第三章⑤『夜の呪い』
「っ――ぐっ――がぁ――っ!?」
突如、喉を捻り潰されたような悲鳴の直後、要を苛んでいた髪と手の痛みが止んだ。
けれど、代わりに左胸辺りに灼けつくような感覚が走る。
固く閉じていた瞼をそっと上げてみると、驚きの光景が広がっていた。
「な、何だよ……これ……ぐっ……!? 痛っ……!?」
要の手と髪を掴んでいた渡利の両手が、大火傷を負ったように溶けていた。
しかも、真っ赤に爛れた皮膚の隙間から細い茎が天を目指すように生え始めた。
「ぎゃあああ……っ!!」
神経と筋組織、血管を突き破られる激痛と得体の知れない恐怖に、渡利は叫び、地にのたうちまわるしかなくなる。
その間も謎の茎は両手から上肢、下肢を目指して、皮膚の下を容赦なく這い上がり、蠢き回っては皮膚を貫いていく。
あまりに凄惨な光景に言葉を失って立ち尽くす要の背後から、ねっとりと重くおぞましい気配を感じた。
「ひっ……きゃあああ――!!」
恐怖で凍りついていたはずの喉から悲鳴が漏れ、地面にへたり込んでしまった。
「……ぃ……ぉ……あぁあ……っ……」
真っ赤な泥みたいに爛れ崩れた手足と顔にまばらに這う肌色のミミズ。
筋肉の線に沿って生えた緑の茎と葉っぱ。
何よりも異様なのは、両目を貫通するように大きく咲いた赤い百合の花。
人の形をしているが明らかに“人”ではない化け物を前に、要は金縛りにあったように動けない。
一方、化け物は要の横を緩慢に通り過ぎると、岸の淵でのたうち回っている渡利のもとへ歩み寄っていく。
「ぉ……ま……こ……ろ、せ……ゆ……り……が……み……ぉあぅうぅ……!」
赤百合の化け物は血なまぐさく湿ったような声で何かを呟くと、渡利へ両手を伸ばしてきた。
途端、今度は渡利が背中辺りへ両手の指を激しく這わせ、呻き声を上げた。
「ひっ……ぐううぅうぅ……ぃ……あぁああぁあぁ……!!」
背中を掻きむしるように押さえつけている渡利が苦悶の悲鳴を上げている最中。
背中に赤い花の紋様が焼ゴテを当てたように浮かび上がり――そこから血管を巻いたような太い茎が飛び出し、赤い百合の花々が散り咲いた。
赤い花の種子は身体中の血を堰き止め、茎と枝は身体中の管と五臓六腑を貫き破った。
「――……」
全身を咲き貫かれた渡利は既に絶命していた。
剥き出しになった背中に赤い花のアザを遺して。
阿鼻叫喚を奏でながら非業の死を遂げた渡利を前に、要は目の前の出来事は悪い夢ではないかと目眩を覚えた。
怯える要を他所に、赤百合の化け物は渡利の絶命を確認すると、目的を達成したかのように頷いている。
それから、無残な花の死骸みたいに倒れている渡利へ片腕を伸ばすと、用済みとばかりに払い除けた。
重力に従い、渡利の死体は暗い海底へと沈んでいった。
「っ……あ……あぁ……っ」
あまりに現実離れした現象を目の当たりにした要は、呆然とするしかなかった。
けれど、夜に牙を向いたおぞましい怪異は、現実逃避する隙間を許してはくれない。
赤百合の化け物は、残された要の存在を思い出したかのように彼女へ向き合った。
「ぉ……あ……つ……ゆ……り……ゆ……が……み……ぉあぁあぁ……っ」
焼け爛れた皮膚に赤百合を咲かせた顔からは、眼球も表情も不明だ。
それでも渡利の時といい、目の前の人間が誰かを認識し、確認しているようにも伺えた。
このまま……私も……殺されてしまうの……?
血腥い恐怖に濡れた要自身にはもはや思考と観察の余裕は失われている。
逃げたくても、両足に力が入らないため、何とか震える両手で後ずさることしかできない。
けれど、このままでは、化け物に捕まるのも時間の問題だ。
それに先程から左胸が――赤い花のアザが灼けるように疼いている。
もしかしたら、他の四人や渡利も目の前の赤百合の化け物に呪い殺されたのだろう。
だとすれば、同じくこのアザを刻まれた自分もまた、やはり呪いによって死ぬ運命なのだろうか。
自分も渡利や百瀬と同じ末路を辿ることを想像し、歯が震え鳴りそうになる。
崩れた肉を引き摺るように歩み寄ってくる化け物を前に、諦めの感情が要の脳髄を支配し始める。
ごめんね――幽花――約束、守れそうにないみたい。
重く閉ざした瞼の裏で最後、幽花の優しい笑顔を思い描く中、涙の雫が頬から地面へと落ちた。
「ぐぎゃああああああ――!!」
しかし、瞼の向こう側に照りつくような眩さと熱を感じた。
同時に肉が焼け爛れるような匂いに、花の香りが混じった。
さらに耳朶を突き刺すような阿鼻叫喚に、思わず要が瞼を上げると――。
「今のうちに逃げるぞ――!!」
要の肩を勢いよく掴んだ相手は、力の入らない彼女を背中に背負って走り出した。
訳の分からないまま連れ出された要だが、相手は自分を助けに来たのだと直感で理解できた。
恐る恐る振り返った目線の先では、赤百合の化け物が炎に包まれていた。
要を救出した相手が化け物へ火を放ったらしい。
幸い、化け物は炎に呑まれながら小さくなっていき、要達を追ってくることはなかった。
潮風の吹く夜闇を突き抜けること数分後。
とある空いた民家へ駆け込んだ要達は、ようやく安全な場所に避難できた。
左胸の疼痛も既に治まっている。
息を荒くしながらも、灯りのついた家の中に入れて要は安堵した。
「あの……助けてくださって、ありがとう、ございました……あなたは……確か……」
島の暗黙のルールを破ってまで、要を助けに来てくれた恩人の顔をようやく確認する。
家から出てきた時点では、地元の人間ではないことは予想ついていた。
けれど、その相手がまさか一昨日会った探偵ライターの葉山昭人だとは予想つかなかった。
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