第二章④『雨の日の出逢い』

 何だか寂しそうな瞳をしているなぁ。


 小学校で初めて見た時にそう感じた。

 幽花はあの花山院神社の跡取り息子として、大人達に重宝されていた。

 花山院神社は百合島が生まれた時から存在した名家であり、祭事をも取り仕切ってきた歴史がある。

 ただ花山院家の人間であることもそうだが、何よりも幽花自身は完璧のように見えた。


 『花君って本当にかっこいいよねー。百合島で花君よりも綺麗な子、見たことないよ』

 『それに頭もすごくいいし! 走るのも早いもの!』

 『この前、花君が私の落としたシャーペン見つけてくれたの! 優しいよね!』


 白百合のように白く滑らかな肌。

 黒鳥の翼のように艶やかな黒髪。

 夜の水晶玉みたいに深く澄んだ黒い瞳。

 神像のように均衡の取れた端麗な顔立ち。

 頭脳明晰で運動神経も良く、心優しい名家の子息は「花君」と親しまれ、学校の人気者だった。

 それに比べて、栗花落要は“他所者の嫁”の娘と蔑まれ、勉強も運動もできなくて、友達もおらず、いじめを受けていた。


 まるで正反対だった二人が心を交わすようになったのは、あの雨の出来事がきっかけだった。


 『おい、これを食わせてみよーぜ。ぜってーおもしれーからよ』


 独りぼっちの雨の帰り道。

 河川敷を歩いていた要は、橋の下に集まっている小学校高学年の男子達を見かけた。

 普段の要であれば、なるべく気付かれないよう息を殺してその場を離れていただろう。

 けれど、そこで要は自分がどうしても放っておけない理由を見つけてしまった。


 『これと混ぜたら、食うんじゃねーか?』


 男子三人が取り囲んでいるのは、小さな段ボール一つ、とその傍で腰掛ける小さな猫だった。

 子猫は野良らしく、痩せ細った体は雨や泥水に濡れ汚れ、目ヤニだらけの片目は閉ざされている。

 男子の一人は猫が喜んで好むブランドのペーストフードを、餌の器へねじ込む。

 すると隣の男子はポケットから取り出した赤い唐辛子のペーストを、同じ餌の器へぶっかけた。

 さらに三人目の男子は悪意のこもった笑みで、鞄から取り出したホッチキスの刃をふりかけみたいにばら撒いた。

 お腹を空かせた子猫は餌の器に混じって微かに漂う、絶品のペーストフードの匂いに釣られたように近付いてきた。


 『やめて――!』


 気付けば考えるよりも先に足が動いていた要は、男子達を突き飛ばすと、邪悪なものが混じった餌の器を河川へ投げ捨てた。


 『お前! 何するんだよ! ……って、何だか他所者の栗花落かよ』

 『俺達の邪魔しやがって、どーしてくれんだよ』


 自分達より下の学年の女で、しかも周りに煙たがれている相手に愉しみを邪魔された男子達は、怒り心頭に発する様子だった。

 正直要自身も上の学年の不良に等しい男子複数人を相手に、手足の震えと涙が止まらなかった。

 それでもか弱い命を守り、それを弄ぼうとした奴らの思い通りにもなりたくはなかった。


 『おい。邪魔されたけどよ、もっとおもしれーこと思いついたぜ』

 『!? 何をするの……!』


 怒っていた三人の内、リーダー格の男子は子猫を段ボールに入れて両手に抱えていた。

 嫌な予感に駆られた要は、慌てて子猫を取り戻そうとするが、男子二人に取り押さえられて動けなくなる。


 『こいつらを川へ落としてやろーぜ』

 『嫌! お願い、やめて!』


 リーダー格の男子は子猫の入った段ボールを、男子二人は要を河川へ突き落とそうと歩み始めた。

 雨が降っている影響で普段より激しく流れ、深みを増している灰色の河川に背筋が凍る。

 要は救いを求めて涙するが、むしろ男子達を愉しませるだけだった。

 

 どうしよう……せめて、猫だけでも助けてあげたかったのに……!


 抵抗も虚しく河川の手前まで連れて行かれた要と子猫へ、ニヤニヤと嗤う男子達が手を伸ばす。


 『やめろー! こっちです! 早く!』


 河川敷の上から男の子らしき高い声が響いてきた。

 良からぬことを実行しようとする男子達を制止すると同時に、大人を呼びかけている様子が伺えた。


 『やべぇ! 逃げるぞ! お前ら!』


 リーダー格の男子は舌打ちをすると、段ボールと要を放って先に駆け出した。

 男子二人も彼へ続くように一目散に逃げていった。

 男子に解放された要は慌てて段ボールに入っている子猫を抱き抱える。


 『あの……大丈夫……? えっと、栗花落要さん、だよね?』


 不良男子達から私と子猫を助けてくれたのは、あの花山院幽花だったから、意外すぎて驚きを隠せなかった。

 まさか、島の同級生の中でも人気者の彼が、しかも私を栗花落要と知っているうえで助けてくれるなんて。


 『あ……その……えっと……』


 本来であれば助けてくれた事へ直ぐに感謝を伝え、これ以上迷惑をかけないようにするのが礼節なはず。

 けれど、この時ばかりは動揺や躊躇から上手く話す事ができず、ただ狼狽えてしまった。

 どうしよう、せっかく助けてくれたのに。

 本当は嬉しいのに、お礼も何も言わない暗くて嫌な奴だって思われちゃう……。

 こんな自分が自分で嫌になり、ますます双眼に涙を浮かべてしまう。

 そうしていると、頭に柔らかな感触が舞い降りてきた。


 『怖かったんだよね……もう、大丈夫だから……』

 『あ……』

 『この子を守ろうとして、必死だったんだよね?』


 不安や緊張から言葉を上手く紡げない要の想いを代弁してくれた。

 しかも、安心させるために要の頭を撫でてくれた。

 初めて理解してくれた。初めて触れてくれた。

 ただ、それだけのことが、泣きたいほど嬉しくて、たまらなかった。


 『大丈夫? よっぽど怖かったんだね。気の済むまで泣いていいよ。ここには僕たちしかいないから』


 黙って頷いたまま涙を雨のように降らす要へ、幽花はいつまでも優しく微笑んでくれた。

 いつも学校では寂しそうに見えていた瞳が、何故か雨でこんな状況なのに、むしろ優しく輝いて見えた。

 いつも雲に隠れていた月が姿を表して、明るく照らしてくれたように。

 

 『っ……』


 悲しみとは異なる喜びに喉が詰まって話せない代わりに、要は片手で幽花の手をぎゅっと握りしめた。


 ありがとう、を伝えるように。


 幽花は嫌な顔一つもせずに、また無邪気に微笑み――繋がれた手を優しく握り返してくれた。


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