリシアから出るとは、想像もしていなかったようで、レイスの反応が一拍遅れた。

「其方、暗殺されかけたのだぞ!?」

「それは今に始まったことではございません。相手が刃物を持って襲いかかったような暗殺でもありませんでしょう?」

「何を悠長なっ」

「そもそも、今回の件で身の回りの物、一切合切が取り上げられてしまいましたもの。手に入れようにも出入りの商人は当分呼べないでしょうし、ならば城下の仕立て屋で服を見繕うのが早いではないですか?毒など仕込む時間も与えずに済みますし」

 いくら服装などに付着した毒が影響を与えないにしろ、気分の良いものでは決してない。

 結局レイスも同意せざるを得ず、しばしの沈黙後「護衛を付け、寄り道などしないのならば」と幼子への約束事のような忠告つきで許可を出した。


「城に来て初めての外出に、寄り道もするなとは…また浅慮な」

 ポツリと呟くと「どう言われても否、だ」ピシャリと返される。

 アリシアが苛立ち紛れに扉を開けた瞬間、向こう側から扉を開けようとした人物とあわやぶつかり掛けた。

「あら、ごめんなさい!」

 慌てて相手の顔を確認して、アリシアは一瞬息をするのも忘れて固まってしまった。


「失礼致しました」

 相手が下げていた頭を上げ、疑いが確信に変わる。

 派手な化粧も胸元がはだけた服でもない、地味な薄化粧に襟元までぴったり閉じられた官服を身にまとってはいたが、それは確かに記憶にある人物、あの時アリシアを嘲笑していた愛妾その人だった。


「あの?」

 ノブに手を掛けたまま、凝視された愛妾もとい女官僚が戸惑いの表情を浮かべる。

 そこには悪意や侮蔑的な感情は見えない。

 むしろアリシアが不快感を顕にしてしまった。

「どいてくださる?」

 相手が後ずさるほど、その声は冷たかった。


「アリシア?」

 扉の前で立ち止まったアリシアを伺うレイスの声が耳に遠い。

 その声に振り返ることなく、アリシアは歩みを進めた。


 そう。結局少しの違いがあれども同じなのだ。

 前世で深い仲になっていた2人は、もしかしたらまだそこまでではないのかもしれない。

 であっても、そうなるのは時間の問題だろう。

 あの女性はノックをしなかった。つまりは、部下というにもすでに親しい間柄ということなのだろう。


(やはり信用に足る相手ではなかったのだわ)

 今世のレイスに危うく絆されかけるところだった。

 妻を案じる夫、王妃を気遣う王を演じているだけなのだ。


 なぜこんなにも腹が立つのだろう。

 愚かにもどこか期待する自分がいた。

 レイスが自分を理解し、寄り添ってくれるのではないかと。

 裏切れたと感じるのは、アリシアがそのような無駄な期待を抱いたからだろう。

 信じなければ傷つかずに済む。

 そう、もう信じてはいけない。

 愛を捧げるには足りない相手なのだから。







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