第33話 バーネット公爵夫人

「ミリアーノ・バーネット」

 公爵家に嫁いで敬称を外され呼ばれたことなど、実父にもなかったのに。

 ミリアーノは、その屈辱に震えた。

 父は娘が貴族に見染められ、貴族と姻戚関係を結ぶことに並々ならぬ野心を抱いていた。

 3人もうけた娘のいずれも貴族と結婚したことが、何よりの証拠だ。

 平民と貴族の婚姻は『夢物語』と称されるほど稀なこと。

 それを娘全員を嫁がせられた手腕も、父をつけあげらせた要因だろう。

「この毒の入手は…」

 裁きの声はミリアーノの頭には入ってこない。

 横に座る父の肩が怒りに震えている。

 プライドが貴族以上に高い人間なだけに、このように罪が暴かれていくことは許し難いのだ。

『公爵はお前に夢中だ。妾にと打診してきたが…それは駄目だ。こちらに得がないではないか。聞けば公爵夫人は産後の肥立ちが悪く床に伏せっているらしい』

 父は顎髭を撫で、思案しながら呟いていた。

『お前は公爵を惹き付けておけ。会う時は必ず媚薬を使い、まずは子を孕め。それだけで公爵家の血筋は手に入れられるからな』


 ほどなくミリアーノの腹は子を宿した。

 時を同じくして公爵夫人の病状は悪化していった。

 物事がミリアーノに都合よく運んでいく。

『良くやった!これでお前は公爵夫人だ』

 何をしても褒めることがなかった父が、手放しに孫の誕生を喜んだ。

『それでは次は邪魔者を始末せねばならんな』

 父は孫を抱き、ミリアーノに告げた。これまでハッキリと言われたことはなかった。

『お前のためだ、お前だって望んでいただろう?』

「はい。お父様」

 ミリアーノは頷く。

 言わされたのでは無い、それはミリアーノの望みでもあった。

 だって公爵家には彼がいる。

 ミリアーノの初恋の彼、年下なのは仕方ない。義理の母子になれたのも運命、ゆくゆく関係を変えていければ問題ない。

 スタリオと幸せな家庭を築くためなら、好きでも無い公爵との子を産むことさえできた。

「お父様、私幸せになります」

 私が望むものは父の利益になる限り手に入る。

 公爵夫人の座も、公爵家の財産やコネも、そして未来の公爵夫人の座さえ私は手に入れた。


『ミリアーノ・バーネット』

 現実に引き戻す声に顔を上げる。

『バーネット公爵の葉巻から同毒が検出された。毒の混入が可能なのは、部屋を同じくする夫人以外考えれない』

 公爵は葉巻を自ら包んで作っている。購入している煙草の葉は、エストランドのあの地域では採れない。巻き紙も公爵が使う高級紙を、あちらの粗雑な紙に変えれなかった。

 何より材料に細工すれば、父に気づかれてしまう。公爵を殺すのは父の利益にはならないから見つかっては駄目。

 だから少しずつ、その毒が夫の体を蝕むようアリシアに使っていた無味無臭の植物片を混ぜた。


「儂は知らんぞ」

 父はミリアーノにしか聞こえないほど小さくつぶやいた。

 ええ、そうでしょうとも。

 ミリアーノは後ろを振り向き、愛しい人を見つめる。

「そ、そなた…私をこ、殺そうとした…だと?」

 喘ぐように胸を抑える夫の姿はミリアーノの目には入らない。

 しかし、一途に慕い続けてきた男はミリアーノをまるで憎しみに駆られた鬼の形相で睨みつけてくる。

「どうして?」

 ミリアーノは耐えれなかった。

「あなたの為にしたのよ!邪魔な妹を消して、父親もいなくなれば私たち二人きりでしょ?公爵家を継いでからは、あの家で幸せに暮らしていけるじゃないの!」

 立ち上がると周りを見渡し「何が間違いだったというの。父親が望む通りに公爵夫人になったわ。この先、代が変わっても公爵夫人は私。ねぇ、お父様、それで正解でしょ?未来永劫、私のお陰で公爵夫人の姻戚関係は保たれる。何がいけないのよ」


「錯乱したのか」

 レイスの問いに、デュークレア宰相が首を振り否定する。

「公爵夫人には事前に自白剤が投与されております。罪の隠匿を防ぐため、公爵にも了承は得ております」

 グッと拳を握り耐えている公爵は、妻の無実を信じていたのだろう。


「ならば直接聞こう」

 レイスはそう言うと席を立ち、ミリアーノの前まで歩みを進めた。

「アリシアに毒を盛ったのはお前か」

 ミリアーノは自ら膝を付くことも忘れ、兵に床へ押さえつけられる形でレイスに吠えかかる。

「ええそうよ!公爵夫人とその娘は、私たちの尊い犠牲になるはずだったのよ、魔法の粉でね。殺して差し上げるように、父から渡されたの」

 レイスのコメカミに血管が浮かぶ。

「公爵はそのことを知っているのか」

 アリシアはずっと父、バーネット公爵を見ていた。

 夫人が一言話すたび、公爵の顔には絶望が浮かんでいた。

 それだけでアリシアには分かった。

「知らせたら家を追い出されてしまうわ。スタリオと離されるような真似をするわけないじゃない!」

 後方の傍聴席が騒がしくなる。

『義理の息子と?』『まさか不義を?』

 ざわめきを断つようにレイスが声を上げる。

「スタリオ小公爵はお前と不義の関係にあったのか?小公爵はこの件に関わっているのか?」

 バーネット公爵は視線を息子へ移す。

 それは息子を信じる父の眼差しとは違い、嫉妬に狂った男のものだった。

「私たちは清い関係よ。だって私はそのようなふしだらな女ではないもの」

「どの口が言ってる。自分は母上が…公爵夫人がいた時に父と関係をもっただろう!」

 スタリオが声を荒らげる。

「嫉妬しないでちょうだい!心はずっと貴方を想ってきたわ。結婚する前から貴方だけ!」

「スタリオ小公爵は10歳にも満たない年齢だった筈だが、その頃から恋人だったと?」

 レイスに「まさか。そのような年の子に手を出せるわけないでしょう」

 そこからはミリアーノの一方的な気持ちが語られ、それは聞くに絶えない常軌を逸した恋情だった。

 確かに当時はミリアーノも今のアリシアと変わらない年頃、気持ちを否定するわけではないが…。

「ならば一方的に慕っていたということで良いのだな。この毒を小公爵に使わなかったのは、協力関係だったからではないと言えるか?」

「一方的?いいえ、私たちは思い合っているのです。言葉にしなくとも私には分かるわ。魔法の粉は、使い方を間違えたらスタリオの身体まで害してしまうでしょう?彼は何も知らなくて良いのです。待っていれば宰相も公爵の地位も手に入れられ、伴侶として私が全て支えるのよ」

 もうこれ以上聞いたとて出てくる答えは必要ないだろう、そうレイスが踵を返し、デュークレア宰相が引き継ごうとした瞬間、

「セザンヌは、あの子はどうなのです?あなたの実の娘でしょう。夫人の口からセザンヌの名前が出ないのは何故?」

 私も母親だった。

 母としての記憶が夫人の言葉に警鐘を鳴らした。母親として子を想う気持ちがないのかと。

 恋に狂い、私利私欲を果たしてきた女だけれど、彼女も人の親だ。

「あの子は公爵が何とかするでしょう?私もそうだったから分かるわ。良き家に嫁がせるための大切な娘だもの。私は産んであげた、あとは父親が面倒を見ればいいじゃない」

 関係ないわ、と。むしろ何故セザンヌが関係あるの?と心から疑問を感じているのが手に取るように分かってしまった。

「あなたの娘でもあるでしょう。お腹を痛めた子で、セザンヌはあなたを慕っていたじゃない」

 

「だってあの子スタリオを嫌っていたのよ。兄であり、将来は母親の伴侶になる人なのに。だから良い縁を結んでやろうとしたじゃない。アナタじゃなくセザンヌが王妃になれてたら万々歳だったのよ」

 クラっと目眩に身体が傾ぐ。

「アリシア!」

 駆け戻ったレイスがアリシアを支えるように腰に手を回す。

「愚かだわ…」

 かつて幼き日のアリシアが憧れた孫を抱く祖父も、娘を抱く母も作られた虚像だった。

 この場にあの子がいたら、きっとショックを受けていただろう。

「欺瞞と欲望、そんなもののために、わたくしは…」

 レイスが「畜生めが」と吐き出す。

 アリシアの視界がブレる。

「妃の具合が悪い、我々は席を立つが、詮議は宰相そなたに一任する。くれぐれも罪逃れがないよう全てを詳らかにせよ」

「畏まりまして」と宰相は頷く。

 抱えあげれたアリシアはレイスの胸に顔を押し当てる。

 そうして口元を塞いでないと叫び出しそうになる。

 きつく掴まれた胸元、アリシアの白い手を見下ろし、レイスも憤懣やるかたない気持ちを持て余した。







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