第35話 国王夫妻
ピリついた重い空気だ。
ハンスはフーッと深いため息を吐く。
思えば官として登城してから、この城で息のしやすさを感じたことの方が少ない。
前王崩御、それに伴う官僚の移動、新体制と古参の軋轢、そして反体制派の令嬢との結婚。
今度はその王妃の暗殺未遂犯の粛清。
休む暇がない以上に、この主の精神面もハンスの気鬱を引き起こす。
「塞ぎ込んでいる」
「それはそうでしょうね。精神的負担は考えに余りあります」
「どうしてやればよいのか…。果たして私が声を掛ける方が負担になりやしないか…」
主がこうまで思い悩む姿を、これまで見たことがなかった。
ハンスが知る主は他者の心情に興味はおろか、自身の気持ちが他者に左右されるようなことがなかった。
良くも悪くも今の主は妻の一挙手一投足に全神経を寄せている。
そう、ハンスの仕事に影響をもたらすほどに。
「王妃は輿入れから今まで心休まらなかったことでしょう。ずっと王都におられて外遊の一つもできませんでしたからね」
「茶会には行っていたではないか」
やれやれと首を振り主を見やる。
「それは王妃として、務めでされていたのもあるでしょう。人脈作りは確かに大事ですが、それで心が休まるかは別です。特に王妃殿下は、社交が得意なわけではないように思いますので」
「…そうか。アリシアは公爵家では外に出されなかったと聞く、本人が望む望まないにしろ慣れていないことは違いない」
「でしたら何かと気を使われておられたのでは?陛下もずっと執務に詰めておられたのですから、外遊にでも行かれて息抜きされては如何です?」
かくしてレイスは、病み上がりのアリシアに「外に出かけないか」と誘うことになった。
「ようやく今朝、床から出れたばかりなのですよ」
誰かが言って教えてあげれるわけでもないので、自ら申告するしかない。
「そのようなことは日夜傍にいるのだ、知っている」
(何を自信満々に…)
「外というのはどの程度のことです?お散歩、王都、辺境、それとも国の外?」
アリシアは手ずからレイスにお茶を注ぐ。
「どこでも構わないが、城から離れた場所だと今日は無理だろうな」
「国王がそのように簡単に出かけられるわけがないでしょう」
呆れるアリシアだが、その表情には疲れの色がまだ見られた。
「とにかく行きたい場所は考えておくように。それでなのだが、先程口にしていた散歩は今日でも行けるのか?」
「散歩ですか?城の中で、でしたら体調は問題ありませんが…」
「ならば行こう!」
レイスは立ち上がるなり、アリシアの手を引き部屋から連れ出す。
無理やり連れ出したわりには、アリシアの歩調に合わせてゆっくりとした足取りで、自然と手は腰に回される。
まずは比較的近い場所にある厨房へ、視察ではないけれど中を覗き込む。
「へ、陛下!何か問題がございましたでしょうか?」
屈強な身体をした料理長が慌てて飛び出してくる。
「なに、ただの散歩ゆえ構わなくてよい」
そう制されても落ち着かないのだろう、ソワソワしている料理長に、
「ミハエルから薬と言っても遜色ない食材が使われていると聞きましたわ。体調に合わせて、滋養のつく料理を作ってくれていると知り、感謝を伝えねばと思っておりましたの」
料理長は顔を真っ赤に染めて「とんでもございません」と恐縮している。
「ありがとう」
微笑むアリシアの手が引かれる。
「これ以上は仕事の邪魔になるだろう。さぁ、次へ行こう」
そうやって国王夫妻の散歩が続けられ、城内には視察同然の緊張感と相反する和やかな空気が流れる。
「次は馬小屋に行きたいです。わたくし馬に乗ったことはないのですが、あの円な瞳は好きで…」
王に寄り添われる王妃の顔は、普段は見慣れぬ場所への好奇心から楽しさが滲み出ている。
「ならば体調が戻ったら、乗馬に挑戦してみてはどうだ?」
王の表情も柔らかく、2人を取り巻く暖かな日差しのような空気は、侍従の頬も自然と緩ませた。
この仲睦まじい国王夫妻の様子に、誰もがこの先の国の行先は明るいものと思っていたに違いない。
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