第13話 執務と療養

 扉1枚隔てた国王夫妻の奇妙な暮らしが始まった。

 聞きたくなくともベッドに横になっていると、執務室の音が漏れ聞こえて来る。


 レイスの執務室を訪れる臣下の足音から忙しさが窺い知れる。


 片やアリシアの元を訪れる者はない。

( 輿入れした妃に挨拶をしにくる様子もないなんて、こんなにも嫌われた王妃は他にいないでしょうね)


 前回は具合の悪さを押して、執務室まで朝の挨拶をしに来たまでは覚えているが、その後の記憶は曖昧だ。


 何人か臣下から挨拶はあった気はする…。


 皮肉なことに執務長官よりも先に愛妾と会話をすることになってしまったんだもの、王妃の務め云々を考える余裕はなくなってしまったのよね。


「丁度良いわ…ミーナ、執務長官を呼んで頂戴」

 アリシアが居る執務室側と反対の隣室に執務長官室がある。

 こちらは完全に別れた部屋みたいだけれど。


 ほどなく訪れたハンスの顔は強ばっている。

「何も取って食べやしないわよ」

 アリシアは笑う。

「部屋の場所については貴方に文句を言っても仕方ないのだし、急ごしらえでここまで誂えることは大変だったのでしょう」

 単純に家具を入れ替えたのではないのだろう。

 壁には薔薇の彩色が施され、全体的に赤を基調とした華やかな印象を受ける。

 好みかどうかは別として、妃が暮らすには格式高く相応しく見える。


「今回呼んだのは王妃として王宮の侍従の管理や賓客の饗、慈善事業などが私が関わって良い務めだと考えるのだけれど、それで良いかしら?」

「それはですね。陛下に確認を致してみないことには…」

「貴族夫人の嗜みくらいのことも陛下に断られるのかしら?」

 それは前世貴方の口から「妃殿下がなさっても良い事」だと聞かされたのだけれども。


「いえ断るとは!むしろ妃殿下の務めというには当然のことを仰られたので、妃殿下には王妃として携わって頂けることが他にあると思います」


 前世ではレイスの言葉を伝えるだけの人物、それがアリシアが知るハンスだった。

 基本、これはするな!関わるな!というだけだった印象がある。

 でも今世の彼は戸惑いの表情をよく浮かべているように思う。

 今もそう、断言できないと濁してばかり。

「…そうなの。わたくしにできる務めが他にね…。

 権利として許されるなら侍女の選定を行う許可を陛下に頂けるかしら?」

 はっきりしないハンスに、アリシアはハキハキと話す。

 アリシアには迷いがない。

 もうあの頃の顔色を伺って控えている女の子ではなかった。

「え…えぇ。それは…」

 ソワソワするハンスにアリシアが詰めよろうとしたその時、

「それでわざわざ私の部屋を跨いでまでお伺いを立てたと?」

「あら、お忙しい陛下の手を煩わせる必要もないことかと思ったのですわ」

 続き扉をノックなしに開けてきた相手と、ハンスを間に挟んだまま会話する。


「この距離ならば声を上げれば呼ぶにも人の手など必要あるまい。直接声を掛ければ良いでは無いか」

「まぁはしたないことを。淑女に大声を上げろだなんて」

「夫婦であれば構わぬことだ」

 レイスが夫婦然と会話をしようとすることは、アリシアを無性に苛立たせる。

「そもそも、執務のことは執務長官へ聴くのが筋ではなくて」

 ねぇ、と改めてハンスを見るとゲッソリと疲れた顔とぶつかる。

「もうお2人が揃っておいでですので、直接お話しくださいませ」

 私は下がらせて頂きます、とスススと後退していった。


「それで侍女の選定とは?昨日そなたの部屋付きの侍女たちが挨拶に来たのだろう?気に入らなかったのか?」

 そう頷けばワガママと取られるのだ。

 アリシアとて愚かではない。


「静かに療養したいので、傍に控える侍女はミーナ以外には置きたくはないのです」

「しかし王妃の侍女が1人という事にはいくまい」

「ええ、それは承知しております。ですから選定して傍に控えるに気を遣わない相手が良いと思いましたの」

 レイスはしばし思案して「構わぬ」と一言だけ返した。


 王妃の側仕えには、貴族子女が行儀見習いとして含まれる。

 長年王城に仕える侍従の出や、貴族の推薦状を手に経験を積んだ侍女として登城してきた者とは違って、彼女たちの仕事は汚れ仕事とは無縁だ。

 王妃のお茶の相手から衣服選びなど、王妃のご機嫌取りが彼女たちの主な仕事なのだ。

 そして行儀見習い期間が済めば、アリシアの侍女になることはなく王妃を後ろ盾に良い家門へ嫁いでいく。

 アリシアは彼女たちの結婚への足がかりでしかない。

 前世でもそういった貴族令嬢侍女が仕えていた。

 アリシアを慕ってくれていた令嬢もいたが、何人かは王の寵愛のない妃を陰で蔑み嘲笑っていた。

 愛妾のことをご丁寧に聞かせてくれていたのも彼女たちだ。


 あの時は王妃として、貴族令嬢を無下には扱えないと耐えていたが、今回は違う。

「行儀見習いの令嬢は外します。病床の主の世話は彼女たちにはさせられませんから」

 アリシアは心安らかに第2の人生を過ごしたいのだ。

 要らぬ人材は排除すると決めたのだ。

 王とて貴族令嬢に汚れ仕事などさせられようもない、それを見越してのアリシアの取ってつけた理由だ。

 まさか理由を聴く前に許可が出たことは予想外だったが。


 なら話は早いと次の要望を口にする。

「それと王妃としての務めに関して、専任の執務官を指名させてくださいませ」

「…希望はきこう」

「コートレイ伯爵令息です。現在は事務次官をされています」

 みるみる間にレイスの顔に朱が混ざる。

「…そなた正気か!?」


「何か問題でも?優秀な文官ですし、貴族派ではないのでバーネット公爵家に阿ることもありませんわ」

「かの者はそなたの元婚約者ではないか!」

 レイスの怒声は、隣の執務室にいたハンスの肩を飛びあがらせた。





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