第17話 王妃の肖像画

 雨音に混じって乾いた咳の音が部屋に響く。

「アリシア、薬は飲んだのか」

 今となったら平然と隠し扉から出入りするレイスに、怒りを通り越して呆れる。

(その扉、機密事項ではなかったの!?)


「飲んでおりますし、天気が悪いと咳が出やすいのです。そう何度も確認に来ないでくださいませ」

「無理をするな、具合が悪くなる前に横なるように。診察は同席するから声を掛けなさい」

 言いたい事を言い終えたレイスの退席を黙って見送った。


「陛下は王妃殿下を大変気遣っておいでですなぁ」

 真っ白な顎髭を撫でながら笑う老人を、アリシアは軽く睨みつけた。

「口を動かさず手を動かしては如何?」

「おや、これは失敬」

 芸術家という者は常人とは違った感性を持っているだけに、王妃が相手だろうが萎縮したりはしないのだろうか。


 王妃の肖像画を宮廷画家に描かせることは、王家の慣例だった。

 この好々爺然とした老画家は、長年節目節目に王族を描いてきた宮廷画家で、前世もシュタインが生まれてから祝いの席の度、絵筆を取って貰った。

 アリシアには顔馴染みの画家だった。


 病床の傍らでは、彼の描いたシュタインの絵姿に慰められたものだ。


「さて添える花は薔薇で宜しいかな」

 妃の肖像画には象徴として花が描かれる。

 前王妃は薔薇をこよなく愛し、王宮の薔薇園も彼女が自ら手を加え、その象徴は薔薇だった。


「薔薇は好きではないの。特に赤い薔薇は」

 最期の瞬間を思い出す時、あの真っ赤な薔薇が鮮やかに蘇る。


 療養部屋の壁の装飾も薔薇で、今回肖像画を描くために手配された花も真っ赤な薔薇だった。


 この花を嫌う理由の1つに、前世でアリシアの容姿と、赤い薔薇とを重ねられることが多かったからなのもある。


 高貴な象徴の薔薇は貴婦人に好まれるが、反面気位が高く派手で、棘で人を近づけさせない印象がある。

 芳醇な香りに誘われ近づいた者を鋭い棘で傷つける。


 赤い髪と華やかな容姿もあって、薔薇の王妃と前世では称された。

 発端は王の肖像画の横に飾られた赤い薔薇と王妃アリシアの絵姿からだとしても。

 親しみではなく侮蔑を込めた呼び名だったのではと、アリシアには思えてならない。


「紫の花…そう、スミレが良いわ!」

 淡い紫色が脳裏に浮かぶ。

 愛しい我が子の瞳を思わせる可憐な花。

 シュタインを思い出し、胸に暖かな温もりを覚える。

「優しいお顔をなさいますなぁ〜。スミレに何が良い思い出でもあるのですかな」

「…好きなのです。優しいくて可愛らしくて素敵でしょう?」


「それでしたらドレスも青系に変えましょう!黄色のドレスよりきっと似合いますわ」

 ミーナの顔に喜色が浮かぶ。

「ほぅ、青でしたら陛下と並べて具合が良いですなぁ〜」

 ホゥホゥと笑い声も重なると、一気にアリシアの気分が下がる。


 夫婦ならばパートナーの髪や瞳の色を纏うことが、好ましいとされている。

 想い人の色を使ってアピールしたりと、恋の駆け引きに用いられたりもする。


 しかしアリシアは結婚後、青色のドレスを身にまとったことは1度としてない。

 鮮やかな金髪に青い瞳のレイス、金は宝飾品や飾りなど王妃として使わずにはおれなかったけれど、瞳を象徴する色だけは避けていた。


 そしてそれはレイスも同じ、アリシアの赤い髪や緑の瞳を思わす宝飾品は付けなかった。


 正直不服だけれども、シュタインを感じられる花を添えられるのなら致し方ない。


 かくして王妃の肖像画が老宮廷画家の手で描きあげられた。

 青いドレスを纏い、胸に抱くスミレの花束を愛おしげに見下ろす、慈愛に溢れた王妃アリシアがそこにいた。


 高貴や高潔という印象を残しながらも柔らかなアリシアの一面を写し出したその絵は、見た者のアリシアの印象を良い方に変えることになったのは後日談。










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