第18話 王妃の花
「紫の瞳の者が王妃の周りにいるか?」
レイスの不機嫌な質問にハンスはヤレヤレと首を振る。
「コートレイ伯爵令息は灰色、ミハエル医師は茶色、因みに私は緑ですね」
ギロッと睨みつけられても気付かぬ振りをする。
王妃は気づいてないが、療養部屋の音はこちらに拾いやすく、対してこちら側の音は届きにくい構造になっている。
そうなってはいるのだが…聞き耳をたてなければ、話の内容まで、詳しくは聞き取れないくらいには音が遮られている。
「王妃殿下に直接お尋ねになれば、宜しいではありませんか」
「紫の瞳の者の名を教えろと?また浅慮だと責められるのが関の山だ」
盗み聞きを咎められるとは思わないのかと、ハンスは天を仰ぐ。
「薔薇が…赤い薔薇が嫌いなことも知らなかった」
レイスが今度は肩を落とす。
「薔薇がお嫌いなご婦人の方が珍しいのですから、そこは気になさらなくて良いのでは?」
そうではない、そうでないのだ。
ハンスにしてみれば、つい先日知り合った女性の好きな花など知り得なくても当然くらいに思っての発言なのだろう。
だが今のレイスは違う。
肖像画に描かれた薔薇、凛と面を上げた立ち姿が脳裏に鮮やかに蘇る。
祝いの席にはいつも薔薇が飾られ、彼女が亡くなる寸前まで足を運んでいたのも薔薇園だった。
きっと誰もが王妃アリシアは薔薇を好んでいたと考えただろうに、彼女の本音では…嫌いだったと?
また1つ、重い枷が自身にのしかかったようだ。
妻の好きな花を知らなかっただけではなく、嫌いな花を押し付けていたのかと。
そして思い当たる。
「なんてことだ…そうじゃないか」
(紫だ。あの子の瞳がスミレ色ではないか)
レイスは顔を手のひらで覆う。
「陛下?」
ハンスの声も耳に遠い。
あどけない笑顔、妻が焦がれて止まない相手はシュタイン、そう我が子だったのだ。
「赤い薔薇を…薔薇が描かれた装飾を王妃の周りから排除するように。代わりにスミレの装飾品を誂え、身の回りの物も淡い紫色に整えるよう侍従に命を」
「宜しいのですか?」
「構わぬ」
構わないどころか、彼女の傍にあるべき色だろう。
「お嬢様…申し上げるのもどうかとは思いましたが、私の目から見ても…」
「言わなくとも分かっているわ」
侍従の出入りが多く、陛下のご指示だと言われれば理由も聞かなかったけれども、変えられていく室内の様子に確信を得る。
「盗み聞きしていたのよね!それか、あの画家が口を滑らせたのかしら?」
「いいえ、そうではありません。いえ…お嬢様の仰ることもそうなのですが」
ミーナは昨日まで薔薇が描かれていた花瓶が、紫色のシンプルなもの変わったのを皮切りに、次々と変えられていく室内を眺める。
「私が物申したかったのは陛下のお心に関してです」
壁の装飾など1日2日では変えられないものも、夜間職人を呼び寄せたのだろう、外せる物は外され、そうでない物は目に入らないように隠してある。
「薔薇がお嫌いだという一言でここまでされるのです。妻に関心がないなどとは思えません。むしろ…」
「むしろ何?」
腕を組んで不機嫌な様子のアリシアにミーナは内心苦笑する。
彼女の意地っ張りなところは小さな頃より変わらない。
「お嬢様もお気づきでしょう?陛下はお嬢様のお心に添いたいのですわ。好きな花を知れば、花を贈ることくらいは誰でも考えますでしょう。ですが部屋の装飾まで変えさせるのは、それほどお嬢様を気遣っておられる証拠ではありませんか」
スミレが刺繍されたドレスは今朝届けられた。
「ここまでされるのは、お気持ちが伴わなければ出来ません」
「…そうね。対外的に演じるならここまでする必要はないものね」
「お嫌ですか?陛下からのお気持ちは」
咄嗟に「嫌よ!」と口にできたら良かったのに。
沈黙がむしろ答えになってしまう。
「お嬢様が何に苛立っておられるか、私思い当たりました。お嬢様が仰っていた妾とやら、私がお調べします。陛下のこのふるまいに、何か理由があるのかどうか、しかと確かめて参ります」
「ミーナ…」
以前のアリシアなら止めていただろう。
王妃の侍女が王の周りを嗅ぎ回る、などとは外聞が悪すぎると…。
でも今回は違う。
「任せたわ!」
影でこそこそするくらいなら、堂々とすれば良いのよ。
意中の女を囲っていながら、妻を案じる振りなど卑劣にも程がある。
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