第22話 密会
貴族令嬢に人気の仕立て屋は、1階は気軽に立ち寄れるショールーム、2階は予約制のフィッティングルームになっていた。
バーネット公爵家お抱えの仕立て屋は今回利用が出来ないため、相手から指示されたのは若い令嬢で賑わう大通り沿いの店だった。
「ようこそ起こしくださいました」
そう出迎えた店主は、異国の血を感じさせる容姿をしていた。
1階のショールームにもこの国では見慣れぬデザインの物があり、そういった目新しさが流行に敏感な若者の気を引いているのだろう。
店主の案内で2階に上がる。
扉を開けると、先客がアリシアを出迎える。
「お久しぶりです、王妃殿下。お体の具合が芳しくないと耳にしたのですが、お加減はいかがでしょうか?」
「しばらく療養は必要ですが、こうやって外出できるくらいは元気です。コートレイ伯爵夫人もお元気そうで何よりです」
コートレイ伯爵夫人は年齢を感じさせない若々しい褐色の肌に、明るく色鮮やかなドレスがその闊達な内面を表すかのようだった。
「アウグストから言伝を聴いた時は驚きました。まさか王妃殿下から、私と会って話がしたいと仰られたと。しかも内密とは一体?」
婚約者時代に何度か顔を合わせる機会はあれども、伯爵夫人と親密な会話をしたことはなかったから、驚かれるのも当然だろう。
「伯爵夫人は今もラカン公国と頻繁に行き来されていると聴いたのですが、それは生家とも連絡を取り合っておられるということか、お聴きしても宜しいでしょうか?」
伯爵夫人は大陸を同じくする南の国『ラカン公国』の大公家の生まれだった。
現ラカン公国が国王の姪、それがコートレイ伯爵夫人だった。
「なるほど…そういった要件ですか」
ニコリと笑うと年相応に笑いジワが出来る。
「あちらでは、特に結婚に対してどうといった問題もなかったので、変わらず家人とは会っていますし、この店のような商売の手助けも大公家がしてくれております」
笑って話してはいるものの、言葉の裏には伯爵家では結婚を反対されたことが伺えた。
「大公閣下を通じてラカン国王陛下に、内々に連絡をお取り頂くことは可能でしょうか」
伯爵夫人の顔色が変わる。
「その連絡の内容をお聴きしても?」
アリシアは居住まいを正す。
「かの国へ亡命したいのです」
言葉に迷いはなかった。
「ラカン公国へ、シュルス国の王妃が亡命したいと?本気で仰っておられるのですか?」
「えぇ、本気です。ラカン公国は女王が統べる国。女性でも爵位が継げるのでしょう?大公家も夫人のお母上が家督を継がれている、とお聴きしております」
伯爵夫人は黙ったまま、アリシアの話に頷き返す。
「この国のように貴族令嬢が売り買いされるように嫁がされることはない国だと。アウグスト様から公国の話を聴く度に羨ましく思っておりました」
いたたまれない様な、苦しげな表情で見つめられる。
「王妃となってしまった今、わたくしがこの立場から抜け出せる術を考えたら…廃位か死か。そのどちらにせよ未来は無いものです」
廃位される程のこと、つまりは何らかの処罰があって然りな状況は、場合によれば死よりも残酷な未来だろう。
それ程までに廃位とは罪深いこと。
そのような廃位か命を掛けなければ、王妃の座から去ることは難しい。
「離縁は選べ…ないのですね、こちらでは」
「法で離縁を禁じている訳ではないのです。あくまで信仰上、婚姻とは生涯に渡って結ぶべきもの、という教えに従うため赦されないことなのです」
アリシアは回帰した、それは紛れもない事実で、そこに神の采配があったと考えている。
だからといって、この国の婚姻が神の意志によって決められたものとは思えなかった。
「離縁しないということで、 妾ならば何人いても良いと都合よく解釈する、そのような国なのです。それは国王とて同じ、これまで何人の正妻が報われない結婚生活を強いられてきたことか…。婚姻してから知る不義に、どれほどの妃が涙をのんできたか…」
アリシアの震える声に、伯爵夫人の顔色が変わる。
「まさか、陛下も?」
アリシアはそれに小さく頷く。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは伯爵夫人だった。
「公国は建国の祖が女だったこともあり、女性がむしろ男性より優位なくらいなのです。特に結婚においては、女性側が共に子を育てるに足るべき伴侶か、相手を選択できる立場です」
「そのような国なら離縁も可能なのでしょうね」
「離縁もできますが、再婚もまた自由です」
「再婚…考えたこともなかったわ」
「このような話に相応しくないかもしれませんが…」
伯爵夫人は真剣な眼差しでアリシアと向き合う。
「夫と結婚する時に、離縁することが許されない国で、永遠の愛を誓ってくれた夫を、私も同じく愛し続けると心に決めたものです」
純血を何より重視する貴族に嫁ぐことは、言葉に言い尽くせないほどの苦労があっただろうに、伯爵夫人はいつも堂々としていて、自信に満ち溢れているようにアリシアには見えた。
「妻以外に女を囲うことが許されていることを知った時は腹も立ちましたし、そのようなつもりがあるのか夫に詰め寄りましたね」
夫人はかつてを思い出してか、百面相のようにコロコロ変わる。
「慌てて妾など持つつもりはないと否定してましたが」
くすくすと小気味よい笑いに、つられてアリシアの頬も緩む。
「育った国、文化や風習も常識さえ違う夫婦ですから、衝突することも少なくはなかったのです。もしラカンで結婚していたら、私たちはとっくに離縁していたかもしれません。離縁できないからこそ、お互いが必死に想いを繋ぎ止めていたとも考えられるのです」
伯爵夫人の笑いジワの分、刻んできた夫婦の歴史もあるのだろうと、そう考えたらアリシアは自分たちがいかに薄っぺらな夫婦か痛感させられる。
「愛し合って結ばれた夫婦でもそうなら、この国の政略結婚で結ばれた夫婦は、離縁が出来るようになれば、みな離縁してしまうのではないかしら」
自身を重ねて想像すると、虚しさがいっそう深まる。
「殿下、ラカンへの間へ殿下の言葉をお届けすることに異論はございません。ですが、内容は熟考なさっても宜しいのではありませんか?」
「熟考といっても、今の状況で何をすればよいか…」
王妃暗殺未遂事件で、レイスは今まで以上に神経質になっていて、夫婦としての時間などそもそも雑談するくらいしかなかったのが、今や皆無なのだ。
陰鬱と王城で暮らすアリシアには、むしろ考える時間は幾らでもある。
そういった吐露に夫人は相槌を打ちながら、
「ならば見る目を外に向けられたら宜しのでは。私に提案がございます」
とアリシアに微笑んだ。
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